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第14話 ボンド2

 気がつくと、目の前にはもう床が迫っていた。それには気がつけたのに、衝撃に備えた動きをとることが出来ない。  僕はこういう人だ。咄嗟の行動に難がある。父さんは僕が警察や探偵に向かないと分かっていた。だから、僕に傷病診断士を勧めたんだ。  頭はそんなことを考えているのに、行動では何もすることが出来ず、ただ迫ってくる床と衝撃に怯えるしか無かった。 ——助けて!  これまで誰かに助けてもらったことなど無いのに、なぜかこの時は珍しく素直にそう思ってしまった。普段見向きもしないくせに、神頼みをするようなものだろうか。  でも、僕を助けてくれる人なんてもういない。軽い絶望に見舞われながら、触覚の暴走を覚悟した瞬間、目の前に大きな腕が現れた。  大きな蛇のようにしゅるりと現れたそれは、僕の体をギュッと抱き竦める。そして、柔らかく僕を包み込むと、ピタッと吸い付くように離れなくなった。 ——あれ、この感じ……。  怪我が怖くて求めた助けに、思いもかけないご褒美を貰う。その腕は、僕の感情の昂りすぎた部分を引き受けて吸収してくれていたのだ。そして、代わりに心が溶け出してしまいそうなほどの温もりを、こちら側へと流し込んでくれている。  それは、僕がこれまでに感じたことのない幸福感を与えてくれていた。長い間体の底にこびりついてしまっていた悲しみや怒り、諦めという心の澱を、底から洗い流してしまうように軽くしていく。 ——これは……。ガイディング、だよ、ね?  その温もりの波は、僕が抱えていた問題の全てを、その僅かな時間のうちに洗い流して行った。流しては吸い出し、また流して消していく。次第に軽くなっていく心と体に、思わず呆けてしまった。  しかし、忘れてはならない。僕は今、まさに高い場所から落ちているところだった。そのことを思い出し、このままではまずいと思っていると、今度は焼けるような痛みに襲われた。ついに体が床に落ちてしまったらしい。ドンっという衝撃と共に、カウンターチェアを何脚か道連れにして、派手な音を立てながら、僕らは床へと転げ落ちた。 「うっ……!」  交通事故でも起きたのかと思うほどの派手な音が店に響き渡る。店内にいた何も知らないセンチネルたちが、何事かと騒めいた。  でも、そこはさすがプルシアン。パニックを起こさないようにと、スタッフたちが的確にガイディングを施していく。その光景を眺めながらも身動きがとれずに申し訳なく思っていると、打ちつけた痛みが思考を奪い始めた。  結構な高さから落ちたのだから、痛くないわけはない。でも、僕は頭を打たなかった。だからこの程度で済んでいるのだろう。  ただ、僕の後ろにいる人はそうはいかないはずだ。恐ろしくなったけれど、相手の状態を確認しなくてはならない。僕は、背後で呻き声をあげている彼に声をかけた。 「あの、コウさん……だよね? だ、大丈夫ですか?」  振り返って顔を見てみると、やっぱりさっき僕に話しかけてきたコウというスタッフが、僕を抱きしめたまま顔を顰めて倒れている。自分が下になって落ちたにも関わらず、彼はまだガイディングをし続けてくれているようだった。  触れ合う肌から伝わる温もりに、固く閉じていた心のガードが緩んでいくのがわかる。  そして、その度に強く抱きしめられた。その閉じ込められていく感じが、なぜか僕をまた幸せに導いてくれる。初めて味わう感覚に、痛みも忘れて、思わず胸を高鳴らせた。 「ユキっ! コウっ! 二人とも大丈夫?」  ママは、青ざめた顔で僕らの前へと座り込むと、心配そうに僕らの顔を交互に覗き込んだ。忙しなく僕らの頭を撫で回している彼女に、目を閉じていたコウがふっと笑みを溢す。 「いてて。大丈夫、大丈夫ですから……。やめて、ママ。髪が絡まります」  その声を聞いて、ママはほっと息を吐く。力が抜けたのか、その場にへたりと座り込んだ。 「あー良かった! チェアが倒れてうるさかっただけよね? そんなに派手にぶつかってないわよね? 頭は? 打ってない?」 「——だから、大丈夫ですって。髪ぐしゃぐしゃすると絡まるからやめてってば。それよりユキさんの様子は?」  何度言っても頭を撫で回すのをやめないママの手を払いながら、コウは何故か腕の中にいる僕の様子をママに尋ねる。おかしなことを聞くんだなと僕は思った。  だって、僕は彼の腕の中にいる。少し首を伸ばせば見えるだろうに、どうしてそれをしようとしないんだろう。そう思いながらも腕の中でガイディングの気持ち良さに浸っていると、ママが僕の顔を覗き込んだ。 「うん、大丈夫っぽいわよ。なんなの、あんた。自分で見ればいいじゃない。ちょっと離せばみれるでしょう? なんでそんなにしっかり抱き付かいてるのよ」  揶揄うようにそういうママに、コウは小さな声で「それはそうなんですけど、ね」と言って唸っている。僕からは二人の様子は見えないため、何かあったのだろうかと不安になってしまった。 「いや、それがね……。腕が離れないんですよ。多分すごく力を入れて引き剥がせば離れると思います。でも、なんていうか、引き合う感じがして……。俺たちお互いに吸い寄せられてるような感じがするんです」  コウはそう言うと、さらに僕を強く抱きしめた。

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