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第13話 ボンド
得られないものを欲しがり続けても、僕が辛いだけだ。その辛さを抱えたまま帰ることになってしまえば、そこから先の地獄を生き抜ける自信も無くなってしまう。そんなことになるくらいなら、全部忘れてしまえるように酩酊していた方がいい。
「ママ、今日もいつも通りお願いね」
背中に向かってそう言うと、ママは振り返ってまた悲しそうな笑顔を僕に向けた。少しの間、僕の目の奥を覗くような様子を見せ、ため息を吐く。そして優しく
「……分かった」
と答えた。そして、グラスを取り出し、ビールを注いでくれる。僕はそれをぼんやりと眺めていた。
居酒屋でもビールを飲んだから、お腹がいっぱいになるかもしれないなと考えていると、すぐそばでテーブルとグラスがコトンと音を立てていた。
どうやら一瞬意識が飛んでいたようで、金色に輝く液体とふわふわの泡で満たされたグラスの向こうに、怪訝そうに僕を見つめているママの顔があることにも気が付かなかった。
「うわっ、えっ、え? あ、ありがとう……」
「……どうぞ。どうしたの? もしかして、抑制剤が効き過ぎたんじゃないでしょうね。ちょっと痩せたみたいだし、ちゃんと食べなさいよ」
ママはそう言いながら、僕の目の奥を推し量ろうとしている。最近の僕の様子には、色々と思うところがあるのだろう。それなのに、何を訊いても大丈夫しか言わないから、こうして目を覗いてでも知ろうとしてくれているようだ。
本当なら、精神感応 すればなんでも分かるはずだ。でも、僕が必死になって隠そうとするから、勝手にそれを知ってはいけないと思ってくれているのだろう。
色々と無理を聞いてもらっているのに隠し事をしているなんて、ちょっとした裏切りのようにも思える。その後ろめたさに、僕は思わず目を逸らした。これじゃあママでなくても、隠し事をしていることに気がついてしまうだろう。それでも、本当のことは言わない。
「……うん、大丈夫。ちゃんと食べてるよ。今日はさっきまで職場のみんなと飲んでたから、ちょっと酔ってるのかもしれない」
そう答える僕に、諦めたようなため息を吐く。そうして、仕方がないと言いたげな視線を送ると、何事もなかったかのようにビールを注ぎ始めた。
「ああ、そうだったわね。だから遅い時間で大丈夫って言ってたのよね。じゃあ、今日はいつもより飲む量を減らして提供しようかしら。そうじゃないと、飲み過ぎになるでしょう?」
心配そうに僕を見つめながら、ママはそう言った。僕だって、こんな状態が続くと良く無いことくらいは分かっている。でも、半分暗示のようになっているルーティーンを、今日だけ変えてしまうのは恐ろしい。そうは思っても、それをうまく説明出来ない。仕方なく、ただ何度も子供のように被りを振った。
「それは……、いやだ」
「ええ? もう、本当にあんたは……。分かったわよ! でも、本当にそろそろこんな生活やめる事を考えなさいよ。いくら若いからって言っても、こんなに毎日じゃあ体壊すんだからね」
吐き捨てるようにそう言いながらも、優しい手つきでほんの少しだけ髪を撫でてくれる。その手の温もりと、こっそりしてくれているケアが、ものすごく嬉しい。鼻の奥がつんと痛んだ。
「……うん。そのためにも、奇跡が起きるのを待っててよ」
ビアグラスに映る青白い顔を見つめながら、僕はそう答えた。
でも分かっているんだ。この日々に終わりが来るのは、僕の人生が終わる時だ。僕の精神が焼き切れ、脳が壊滅的なダメージを蓄積してしまい、限界を迎える。その時にようやく終わりを迎えるのだろう。考えまいとしても考えてしまうそれは、想像するだけでとても辛い。
だから、今はお酒に溺れていたかった。
酔って意識を飛ばした状態であれば、帰宅後の苦痛もなんとか乗り切れると知った日から、僕はこうして毎日ここで、完全に潰れるまでお酒を飲んでいる。
弱い酒を長時間飲むと翌日が辛いので、強い酒を短時間で飲む。この行いは肝臓には悪いのだが、ゾーンアウトからは遠ざけてくれるのだ。そういう意味で、僕の精神にとってはいいものと言えるだろう。
何度か繰り返してベストな飲み方を割り出し、それをママに伝えて協力してもらっている。僕が酔い潰れたら知紀に連絡を入れてもらい、迎えに来て貰うようにしている。
