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「落ち着きましたか」  コウダがマグカップに白湯を入れて手渡した。ヒヤマはソファに座ったままそれを受け取る。右手でそれを持っていると、空いた左手をコウダが握った。  壁の時計は三時半を示している。 「すまない、見苦しくて」  コウダは首を振った。飲み込んだお湯がゆっくりと体内を温めて、ヒヤマは落ち着きを取り戻した。そして自然と話し出した。  ずっと話していなかった、自分の話だ。 「父が、幼い頃に亡くなって――母はそれをよく眠るように死んだと言っていた。子供を安心させようとしていたんだと思う」  ヒヤマはマグカップを置いて、右手で頭を掻いた。  ずっと考えないようにしていたことだった。 「だけれど僕には、それがきっととても怖かった。それが、穏やかで美しいものだと思えなかった。僕が十九歳のとき、今度は母が事故で死んだ。ひどい事故だった――それなのに、母は本当に眠るような顔をしていた」  覚えている、あのときの母の顔。 「夜が連れて行ったんだと思った。夜が母を連れていったんだ」  ヒヤマは自分が夜の住人だと思っていた。しかしそれは間違っていたのかもしれない。夜は彼を暖かく見守ってくれたことなどない。 「夜はとても怖い。眠ることはとても怖い。だから僕は眠りたくない」  それは今まで自分の中で絡まっていた糸がほどけるみたいにするすると口をついて出た言葉で、ああそういうことかとヒヤマは思った。  自分が何を恐れていたのか。  ヒヤマはその事故のあとに、眠れないときは――眠らないようにと必死で夜中に勉強をして、大学を受験し直した。 「僕はそれが怖かったんだ」  コウダは何も言わずに手を握っていた。ヒヤマがコウダに視線を向けると、コウダもそれをしっかりと受け止めた。 「僕が眠れなくなったのはそれからだ」 「僕は眠るのが怖くなった」 「連れて行かれるんじゃないかと思ったんだ」  言い切って、ヒヤマは一つ息を吐いた。少し落ち着いた。 「子供は眠るのが怖くて泣くらしい。まだ眠るということがわからないから。それが正常だって知らないから」  自分はわかっているだろうか?  自分はいつから大人になったんだろう。大人になってしまったのだろう。  それとも、自分はまだ大人ではないのだろうか? 「そして子供は欲しいものは欲しいと素直に言う。駄々をこねる」  自分は欲しいものをちゃんと欲しがっているだろうか? 「それはきっと、本当は大事なことだ。欲しいものを欲しいとちゃんと認識するのは、大事なことなんだ」  ヒヤマはコウダを見た。コウダはまっすぐヒヤマを見る。いつものように感情の見えないコウダが何を思っているのか、今のヒヤマにはわからない。  それでもきっと、そこには何かがある。 「君を抱きしめて――僕はこれが欲しいんだと思った」  ヒヤマはそれを手に入れたかった。  今のすべてを失うことになっても、駄々をこねてそれを手に入れたい。 「僕は君が好きだ」

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