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15-2
検査室のベッドの上、コウダの腕は居心地悪そうに何度も宙を掻き分けている。
時刻は深夜三時。コウダが検査室に入ってから四時間が経っていた。
ヒヤマの隣のカンザキは何も言わずにじっとそれを見ている。
ヒヤマも何も言わなかった。
沈黙。
それでも、ヒヤマはじっと見つめ続けた。やがて痺れを切らしたカンザキは振り返ってモニタを確認した。ヒヤマはそのモニタを一度も見ていない。見たくもないし、見るまでもなかった。
それを見て、カンザキは一言、
「バクが来たな」
ヒヤマはそれでも、じっと、眠れずに身じろぎする彼を見つめていた。
ふう、とカンザキはため息をついて、ヒヤマの肩に手を置いた。
「行ってやれ」
そう言われた。
それは、検査の中断だった。
コウダは不眠者になった。認定された。
そのとうに知っていたはずの事実を受け入れるのに時間がかかった。ヒヤマは愕然と振り返ってカンザキを見つめた――カンザキも、ヒヤマを見ていた。
信じられない気持ちだった。わかっていたはずなのに。
もう少し、あと少しすればきっとコウダは眠れるんだ。いつものように安らかに眠って、朝まで目が覚めないんだ。
そう思った。
そんなことはないと知っていた。
「近くにいてやれ」
視線を落としたヒヤマに、カンザキは「俺は少しだけ寝る」と言って部屋を出ていった。それから少ししてヒヤマも部屋を出て、隣の観察室の扉に向かう。
ノックをせずに、扉を開けた。
「トモキ」
暗い部屋。布団の上で動きの気配がある。
「電気、つけるよ」
そう言って、扉の脇のスイッチを押した。室内灯が光って照らされたベッドには、コウダが座っていた。俯いている。
「だいじょ――」
「ごめんなさい。力に、なれなくて」
コウダは力無く笑った。
「俺、寝れなくなっちゃった」
ヒヤマはコウダの体からぶらさがったコードを見て、それから壁を見る。そこにはマジックミラーがある。そこから自分はずっと見ていたのだ、観察していたのだと自覚する。
ヒヤマは思い出した。
――重要なデータが取れるかもしれない
――彼の完璧な睡眠が乱れる日が来たら
――それを捉えることができたら
――その原因を探ることができれば
――そこに人類の不眠の原因を見つけられるかもしれない
彼はずっとそう思ってコウダを見ていた。
コウダもそれを知っていた。
ヒヤマは引き裂かれそうな気持ちになって、ゆっくりとコウダに近寄ってその計測器を一つずつ剥がしていく。それを見ながらコウダは言った。
「眠れないって、こんな感じなんですね」
「夜が長くて」
「どうしていいかわからなくて」
「すごく怖かった」
コードがうまく剥がせない。なぜだろうと思って、指先に力が入らないからだと気づく。手が震える。言うべき言葉が見つからない。
コウダは話し続ける。
「でも俺、眠れなくなって、ちょっと嬉しいんです」
そう言われ、ヒヤマは思わずコウダの顔を見た。コウダは俯いて、まつげがまばたきに合わせて静かに上下している。
すっと視線があがって、ヒヤマを見た。
「だって、ようやくヒヤマさんのことちゃんとわかった気がする」
ヒヤマの視界が涙で滲んで、潤んで歪んだ。だけれど泣くわけにはいかなかった。
そんなことは。
そんな世界は知らなくていいんだ。
大きく叫びたかった。だけど唇が震えて声が出ない。
「それに――俺が寝れない間、ヒヤマさんはちゃんとそこに生きてるでしょ?」
まだ溢れていない涙で、コウダの表情がわからない。
だけれど。
ああ、あの仮説だ。
『自分が眠っている間、世界が止まっているとしたら?』
ヒヤマはそれはどちらでも同じだと思っていた。
だけれどそれは違った。全く違う。
それはとても大きな問題だ。
自分が寝ている間に世界が止まってしまうなら、自分が眠っている間世界がなくなってしまうなら、それはその間コウダもいなくなってしまうということで、――
こんなに悲しいことはないじゃないか。
コウダにそこにいてほしい。自分が寝ていても、自分が死んでしまっても、コウダにはちゃんと存在していてほしい。
ヒヤマはたまらず、目の前にぶら下がったコウダの手にすがりついた。その手を確かめるように優しく、やがて強く握りしめて、指の先の爪の硬さを確かめ、しっかりと骨を感じる節をなぞり、ゆっくりとその手を自分の顔へと持っていく。
その手が温かく頬に触れ、ヒヤマの口からこぼれるように声が漏れた。
そしてようやく涙が溢れ出した。
うめく声を漏らす口の中へ流れ、顎へ流れ、触れるコウダの手を濡らす。
「ヒヤマさん」
声が聞こえた。
「離れないでくださいね、俺から」
ヒヤマは泣きながら思う。
離れるものか。
絶対にこの手は離さない。
「ありがとうございます」
ヒヤマは絞り出すように泣いた。声も、涙も、どこまでも溢れ続けた。
そして泣き疲れたヒヤマは、深い眠りの中へと落ちていった。
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