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第12話 ケアバー プルシアン3

 彼女は高レベルのガイドだ。大体のセンチネルのケアをすることが出来るほどに、その能力は高い。 「うん。お願い」  僕は調子が悪くなると、ママから口移しで薬を飲ませてもらう事が多い。そうすると、彼女の唾液を取り込む事ができるので、ゾーンアウトまでの時間を稼ぐ事ができるのだ。 「……あ、ごめんなさい。今日ちょっとヒゲが伸びてるかもしれないわ」  ママはそう言うと、抑制剤を手にしたまま顎に手を当てる。その手に触れたヒゲが、ジョリっと音を立てるのが聞こえた。申し訳なさそうな顔でこちらをみている彼女に、 「本当だ。痛いと効きが悪くなるだろうから、ちょっとだけ触覚をマスクしておくよ」  と告げる。すると、僅かに顔を顰めながらも、ママは楽しげに笑い始めた。 「……なんか腹立つわね。でも、そうしてちょうだい。ごめんなさいね」  不服そうな顔をしつつも僕の顎へ手を添えるママに、僕も思わず頬が緩む。レベル差がある分、どうしても電気が流れるような痛みは感じるものの、他の人に触れられるよりはましだ。父さんの病院で扱う僕専用の抑制剤の次に頼りになるのは、間違いなくこのママだろう。 「うん、お願いします。……口の中までのガイディングなら、もうママに任せるよ」  僕はそう言って口を「あ」と開いた。 「はいはい。了解」  ママはそう言って頷くと徐に抑制剤を口に含み、グラスから水を口に溜め込んでいった。  そうして、カウンターへと身を乗り出すと、僕の顎を引き上げて口付ける。水がこぼれないように強く押し当てられた唇から、ピリピリとした軽い刺激が走った。 「ん……、っく」  冷たい水の中に、彼女の一部が紛れて僕へと入ってくる。それを察知しただけで、身体中から神経のヒリつきが凪いでいくのが分かった。  遅れて錠剤が喉を通り抜け、食道を滑る。そこから胃の中へと入り、胃壁に囲まれた洞窟の水底へとそれが落ちるのを感じた。ぽちゃり、と音が聞こえてくる。抑制剤はその中で少しずつ溶け出し、ふわふわと広がっていった。  それを感じていると、口の中に温かくて柔らかい舌がするりと入り込み、僕の意識が深く入り込みすぎないようにと、こちら側へ帰っておいでと案内が入る。一つのことに集中し過ぎて、ゾーンアウトしないようにという、ガイディングの基本のようなお導きだ。 「んぁっ、ふ、……ン」  ママの舌が僕の口の中をそっと撫でていく。その触れた場所から、じわじわと金色の泡が立つように、小さな快楽が生まれた。 ——ああ、気持ちいいなあ。  これだ。これこそが、本当のケアというものだろう。そう思っていると、じわりと目に涙が浮かぶ。  ケアとは、センチネルを幸せに導く魔法だ。苦痛の森へ迷い込んでも、きちんと現実へと戻るために、こっちだよと手を引いてくれる。それがガイディングであり、それを可能にする人をガイドと呼ぶ。  僕が普段受けているのは、苦痛の森の中へ入り込んだまま閉じ込められ、ただ夜が明けてそこから出られるようになるのを、ひたすらに待つという辛いものだ。それは、苦しみでしかない。こうして本当のケアを受ける度に、その想いが強くなる。  ママの生み出してくれたその泡は、ギザギザに尖りきっている神経の棘を落として行き、同時に丸くて甘いものだけをそこへ残していく。弱いお酒を飲んでふわふわと心地よく酔った時のように、刺激は全て穏やかに丸いものへと変わって行った。  幸せな気持ちが胸に溢れ、それを逃したくないと思ってしまう。もう少し、まだ少しと追い求めるように、ママの唇を喰んだ。でも、彼女はそれを許してくれない。僕のその動きに気がつくと、いつもそれをやめさせようとするのだ。 「んーっ、はい、おしまいっ! どーお? いい顔になったけど、割と効いたかしら?」  ママは僕の顎を掴んだままそう尋ねる。得意気にふんと鼻を鳴らすと、派手なリップ音を鳴らした短いキスで、ケアの終了を告げた。 「あっ……」  僕が名残惜しげにその接触を求めると、ママは被りを振りながら悲しい笑顔を見せる。その顔を見ると、僕も罪の意識に苛まれてしまった。 「これ以上はユキが辛くなるだけだからダーメ。深いケアは、レベル差があると痛みでのたうち回るくらい苦しむんでしょう? 私はあんたをそんな目に合わせたく無いもの。早く同レベルのガイド探しなさいね」  そう言って僕の額を指で弾くと、何事もなかったように仕事へと戻っていく。その背中には、軽い拒絶すら浮かんでいて、忙しそうなふりをしては徐にグラスを拭き始めた。 「うん、そうだね……」  抑制剤を口移しで飲ませてくれたから、ここに入った時よりは随分楽になった。でも、楽になるだけじゃなくて、もっと幸せだなと感じたい。無理だとは分かっていても、どうしてもそう願ってしまう。 「……僕が毎日家で苦しめられてるって聞いたら、ママはどう思うのかな」  思わずそう呟いてしまい、自分の浅ましさに目を剥いた。なんてことを考えたのだろう。これは誰にも明かしてはいけない、僕が一人で死ぬまで抱えていく秘密にしておかなければならないことだ。  月本雪弥(つきもとゆきや)は、幼馴染に抱かれるのが苦痛で、毎夜繁華街に逃げている……。そんなことを、他人に知られてはいけない。  これは自分で選んだ道なのだ。誰のせいでもない。本当に嫌なのであれば、知紀を突き飛ばしてでも断ればいいだけの話だ。それをそうしないのは、他の誰でもなく、僕なのだ。 ——今日もいつも通りにすれば大丈夫だ。それだけでも、きっと夜を越えられるから……。  僕は項垂れる僕自身に必死にそう言い聞かせて、どうにか小さく頷いた。

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