そうすると、僕の役に立てたと言って知紀が喜ぶし、僕は完全に意識が無い状態で彼を迎え入れればいいので、彼の言うところの「ケア」を受けても辛くなくて済むのだ。
——早く今日を終わらせよう。
そう心に決めると、キラキラと輝くグラスを掴み、それをぐいっと勢いよく煽った。
「……そういえば、知紀はビールは苦いから苦手だって言ってたな」
僕は気が触れたのだろうか。自分を酷い目に遭わせていている男を想いながら、その男からの逃避のためのお酒を飲んでいる。なんて滑稽なんだろう。
でも、それも仕方がないことだ。今の関係がどれほど苦しいものであっても、僕にとっては仲良く過ごしてきた大切な幼馴染なのだから。
「ずっと好きだったんだし、ね」
そう、僕は彼に長いこと片想いをしていた。だからこそ、あんな目に遭わされても、彼を突き放せない。
知紀は、色白の肌とそれが映える艶のある長い黒髪、それに桜色の頬と唇を持ち、上品な目鼻立ちで穏やかに笑う姿が印象的な男だ。
春先に外出していると、彼が桜の精に見えると涼介が言ったことがある。何を馬鹿なことをと思っていたけれど、実際に夜桜の下に立っていた彼を見た時には、確かに桜の精にしか見えなかった。
彼の実家は料亭で、その事を誇りに思っていた彼は、小さい頃から両親の真似をして、日常的に和服を着ていた。儚い印象の彼が和服姿でいると、柔らかくも凛とした雰囲気を纏う。
そして、その魅力は何よりも内面の素晴らしさだろう。穏やかで優しく、懐の深い男だった。僕は、その儚くも強い意志を持つ彼に、密かに想いを寄せていた。
「そう言えば、友達の恋人を好きになってしまったんだって、相談したことがあったなあ」
胸元にあるらしい印をさすりながら、好々爺だった白藍さんの姿を思い出す。家族や友達は知紀と涼介が好き合っていることを知っていたため、僕の気持ちは誰にも明かすことが出来なかった。
それでも、当時中学生だった僕には、初めての恋を一人で抱えきれなくて、誰かに相談したくてたまらなかった。それを白藍さんに気づかれ、精神感応 でこっそり話していたのを覚えている。
「あの人に触られた時みたいに、触れても痛くなくて、むしろ吸い寄せられるみたいな心地良さを感じられる人に、もう一度出会いたいなあ」
そう呟いて、空になったグラスをカウンターへと置く。すると、入れ替わるようにして、ロックグラスが差し出された。
その中には、琥珀色の液体と丸い氷が見える。普通なら、これはゆっくりと味わって飲むものだろう。でも、僕には短時間で酔うという目的がある。ロックグラスを握りしめると、意を決して中の液体の半分を飲み込んだ。
「……ぐっ」
じり、と喉が焼けそうになる。ヒリヒリとした痛みの中で息を吐き出し、息苦しさを押し出した。こんな飲み方は、本来ならバーテンダーへの冒涜のようなものだろう。ママへの申し訳なさに胸が痛む。
丁寧に削られた氷、忙しい中でも徹底される、雑味を生まないための丁寧な注ぎ方。そして、溶け出しの管理。その全てを無に帰すような僕の飲み方は、他の店では到底許されないものだろう。
プルシアンは、僕が小さい頃、先代のマスターがいた頃から、家族ぐるみの付き合いが続いている。僕がガイドに恵まれないという事情を理解してくれているママだからこそ、こんな飲み方をすることを許してくれているのだ。
同レベルのガイドに出会うのが無理なのであれば、本来はケア専用のパートナーとして、レベルの近いガイドをマッチングして貰うものだろう。軽微なケアであれば、それで事足りる。そうなれば、相手は恋人でなくても可能だ。
しかし、知紀は僕たちは恋人同士で、自分をガイドだと思い込んでいる。恋人の僕の役に立ちたいと言って、ケアのために僕を抱くことを、他の人に譲ろうとしない。僕がたとえ軽微であったとしても、他の人のケアを受けることも許してくれない。
僕も、しばらくは彼のその病的な思い込みを正そうとしていたこともあった。でも、その度に混乱した知紀が激しく抵抗して暴れるため、それを宥めるのに疲れてしまった。だから、今はもうそれを受け入れてしまっている。
ただ、センチネルである以上、僕はどうにかしてゾーンアウトしないようにしなければならない。知紀とのことは話せないけれど、このルーティーンをこなさなければ生きていけないということだけは、ママにも話してある。だからこそ、酔って前後不覚になってからの帰宅を受け入れてくれているのだ。
