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簡易的な検査を継続しているとはいえ、研究所の方が詳細なデータを取れることに変わりはない。
今日はコウダが研究所に来ている。
観察室に入ってきたカンザキはヒヤマに、言った。
「あいつのこと飼い始めたらしいな」
マジックミラーの向こうではコウダが眠っている。
そういうのじゃない、と言おうと思ったが、事実そうなのだろうと思いヒヤマは何も言わなかった。黙っているヒヤマをつまらなそうにカンザキは見ていたが、やがてガラス際に立って言う。
「筋金入りのお前とは違って俺は普通にずっと眠れていたから」
ヒヤマはカンザキの背中を見ていた。大きい背中だ。
「世界がこうなってもしばらく眠れていたし、自分が眠れなくなるなんて想像もつかなかった」
カンザキの背中の向こうに、コウダが眠っているのが見える。
「だけど周りがどんどん眠れなくなってさ――なんか、世界から自分が取り残されてるみたいな気分だったよ。変だよな、眠れない方が良いわけなんてないのに」
カンザキは振り返る。
「まあ、見た感じあいつはそんなの感じてなさそうだけど」
そう言って親指でコウダを指差した。そして出ていった。
ヒヤマはガラス近くに立ってコウダを見た。コウダは今日も安らかに眠っている。ヒヤマもうっすらと眠気を感じて、少し横になろう、そう思った。
そして些細な違和感を覚えて振り返る。
コウダの目尻から、また一粒涙が滴った。
ヒヤマはそれをぼんやりと見つめて――今日は家に帰ろうと思った。
「おかえりなさい」
リビングに入ったヒヤマにコウダが言う。コウダはキッチンで何か調理をしているようだった。
「ただいま」
そのにおいはおそらくシチュー系だろうと推測する。
ヒヤマは周囲を見回した。片付いた自分の部屋。自分のものの中に、少しずつ増え始めたコウダのもの。それはなぜかすごく調和が取れている。コウダが調和を取っているのだと思う。決して線を踏み越えないように、コウダは気を遣っているのだ。
「ご飯とか食べてきましたか」
「ああ、いや」
「せっかくなので一緒に食べませんか」
――そう言われては断れない。
「手伝うよ」
そう言い、ヒヤマもキッチンに向かった。煮込まれているビーフシチューがぐつぐつと美味しそうなにおいを出している。いつの間にか買われていたシンプルな皿にヒヤマはそれをよそった。
てきぱきとコウダは準備を進めている。本当に料理が得意なのだろう。
言われた通りにヒヤマは手伝って、あっという間に準備は整った。
「いただきます」
並んだ料理を前に、ヒヤマとコウダは手を合わせた。
どれもとても美味しかった。
「おいしい。本当においしい」
「ありがとうございます」
夢中で食べるヒヤマにコウダは言う。
ふと、ヒヤマはあることに気がついた。
「こんな、ご飯までご馳走になって申し訳ない。――帰らないと言っていたのに」
ヒヤマはぽつぽつと食べながら言う。
「これじゃまるで嘘をついたみたいだ」
コウダはその時初めて声をあげて笑った。とても楽しそうだった。
そして「ヒヤマさん」、と呼びかける。
視線をあげたヒヤマに、
「ここはヒヤマさんの家ですよ」
そう言った。
皿の上の料理がだいぶ少なくなってきた頃に、コウダが言った。
「スマホを買いに行こうかと思うんです」
さすがに不便なのでと言う。それはそうだろうとヒヤマは思った。しかし、当然の流れとして――本当は言いたくはなかったが――ヒヤマは言わざるを得なかった。
「荷物を取りに行った方が良い」
どう考えても、契約中のスマホを置き去りに新しいものを契約するのは正しいとは思えなかった。
コウダは視線を軽く下げて、
「そう、ですよね」
と認める。
「何か取りに行きたくない理由があるのかな」
――もし一人だと行きづらいなら、僕が同行しても良い。
そう言おうと思って、ヒヤマは飲み込んだ。
コウダは静かに首を振った。意味を図りかねて黙っていると、
「大した理由はないんです。気が進まないというだけで」
ヒヤマはあまり納得できなかった。おそらくそれをコウダも察知したと思うが、コウダはそのまま残りの食事を食べ出した。仕方ないとヒヤマも黙って同じように残りを食べる。
皿を片付けて、コウダは「俺が洗いますね」と水を流し、水音の向こうで話し出した。
「ミナミダとは仕事で知り合って」
話しながら、慣れた手つきで皿を洗っていく。それが、同居人の名前だろう。
「俺の事情を知ると、家に泊まるといいと言ってくれました。俺とは割と気が合ったので、それなりに楽しく暮らしていたと思います」
ヒヤマはテーブルに座って、キッチンに立つコウダを見つめていた。
「まあ、当たり前に衝突もありましたけど」
付け足すようにコウダは言った。
「でも、基本的にうまくやっていた方だと思います。――ミナミダが眠れなくなるまでは」
その展開を、ヒヤマは何となく予期していた。だから驚かず、コウダからすっと視線を外した。コウダは俯いて皿の洗剤を流していた。
「ミナミダは俺と同じ可眠者でした。だから現場の仕事で知り合いました。だけど不眠になって――あいつは精神的に不安定になっていきました。仕事ができなくなったのも、不眠保険に入っていたとはいえ、やっぱり堪えたみたいです」
皿を洗い終えたシンクに手の水を払い、それをタオルで拭うと、
「俺、どうしていいのかわからなかったんです」
そう言った。
「どうするのが正しかったのか」
コウダは冷蔵庫を開けて作り置きの麦茶を取り出し、コップに注いでぐいと飲んだ。
「たぶん、まだわかってない。だから……」
言葉をとめたコウダにヒヤマは視線を向けた。コウダはコップにわずかに残った麦茶を見つめている。
「ヒヤマさん、明日は予定とかありますか?」
コウダがコップを置く。ヒヤマから表情は見えなかったが、どうやら少し緊張している声色だった。
「いや……特に、ないけれど」
「少し、付き合ってもらえませんか。ちょっと、一緒に来て欲しいんです」
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