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第9話 楽しさの代償
それから二時間ほどが経ち、日中の疲労からか酔いの回ったみんなは良い心地になったようで、スタートの時よりも楽に話せるようになっていた。ただ、気を許したと思われたのか、女性陣からの言い寄られ方が強引になりつつある。
「月本さーん、この後良かったら、私たちともう一件どうですかぁ?」
数名の女性が僕を取り囲み、飲み直そうと言っては詰め寄られていた。
気持ちは嬉しい。でも、その中には僕にケアをすることが不可能なレベルのガイドとミュートしかいない。一緒にいる間にもし僕に何か良くない変化が起きたとしても、彼女たちには僕のケアをする事ができない。それは、とても危険なことなのだ。
誰かといる時に、精神や神経の疲労の限界を超えるような状態を引き起こしてしまったら、すぐにそこから引き戻してもらい、ケアをしてもらわないといけなくなる。その対応が遅れてしまうと、最悪の場合は脳機能が停止してしまい、最終的には命を落とす危険性がある。
しかし、病院勤めであることが仇となるのか、職場の近くで飲んでいるくらいであれば、何かが起きても大丈夫だろうと安易に考えられがちだ。でも、それはセンチネルに理解のない人にしかない発想なのだ。
ゾーンアウトしたセンチネルは、本当にあっという間に亡くなってしまうことが多い。アウトしてしまった本人は、狂ったように苦しみながら、神経が破壊され尽くすのをただ待つだけになってしまう。そんなことは、考えるだけでも恐ろしい。
それに、万が一ゾーンアウトして命を落とすような事があれば、その時一緒にいた人にも、ずっと消えない心の傷を残すことになるだろう。
そんな風に、センチネルは人の役に立つこともできるが、迷惑をかけることにも長けている。そして、生きているだけで迷惑をかけることの方が明らかに多いという、厄介な運命を背負った存在なのだ。
「ごめんなさい。僕ちょっと調子が悪くなって来てて、応急処置を受けないと、大変なことになるかもしれないんです。ほら……」
そう言って、誘いをかけてきた子の目の前に両手を差し出した。居酒屋という空間でストレスを溜め込んだ体は、すでに限界を迎え始めていた。もう両手は軽く震え始めている。
能力制御のためのアクセサリーをつけていても、長い時間騒がしいところにいるとどうしてもこうなってしまう。五感をコントロールしながらの飲酒と歓談は、能力の解放と制御の頻度が激しく、限界が訪れるのが早くなってしまいがちになる。
その上、今日は意外にも業務の話で盛り上がり、つい長居をしてしまった。そのせいで、いつもより影響が強く出てしまっている。
「あ、これってゾーンアウトしそうになってるってことですか? 大変、それならどこかですぐにケアを……」
ここぞとばかりに攻め込もうとする救命の看護師さんに、ゆっくりと被りを振ってそれを断る。何度もいうけれど、その気持ちはとても嬉しい。でも、今レベルの合わないガイドに触れられてしまったら、即アウトしてしまうのが目に見えている。
人に好意を持ってもらえるのは、幾つものセクシャリティの問題を抱える身であっても、とても嬉しい。それを無碍にしてしまうのは、とても心苦しい。ただ、どう考えてもこの想いに流されるわけにはいかない。申し訳なさに湧き上がるものをぐっと堪えながら、僕は出来る限りの笑顔を作り上げた。
「ありがとうございます。お気持ちはありがたいんですけれど、受け取る事は出来ません。ごめんなさい。僕、このままだと本当に危険なんです。だから、これから急いで僕の扱いに慣れている人のところに行こうと思います。その人であっても、完全に回復させることは出来ないんですよ。だから、少しでもダメージが少ないうちに、そこに辿り着きたいんです。……分かってくれますか?」
言ってる内容など伝わらないだろう。でも、理解してもらうために、会話している時間も今は惜しい。過ぎた刺激の中に身を置き過ぎたからか、身体中の感覚が消えそうになっている。このままでは、ここで倒れてしまうかもしれない。
——急いでプルシアンに向かわなければ……。
店内で倒れてママに迷惑をかけたりしないためにも、僕は強引にこの場を離れる事にした。
「じゃあ、お先に失礼します。楽しかったです、また誘って下さいね」
そう言ってふわりと微笑む。こうして相手に嫌がられた事は無い。思った通り、彼女たちは、蕩けるような表情で僕を見つめてくれた。そして、ようやく諦めてくれたのか、渋りながらも
「はい、お気をつけて」
という返事をくれる。ここで無理に引き止めないような人たちだからこそ、かえって申し訳なくなってしまうのだが、そこは自分を納得させて気持ちを断ち切った。
「ありがとう。では、お先に失礼します」
精一杯にこやかに微笑みながら頭を下げ、その場を後にした。それでも、すぐに視界がぐにゃりと歪み始める。予想よりも早いタイミングで限界を迎えそうだ。少しでも先へ進もうと思い、足を運ぶ。そうしながら、流れ出る冷や汗をハンカチで拭い続けた。
「まずい、急がないと……」
防御反応を通り越してしまったのか、また次第にビリビリと神経が張り詰め始めた。これはアラートだ。このままではここで倒れてしまう。歩いて倒れるくらいなら、店の前で倒れることになった方がマシかもしれない。僕は力を振り絞ると、意を決して走り出した。
「なんとか店まで保ってくれ」
左胸に手を当てながら、自分の体へと声をかける。どうしてかは分からないけれど、こうすれば少し落ち着けるような気がして、いつも自分を奮い立たせる時にはこうする癖がついている。今日もそうしたことで、胸元から力が湧くような気がしていた。
「よし、急ごう」
ほんの少しでもケアをしてもらえれば、僕にはそれ以上のガイディングは必要ない。それくらいのケアの間であれば、相手が高レベルとされるランクのガイドであれば、苦痛もどうにか耐えられるもので済むのだ。それは、拷問の痛みに比べれば、皆無に等しい。
「ママ、頼むよ」
そう呟きながら、僕に安らぎを与えることが出来る唯一の人が待っている場所をめざした。
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