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その日、三台の馬車が次々とクレール伯爵邸の門内へ吸い込まれていくのを道行く者達が見ていた。
早朝、一番早く邸へ到着したのはクレール伯爵その人である。杖先を石畳へ割れんばかりに叩きつけ、病に冒されてなお恰幅の良い身体で駆け込むように邸内へと入っていった。
それから小一時間ほどして現れたのは、やはりクレール伯爵家所有の馬車だった。しかしこちらは本来黒塗りであるはずの馬車に豪華な金の縁どりをぐるりと回し、馬車の中いっさいを真紅の天蓋で覆い隠したそれは華やかなものであった。朝日に照らされ光り輝く馬車の後ろ姿を眺め、人々は口々に言った。『ありゃあマダム・ソフィーの車だ』。
最後に、邸中の従僕が門外へ一同に揃う物々しい雰囲気のなか一台の馬車がゆっくりと門前へ停まった。
粗末な車に不釣り合いなほど頑健な馬を4頭繋ぎ、よほどの緊張下のなかやってきたのか、御者の頬は削げ、色は蒼白である。彼は転がり落ちるように御者台から降りると足台を置き、恭しく扉を開いた。
どよめきと感嘆の声が人垣から漏れる。
人垣のなかから進み出た従僕頭の手を借り、石畳に降り立ったのは見事な金の髪の少年だった。
手を引かれた少年は自分を取り囲む大人達の悲喜交々、複雑極まりない視線を一身に受け、決まり悪そうにボロボロの外套の裾を弄んだ。
「おい聞いたか。昨日の朝、邸に入ってったっていう子供の話を」
露店の店先に商品の果実を並べる途中、店主は隣の靴屋の主人へ声をかけた。靴屋は磨き台の埃を手で払い、その上にどっかり腰を下ろして肩をすくめた。
「聞いたともさ! もう街中の噂になってるよ。なんたってあのクレール伯爵にテオドール様以外の御子がいらしたなんてなぁ」
溜め息をつく靴屋に、果物屋はうんうんと頷き返す。
「まったく、とんでもねえ話だ。リリアーヌ様がお亡くなりになって伯爵様の女遊びはそりゃあ激しくなったが、子供だけは絶対につくらなかったって話だったのにな」
「当たり前だろう、伯爵様は入り婿の身分なんだから。初代様が伯爵に封じられて以来、クレール家は実子だけですべての所領を相続してきたんだ」
靴屋の目に在りし日のリリアーヌが蘇る。まだ可憐な少女の時分、彼女は先々代の伯爵に手を引かれよくこの街を訪れた。ブルネットの髪を揺らして笑う少女は心根優しく貴族の高慢さとはまるで無縁で、まるで野に咲く向日葵のようだと民から大いに愛されたものだ。
葬儀の日のことも鮮明に覚えている。地上に遣わした天使の死を天の父が嘆き悲しむように、雲は重く垂れ下がり、三日三晩街は深い霧に包まれた。
「リリアーヌ様は若くして神の御許へ旅立たれてしまったが、救いはテオドール様が生まれたことだ。あの方は顔や体つきこそマリユス様に似ていらっしゃるが、宝石みてぇな紫の瞳と誰にでも気安く話しかける姿勢なんぞはリリアーヌ様にそっくりだよ。あの方に任せておけばこの街は安泰さ」
鼻息荒く頷く靴屋の横顔を、果物屋はりんごを並べる手を止めしげしげと眺める。
「なんだ、お前さん。知らないのかい」
「あん? なにがだい」
「昨日の子供さ。あの子がクレール伯爵家を継ぐんだとよ」
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