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 生活の細かいルールに関しては必要に応じて決めていこうということになった。  とはいえヒヤマは今まで通り生活の半分以上を研究所で過ごす予定だったので、相談するようなことは多くはないだろう。 「なにかわからないこととか、探しているものがあったら連絡してくれればいい。本当に困ったら買ってくれれば」 「連絡」 「ああ、そうだった」  コウダはあの日に荷物をまるごと置いてきてしまったらしく、結局取りに帰ってもいないらしい。つまり彼の手元にはスマホがない。  どうしたものかと考え、ヒヤマは自分の携帯番号を書いて渡した。 「そこに電話があるから、何かあったらこの番号に」 「はい」  コウダはそれを受け取ってじっと見つめている。  家賃に関しては、月々に少しだけだが収めてもらうことになった。ヒヤマは最初いらないと断ったが、さすがにとコウダがごり押した。食費なども、基本的に家にいるだろうコウダが出すことになった。 「好きにしてくれて構わないから。自分の家だと思って――まあ、賃貸くらいの感じで」  コウダはその言葉に表情をわずかに変えた。細められたその目を見て、ああ、彼は笑ったのだとヒヤマは理解する。  コウダが言った。 「本当にありがとうございます。助かります」 「今日、夕飯どうしようか」 「ああ、そうですね。何か、作りますよ」  立ち上がり冷蔵庫に向かったコウダにヒヤマは呼びかけた。 「あ、でも」 「大丈夫です。料理得意なんで」  そう言って冷蔵庫の扉を開けたコウダは固まった。そこにはほとんど何も入っていなかったからだ。自炊をしない上に、滅多に帰宅しない家の冷蔵庫なのだから当然と言えば当然だった。 「どこか食べに行こう。このあたりは美味しい店がたくさんあるんだ」  コウダは扉を閉め、「そうしましょう」と言った。  結局近くの中華料理の店に入った。コウダの食べっぷりはよく、ヒヤマは感心しきりだった。初日だからとヒヤマが勘定を出し、コウダはご馳走様ですと頭を下げた。  二人で家に帰る。外はもう暗くなっている。  ほとんど通らない家への道を、誰かと一緒に歩いている。  あの家に引っ越してからは友人を招いたこともなかったヒヤマは不思議な気分だった。だけどこれからは、コウダはあの家の住人になるのだ。  順番でシャワーを浴び、十一時頃、コウダはヒヤマの部屋に顔を出した。 「そろそろ、俺、寝ますね」 「ああ、……そうだった。ちょっと、いいかな」 「? はい」  ヒヤマは部屋に置いてあった小型のジュラルミンケースを持ち出して、二人で書斎――これからはコウダの寝室――に入る。 「これを、つけてもらってもいいかな」  ヒヤマがケースを開けると、見慣れた計測器が入っていた。  コウダはあっさりと「もちろんですよ」と答えた。  それがかえってヒヤマには申し訳なかった。コウダの顔に少しでもうんざりした色があれば、むしろ気が楽だっただろう。 「研究所のものよりは簡易的だから、そんなに負担もないと思うんだ」 「ええ」 「寝る前に自分でつけてもらえると、すごく助かる――つけかたを教えるから、覚えて欲しい」 「はい」  なぜかヒヤマは、すごく悪いことをしている気分になった。  それがどうしてなのか自分にもわからない。  ヒヤマはもっと観察していたかった。コウダの睡眠データは非常に貴重で、ヒヤマにとってこれはまたとないチャンスだった。だから彼はコウダを家に呼んだ。  結局、この共同生活は打算的なものだ。  つまりこれは契約であって、それ以上でも以下でもない。  コウダもそれをわかっているはずだ。だから何も問題はない。そういう結論になったはずだった。  それでも、ヒヤマの中にわだかまりがある。とても悪いことをしている気がする。  コウダに機器の装着方法を教えながら、ヒヤマは自分に嫌気がさしていた。何よりも嫌なのは、自分自身のその不快感の理由がわからないことだ。  コウダの腕に装置が張り付けられたのを見届けて、ヒヤマは逃げ出した。 「じゃあ、おやすみ」 「おやすみなさい」  そう言ってヒヤマは自室に戻る。しばらくぼんやりとパソコンを触っていたが、何をする気にもならずベッドに横になった。少し前まであったはずの心地よい倦怠感はすっかり嫌なものに変わってしまって、ヒヤマは何度もベッドで寝返りを打った。  当たり前に今日も眠りは訪れそうにない。時計を見た。もう深夜一時になっている。コウダは眠っただろうかと考え、ヒヤマは苦笑する。彼が眠っていないわけがなかった。  それでもヒヤマは確認したかった。彼がしっかり眠れていることを。  装置など気にもとめていないことを。  そう思って、そうか、モニタを見れば確認できると思った。彼は装置をつけているのだから。だけれどそれはしてはいけないことだと思う。それがなぜなのか、わかるようでわからない。どうせもう計測器はついているのだから、今見ても見なくても何も変わらないのに。  それでもヒヤマは見ないことを選択した。  そして、壁の向こうのコウダのことを考えた。  この一枚の壁の向こう、目をつぶって静かに眠っているコウダがいる。  コウダはきっと、いつものように静かに眠っている――。  その想像は、とても優しかったが、同時にとてもつらいものだった。ヒヤマは引き裂かれるような気分になる。どうしてだろう。今まで、ヒヤマはコウダを羨んだことはなかった。羨むこともないと思った。だから家に呼んだのだ。  だけど今、それだけではない何かを感じている。  ヒヤマはぎゅっと背を丸めて、自分の中に作った小さな闇を見つめて眠ろうと試みた。

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