この店の客の殆どは、ガイドを引っ掛けてケアルームに消えていくか、タトゥーの施術を受けているので、カウンターにはあまり人が来ない。今は、ほぼ毎日僕がここを独占しているような状態だ。
ビールを飲んだ後に、氷で濃さを調整してもらいながら、何杯か立て続けにバーボンのロックを飲む。僕は楽しむためにここへ来ているわけではないので、飲み始めると一切話さなくなるのだけれど、店側からも僕へは話しかけないようにして欲しいというお願いもしている。
そうして、飲みながら集中していき、色んな感覚を閉じていくのだ。最後のグラスに辿り着く頃には、もう何も感じなくなっている。その状態になる頃を見計らって、ママが知紀に連絡を入れてくれているそうだ。
「失礼します。最後のグラスです」
いつもなら、その約束は固く守られている。それなのに、なぜか洸哉 と書かれたネームプレートをつけたスタッフから、突然声をかけられてしまった。
「へ? ……キミ、られ? 僕には、はらしかけちゃいけないって……言われられしょ?」
日々続く地獄を乗り越えるために、他に打つ手がなく、唯一の逃げ道に使っているこの時間を邪魔されたことに、僕は憤りを感じていた。それでも最初は一言言えばいいかなと思っていたくらいだった。
それなのに、なぜだが怒りがどんどん強くなっていく。抑えきれない怒りが膨らみ、次第に抗議の声が大きくなっていった。しかも今は酔っているから、それをコントロールする事が出来ない。
「あっ、コウっ! ユキに話しかけちゃだめよ。ほら、こっち来て……。ごめんね、ユキ」
慌てたママがコウと僕の間に腕を差し込み、ぐっと彼を引き剥がす。それを見ていると、なぜかまた苛立ちが爆発し始めた。ぐっと眉間に力が入る。ママが慌てて僕の頭を撫でた。
「あー、中途半端に酔いが覚めちゃったみたいね。ごめんなさい。もう少しここにいていいから、コウのこと許してあげて。この子、最近カウンターに入って無かったから、忘れてたみたいなのよ」
ぐらぐらと揺れる世界の中で、ママが何かを詫びている。僕を唯一ケアできるママがそう言っているんだから、出来ればこの怒りを収めたい。
「ママっ! ぼ、僕をらいてもくれないくせに、おしゃけ飲むのもじゃまさせるらんれろういう……」
でも、僕はなぜか全く怒りが収まらなかった。
いつもなら、感情の全てもセンチネルの力も、精神力だけで上手くコントロールしている。いくらお酒を飲んでいたとしても、飲み過ぎて意識がなくなったとしても、僕がこんな風に怒ることなんてそうあることではない。
「ユキ、どうしたの? なんでそんなに怒ってるのよ」
「あの、ユキさん、すみません。俺が余計なことをしたから……」
困惑したママとコウが、僕を宥めようと必死になっている。でも、行き場を失っていた怒りがここぞとばかりに流れ出していた。不自然なほどに堰き止められていた思いは、一度溢れ出ると止まることが出来ない。
「僕にはっ! こ、これしか楽になれる方法がらいのに! 誰も、僕のことを救ってくれらいのに……。邪魔しないでよ!」
まるで駄々をこねる子供のように、みっともない顔で泣き始めてしまった。高く鋭いその声は自分の耳を攻撃して、クラリと目が回る。
「ユキ、落ち着いて。ほら、おいで」
「やだ! じゃあ抱いてよ! 僕、センチネルとしてちゃんと働いてる。それなのに、その疲労を回復させる方法が無いんだよ。もう辛いんだ。ずっと耐えるばっかりで……」
「分かったから、ほら、こっち向いてごらん」
これまで見せたことのない醜態に、ママも困惑したのだろう。キスまでのケアなら任せていたからか、強引に僕を抱き寄せようとした。その行動に、背筋がぞわりと冷えていく。
——いやだっ!
その時、初めてママに対して嫌悪感が湧いた。それは、能力の問題じゃない。面倒だから力で押さえ込もうとしたその行為が嫌だった。そのやり方が、毎晩僕へ暴力を働いていた頃の知紀そっくりだったからだ。
「……離してっ!」
そう叫んでママを突き飛ばす。でも、実際にはママはびくともせず、僕が足をもつれさせて倒れ込んだだけだった。
「ユキっ! ……危ないっ!」
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