15 / 20
8-1
電車の中、コウダはほとんど喋らなかった。ヒヤマもうまい話題が見つからず、お互いに黙って車窓を見つめていた。
そして電車を乗り換え私鉄に乗った。コウダの足取りはほとんど迷いがなく、おそらく通い慣れた場所なのだろうとヒヤマは思う。
見慣れない景色が流れていく。ヒヤマは私鉄に乗った段階で、目的地の見当がついていた。わざわざこの路線に乗るということは、きっとあそこに向かっているのだろう。
そしてコウダはその予想通りの駅で降りた。大病院のある駅だ。ヒヤマは職業柄この病院のことは知っていた。医学部時代の同級生もここで働いているはずだ。
「こっちです」
案の定、コウダは病院へと向かった。
ヒヤマは、コウダがなぜ自分をここに連れてきたのか、やはりなんとなくわかっていた。
病院の敷地に入り、公園のようになっている広場を歩きながらコウダが言った。
「母が、ここにいます」
それも、予想通り。
そして二人でエレベーターに乗り込んだ。
「会って、欲しくて」
だから、どうしてとは聞かなかった。ヒヤマにそれを断る理由はない。
エレベーターが止まり、扉が開いてコウダは歩き出した。出迎えた看護師たちと親しげに挨拶をしている。看護師たちはヒヤマを見た。その視線には、不思議な温かさがあった。
二人は一番奥の病室へと向かった。
「ここです」
コウダは引き戸を横に引いた。
ぴ、ぴ、というモニタの断続的な音。シュー、シューという人工呼吸器の音。それ以外音のない静まり返った部屋。
「母です」
呼吸器と点滴をつけられた、髪の毛の長い女性がベッドに横たわっている。
ヒヤマは、その景色を予想していた。していたからこそ、その景色をどう捉えればいいのかわからなかった。
コウダは女性の脇にたち、かがみ込んで話しかけた。
「母さん、ヒヤマさんが来てくれたよ。前にも話しただろ」
ヒヤマはじっと彼女を見つめていた。与えられた点滴の種類、つけられた計器の類、それらを見れば彼女がどういう状態にあるのか想像は容易かった。
コウダがヒヤマに向き合って言った。
「これが、俺がお金が必要な理由です」
「俺にとって眠りっていうのは」
彼女のそばで、コウダは話した。
「母に会いに行くみたいなものなんですよ」
話しながら、彼女の目から涙が一筋流れたのをヒヤマは見た。じっと見ているヒヤマに気づいたコウダは、
「よく流れるんです。不思議ですよね」
そう言った。
その話ぶりで、ようやくコウダは自分が眠るときに泣いていることに気づいていないのだと理解した。しかし、別にそれを改めて教えるタイミングでもなく、結局言うことができなかった。
母。眠り。ヒヤマの脳裏に蘇った光景。それについて話そうかヒヤマは悩んだ。
どうにも決心がつかず、そのせいで何も話せずにいた。
病室を出て、駅までの道を歩く。
「ちゃんと説明してなかったなって思って」
「え?」
「家にお世話になってるのに、どうしてお金が必要なのか。ちゃんと説明しないとって思ったんです。すみません。急にあんな」
ずいぶんとなめらかにコウダは話した。まるで準備していた言葉のようだった。
ヒヤマは首を振る。
「僕は大丈夫」
呟くヒヤマを、コウダは見つめた。微笑んでいるようにヒヤマには見えた。
最寄りの駅に着いて、電車に乗る。
「今日は、本当にありがとうございました」
ドア脇の手すりに寄りかかるヒヤマに、吊り革に掴まったコウダが言った。
それから再び、会話がなかった。乗り換え駅が近づいた頃に、
「――俺、やっぱり荷物取りに行ってきます」
コウダが言う。
ヒヤマはコウダを見た。思ったよりすっきりとした表情だった。ヒヤマの視線に気づいたコウダは言った。
「さすがに、そろそろ不便なので」
そう言ってちゃんと笑った。
その顔を見れば、ヒヤマが無理に着いていく理由もなかった。
「そう。わかったよ。気をつけてね」
ターミナル駅で、ここで乗り換えます、と彼は電車を出て行った。
ヒヤマはコウダの背中を見送る。
ドアが閉まる前に、人混みに紛れてその背中は見えなくなった。
ともだちにシェアしよう!

