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第5話 逃げられない
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どんなに耐えかねると思っても、解決の仕方は一向に分からない。どれほど思い悩もうとも、結局はそのケアを受け入れ続けるしか無かった。
そうは言っても、周りに助けを求めようとしたことはあった。最初にケアという名の暴力を受けた後、悩んだ末に知紀のご両親を尋ねた。そして、彼の不可解な行動について相談したところ、彼らには思い当たる節があったらしく、あることを教えてくれた。
「本当にそう思い込んでしまってるのね」
梅野のおばさんはそう言うと、おじさんと目を見合わせて長いため息をついた。そうして、二人で涙ながらにあることを話してくれた。
あの日、知紀がケアをしたと思っている初めての日の日中、僕が仕事に行っている間に、彼は一度倒れていたのだ。そして、それはどうやら追い詰められた挙句のことだったらしい。それから何か様子がおかしいとは思っていたのだと言う。
昼下がり、いつものように縁側でぼんやりしていた知紀は、突然庭へ走り出ると大声を上げ始めた。自分は役立たずなのだ、自分があの火種に気がつけるほどの嗅覚を持っていれば、涼介は死なずに済んだのだと言って、激しく泣いては酷く暴れたらしい。そして、それは喉が潰れて声が枯れてしまい、力尽きて倒れてしまうまで続いた。
何事も無い状態で突然そんなことがあれば、おそらく慌てて病院へ連れて行くだろう。でも、彼が突然乱心しても誰も驚かないほどには、梅野の家族は、こういう事に慣れてしまっていた。
知紀は、涼介を失ってから心の調子が整わず、ずっと不安定なままだった。だから、彼が家で暴れていたとしても、今更誰もそれを嘆く事も無い。いつものことかと思いながら、彼が落ち着くのを待っていたそうだ。
それがそうでは無かったと分かったのは、力尽きた彼が突然眠り込んでから、数時間が経った後のことだったらしい。目を覚ましたかと思うとすっきりとした笑顔を見せ、自分の第二性はガイドだと、センチネルである僕の役に立てる存在になったのだと言い張るようになってしまったそうだ。
——「母さん、聞いてください。俺、なんとガイドの力を授かりました。だから、仕事で疲れた雪弥のケアは、これからは俺がしてあげようと思うんです。俺たち、ボンディングしてパートナーになりますね。きっと、涼介も雪弥と俺がそうなることを望んでいると思うんです。いい考えでしょう?」
それを聞いた時、おばさんは絶望したと言う。ああ、もうダメなのかと、孤独は彼をここまで狂わせてしまったのかと思ったそうだ。
「ユキくん、もし少しでも知紀を不憫に思ってくれるのなら、どうかしばらくの間あの子と一緒にいてあげてくれないかしら。あなたは薬さえあればコントロールが効くんでしょう? でも、知紀にはそれが出来ないのよ。酷いことを言ってるのは分かってます。でも、お願い。しばらくの間でいいから……」
おばさんはそう言うと、僕の足に縋り付いて泣いた。
その申し出を引き受けることが間違っていることは、分かっていた。でも、小さな頃から知っていて、母親代わりのような事もしてもらった事もあるおばさんだ。その人のそんな姿を見ていると、胸が千切れるように痛んだ。こんなに懇願を受けているのに、それを断れるほど、僕は強く無い。
「……分かりました。僕の苦痛は、薬でなんとかします。しばらくは今のまま、知紀と二人で暮らします。ただ、僕の家族にはこのことは言わないでもらえますか? 父に心配をかけたくありませんので」
「ありがとう、ありがとうユキくん」
足に縋りついたまま泣くおばさんに、僕は何も言えなかった。
彼から涼介を奪ってしまった罪悪感も手伝って、僕はその申し出を受け入れることにした。そうすることで起きる不都合を、どう解決したらいいのかなんてまるで分からないのに、どうしても逃げることが出来なかった。
そして、その呆れるほどの判断能力の低さのせいで、今でもその苦しみの中に生きている。
ケアという名の拷問は辛い。
そもそもそれが必要になる状態というのは、僕が仕事で能力を解放し、神経活動が過剰になり、精神的にも肉体的にもすり減った状態であるということだ。出来ることなら、何の刺激もない凪いだ世界に身を置いて、そのひりつきが無くなるまでじっとしていたい。
それにも関わらず、ミュートの知紀のケアという名の暴力を受ければ、何の癒しも回復も無いままに、その神経のひりつきだけが増幅され、ただ痛めつけられる時間を過ごすことになる。それは、僕にとっては拷問以外の何ものでもないだろう。
しかも、自分はその苦痛の中に在るのに、ケアをしたつもりで浮かれている知紀に、ガイディングが上手だったよと嘘をついてまで、彼の機嫌を取るようになっていた。
つまり、僕は毎夜全ての神経が焼き切れてしまうほどの苦痛の時間を過ごし、命をかけて幼馴染の機嫌をとっているということになる。なんて愚かなんだろう。そう思ってはいるのに、どうする事も出来ない。
「僕が涼介を死なせてしまったからこうなったんだ。命をなくすことに比べたら、こんな事くらい、どうという事もないだろう。やり過ごせばいい。終わるのを待てばいいんだから……」
そう呟き、悲鳴をあげる感覚を全て押しつぶす事しか出来なかった。これは、高レベルセンチネルとして恵まれた生活をしている僕が、その使命を怠ったが故の罰の日々なのだと、そう思って受け入れるしか、いや、受け流したつもりになるしかなかった。
ゾーンアウトしないように、正気を保ち続けるように、いつか自由になれる日まで踏みとどまるんだ。そう思いながら耐えているだけのこの夏は、いつも口の中に苦味が付き纏っていた。
苦しみを紛らわせるための大量のお酒と、一方的な行為後の嫌悪感による吐き気。振り解こうとしても離れていかないそれらの苦味が合わさって張り付き、僕から生きる喜びを少しずつ奪って行っていた。
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