8 / 29
第8話 溺れる日々3
「最近院長の息子が急に付き合いやすくなったって噂が回ってるらしいんですよ。多分、あわよくば恋人にって思ってる子達ばっかりだと思います。断りきれなくて……すみません」
「ああ、なるほど。実は遊び人だったっていう説を信じてる人が多いらしいですもんね。その噂、本当だったらいいんですけどね。実際のところは、遊びたくても相手に触れることも出来ないですから、遊ぶなんて夢のまた夢ですけれど」
僕がそう返すと、石田さんは「そうですよね」と言いながら困ったように笑った。
これまであまり飲み会に行かなかった僕が急に参加し始めた事で、院長の息子は遊び人だという噂が急激に回り始めた事は、僕も知っている。そして、それを間に受けたスタッフ達が、そんなに簡単にお近づきになれるのであれば、ケアパートナーかセフレ、あわよくば恋人、そして病院長夫人もしくは夫夫に……という目論見をしているという事も、もちろん僕の耳に入っている。
というよりは、知らないでいる方が難しいのだ。
正直、自分の噂など聞きたくも無い。でも、そこはセンチネルだ。どうしても聞こえてしまうのだから仕方が無い。そして、あまりに早く蔓延したその噂に辟易としたものの、否定するのも面倒だったので、そのままにしている。
そもそも、僕は女性を好きになれないので、お付き合いも結婚も、相手が女性だという時点で無理な話だ。けれど、それを明かすと飲み会への参加自体が難しくなるだろう。うちの病院スタッフは女性が多い。彼女たちを敵に回してしまうと、どうなるかは目に見えている。
利用価値の無い高レベルセンチネルなど、ただの面倒くさい人に違いない。玉の輿に乗れるかも知れないという淡い期待が無くなれば、声はかからなくなるに決まっている。そうなると、僕の退勤後の居場所が減ってしまうのだ。それは僕が困る。だから、ずっと自分のセクシャリティと遊んでいるかどうかについての質問には、明確な答えを返さないようにしている。
ずるいのは分かっている。でも、本当の理由を正直に話すわけにもいかない。
それだけは、絶対にしないと決めている。だから、遊び人だと噂されることは、僕にとっては正直好都合だった。
——自分のことしか考えてない、最低な人間だな。
そんなことを考えていると、石田さんが僕をじっと見つめているのが伝わってきた。
ここは狭いテーブル席で、彼女と少し触れ合う部分がある。そこに一瞬、激しい痛みが走った。続いてそこから何かを抜き取られるような感覚がしてくる。まさかと思い石田さんの顔を見ると、彼女は何かを納得したように頷いていた。どうやら、僕の心を少し読んでいるらしい。
手が足に触れ、銀色の光が彼女へ向けて流れていた。思念の糸が、彼女の方へと伸びていく。彼女は、その僕から抜き取った感情を、自分なりに解釈したのだろう。ふっと息を吐くと、軽く被りを振った。
『そ……と、ない』
読み取った僕の想いに感化されたのだろうか、目尻が赤くなっているようだ。眉根もぎゅっと寄せられている。鼻を啜りながら、その頭をぺこりと下げた。
『む……んで、ごめん……さい。感情……け、読み……た』
そうして、無断で精神感応 をした事を詫びて来た。
ガイドは、センチネルと精神感応 で意思の疎通を図ることが出来る。
ただ、それをクリアにするためには、ボンディングと呼ばれる魂を共有する契約が必要で、それをするためには、二人に深い繋がりがなければならない。
そして何よりも、ある程度お互いのレベルが近くなくてはならないという大前提がある。
石田さんは僕のレベルには遠く及ばないため、彼女からの送信にはどうしてもノイズが乗る。はっきりとは聞き取れなかったけれど、それでも彼女が言いたいことは理解出来た。
『大丈夫です。でも、これ以上は読まないで下さいね』
僕からは、彼女を壊さないために、出力を限りなく落としてそう返す。
しかし、石田さんはそれを受け取った瞬間に、びくりと体を跳ねさせた。彼女の額に、玉のような汗が浮かぶ。
それは、あの程度の送信であっても、彼女にとっては大きな負荷となってしまったのだという事実を、如実に物語っていた。
「——月本さん自身が遊び人かどうかは置いておいても、みんなが月本さんと仲良くなりたいなって思っちゃうのは仕方ありませんよ。毎日見てても飽きないその綺麗なお顔に、人柄、家柄って揃ってくるんですもん。レベルさえ合えば、私だってぜひお付き合いしたいって思いますからね」
共感した内容には触れず、言葉で交わした事だけにそう答えながら、彼女はそう言って戯けてみせた。ただ、彼女のその笑顔には、先ほどまでとは違って、僕への哀れみが含まれている。
誰よりも僕の人生の大変さを知っている彼女は、その壁を越えることがどれほど難しい問題であるのかを身に染みて知っているのだ。今起きたことも、そのうちの一つだろう。
人と触れ合わないと回復出来ない性質に生まれながら、人に触れると相手を傷つけてしまう。これまで一度もその壁を越えられず、ただ苦しみの中に生きている僕を、彼女は仕事のパートナーとして誰よりも見て来たのだ。この気持ちは、おそらく冗談ではないだろう。その言葉に、鼻の奥がつんと痛んだ。
「——僕も、石田さんと恋人になれるものなら、なりたかったですよ。僕を理解して、いつも見守ってくれてて、本当に感謝してます。ありがとう」
そう応えると、彼女は眉根を寄せた苦しそうな顔で頷き、泣き崩れないようにと頑張って笑顔を貼り付けてくれた。
ともだちにシェアしよう!

