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 ヒヤマは家へ向かった。一人きりで、暗い道を歩く。  ヒヤマは自分の体を強くさすった。  慣れてきたはずの夜道が嫌に寒い気がして、そうか、自分は今一人で歩いているのだと思う。  車が来ても気を遣う必要もなく、耳に馴染む綺麗な声もなく、歩幅を合わせる必要もなく、振り返る必要もなく、誰かが近くにいてくれるという喜びもない。  ヒヤマはマンションに着いた。鍵を開け部屋に入る。真っ暗な家の電気をつける。玄関に揃えられた靴はない。  家は静かだ。誰かの気配がない。  この家はこんなに広かっただろうか。  一人で住むには広すぎるこの家。  そしてヒヤマは唐突に理解する。  ――ああ、そうか。僕はコウダのことが好きなのか。  ヒヤマは気力もなくそのまま部屋に入ると、電気も点けずにベッドに横たわった。夕飯を食べていないから空腹なはずだが、食べる気にもならなかった。  ――どれだけそうしていただろう。  ヒヤマの耳に、玄関の扉が開く音が聞こえた。それから電気が扉の下から薄く差し込む――。コウダが帰ってきたとヒヤマは思う。  ヒヤマは安心しなかった。むしろ不安になった。  二人はどんな話をしたのだろう。どんな言葉を交わしたのだろう。二人はどうなったのだろう。  静かに、遠慮した手つきで部屋のドアが開いた。  明るい光が室内に差し込んで、コウダが室内を覗き込んでいる気配がする。ヒヤマはじっと身を固くして、眠ったふりをした。何も聞きたくなかったから。  馬鹿みたいだと思った。  ヒヤマが眠れないのは、お互いよく知っていることなのに。  寝れないくせに。  こんなこと。  ――コウダは何も言わずにゆっくり扉を閉めて、差し込む灯りも細い線になってやがて消えた。  ヒヤマは眠れないままに横になり続けた。  時間がどれだけ経っただろうか。おそらく、思ったほどは経っていないのだろう。今時計を見たらきっと絶望してしまう、そう思ってヒヤマは横になって壁を見つめ続ける。  夜は長い。夜は寂しい。  こんな夜は久しぶりだった。  ヒヤマは思った。今、この壁の向こうにはコウダがいる。  そのはずだったのに、それが正しいと思えない。本当にこの向こうにコウダはいるのだろうか? コウダと住み始めてからずっと、ヒヤマはその存在を強くそばに感じていた。それに今気がついた。  壁の向こうは静かだった。  まるで一人きりみたいだ。  いや、本当に一人きりなのかもしれなかった。夜はいつだって一人で迎えるしかない。  ぼんやり霞んだ意識の中にいて、それからぐいと引き起こされる。時間を思わず確認した。三時だった。  どうやら、もう眠りは訪れそうにない。  ヒヤマは諦めて起き上がり部屋を出た。リビングに向かい、カーテンの隙間から外を覗いた。夜だった。見慣れた夜の景色だ。多くの家で電気がついている。ああ、みんな眠れていないのだ。そう思うとヒヤマは少しだけ安心した。ヒヤマはそれをしばらく見つめて、自室へと戻ろうと歩き出した。自然と書庫の前で足が止まった。彼の手がそのドアノブに伸びて、それを捻って扉を開けた。  暗い部屋。慣れた書庫の本のにおいの中、嗅ぎ慣れない他人のにおいがある。彼はドアを開け廊下の明かりを取り込んだまま、コウダのベッドの隣まで歩いた。  そこにはコウダが眠っていた。コウダがそこにいて、ヒヤマはとても安心した。嬉しかった。  ヒヤマはコウダを見下ろした。廊下から、彼の顔に四角い光が注いでいる。安らかに閉じられたまぶたの中の眼球は、今は動いていない。コウダは深く眠っている。  ヒヤマはその脇にしゃがみ込んだ。しばらくそうして、彼の顔を――美しく安らかな寝顔をじっと見つめて――少しだけかがんで、彼の唇にキスをした。  唇の触れ合う優しい感触がヒヤマを満たした瞬間、彼はばっと顔を背けてそれを剥がした。  ――これは。これでは。  激しい後悔が彼を襲った。  コウダは安らかに眠っている。  ――自分はあいつと同じじゃないか?  体に張り付くようなあの不快感が蘇る。あの時に何度も感じた不快感だった。  ヒヤマは慌てて部屋から出た。自室に戻る。違う、あれは違うんだと自分に言い聞かせる。同じものではないはずだ。だけれど、きっとそれはただの言い訳で――。  彼はそれをいけないと思う余裕すらなく、何かにすがるようにパソコンを立ち上げて、モニタリングされているコウダの睡眠データをチェックした。  寸分の乱れのないグラフが表示される。  その容赦のない表示を、ヒヤマは美しいと思った。  これはとても美しい。  ヒヤマはそれを、ぼんやりと他人事のように見つめている。

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