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第23話 胸に咲く花4
「じゃあ、もしかして、コウは僕を救える……の?」
「そうだよ」
コウはそう言うと、そのスッキリと高い鼻を僕へとすり寄せた。そして、その距離を保ったまま、
「なあ、俺をパートナーにしてくれないか? 俺がその苦しみからユキを救ってやりたいんだよ」
と言う。その申し出に、僕は混乱した。
ケアパートナーになって貰えれば、僕はこれからこれまでのように苦しまなくて済むだろう。それは間違いないと思う。こんなに嬉しいことは無いはずだ。
でも、それを素直に喜べないことも事実だ。僕だけが苦しみから解放されていいのだろうか、その疑問がどうしても消えない。知紀を苦しみから救い出せないまま、自分だけが楽になる。そんな事が許されるとは、どうしても思えなかった。
「コウ。僕、嬉しいよ。でも、そうなると、知紀はどうしたらいい? 彼も狂う一歩手前なんだ。僕を抱くことで、ギリギリ生き甲斐を保ってるような状態なんだよ。僕だけ楽になるなんて、そんなこと僕には出来ないよ」
「いやいや……。あのなあ、自分だって毎日死にかけてるようなもんだろう? 知らないのかもしれないけど、あんたこのバーじゃ有名なんだよ。仕事で追い詰められたセンチネルが、ケアを受けられなくて苦しんでるって。ママに抑制剤もらうだけでなんとか生きてるような状態で、見てられないってな。みんなお前がいい奴だから助けてあげたいと思ってるけど、レベルのせいで誰もあんたには触れることすら出来ない。苦しんでるセンチネルをただ黙って見てるしかないっていうのは、ガイドにとっては結構辛い事なんだよ。それでも、みんなはユキのためを想って名乗り出なかった。あんたのパートナーが、いつかちゃんとあんたを助けてくれる日が来ると信じてたからな」
コウはそう言うと、僕の肩を掴んだ。まっすぐに僕を見つめ、心と体の全てを僕に繋いでくる。
ガイドは、センチネルに依存しない。自分が守るべき存在がなくとも、特に困ることは無く生きていけるはずだ。それでも、守りたいと思う対象を見つけると、その力を役立てられないことにストレスを感じることもあるという。
「俺はガイドとしてレベルを上げることに専念してた時期があって、ガイドとしては限界までレベルを上げた。でも、そこまで行って一般レベルのセンチネルをケアしてみると、力の加減がわからなくて、相手が倒れてしまうようになったんだ。リラックスさせ過ぎるのもダメなんだよ。だから、対象がいなくてずっとケアはして無かった。そうなると、俺にも少しずつストレスが溜まっていったんだ。だから、俺も個人的にケア出来る相手がいると助かる」
「そんな事があるの……」
レベルが高過ぎて一般のセンチネルをケアすることが出来なくなってしまった彼は、彫師としての仕事は出来ても、ケアを担当することは出来無いのだという。そのことで、長年無力感を味わって来たそうだ。僕なら可能だと思っていたのに、僕にはパートナーがいると思っていた。だから、一度も僕に接触しなかったのだそうだ。
「ユキ。そのタトゥーは、あんたが小さい頃に親父さんの依頼で、俺の爺さんが彫ったものだ。親父さんはお前のことをとても心配してた。今でもそうだろう? だから、あんたも幸せにならないといけないんだよ。あんたが幼馴染のことを大切に思うのはわかる。でも、それについては別に解決策を探せばいいんだ。その方法を探すにしたって、自分が万全じゃないと何も出来ない。だから、まずは自分を救うことを考えてくれ。そのためにも、俺とボンドの契約を結んでくれないか?」
そう言うと、コウは僕を抱きしめた。肌が触れ合うところから、愛を伝える薄桃色の光が流れ込んでくる。それは僕の体の中を心地よくくすぐり、それだけでさっきまで受け取っていた甘い感覚が体に呼び戻されていった。
じわり、と体の奥底から細胞が活性化するのがわかった。それは、五感が鋭敏になる時に起きる感覚だ。行き過ぎると棘となってこの身を攻撃し、灼熱の炎となって僕を燃やす。
でも、今そうならない理由は、目に見えてわかっている。チラリと胸を見やると、そこにある花は、白く抜けたままだった。僕は今、触れ合うだけで、ケアを受けているような喜びを感じている。
普通はそんなことにはならない。どうやら僕らは、驚くほど相性がいいらしい。それなら、彼の言葉に乗るのもいいのかも知れない。
「知紀のために、まずは自分が万全になる……」
「そうだ。自分だけが楽になるんじゃない、自分が楽になってこそ、その人を助ける事が出来るんだよ」
コウはしがみつくようにして僕を抱きしめる。切実な思いが、ひしひしと伝わって来た。
「……内緒にしてくれる?」
僕はコウの腕の中で声を絞り出した。言葉にすると、途端に心が乱れてしまう。喉が詰まって、なかなか声が出ない。
抱きしめられているだけで幸せを感じる人に、これからケアをお願いすることが出来る。そう思うだけで、泣き出しそうなほどに嬉しかった。あの幸せな時間が、これからの人生でも得られると思うと、喜びに震えて仕方が無かった。
「だ、誰にも言わないでくれるなら……。それなら、お願いします。僕だって、もう痛いのも辛いのも嫌なんだ……」
視線を僅かに上へと動かし、彼の顎先を見つめる。その少し上に、引き締まっているけれど肉厚で柔らかい唇が見えている。そのそばに、ポツンと一つほくろがあるのが見えた。
——あ、このほくろ、あの時の……。
記憶の中に、このほくろを見た。初めてママから白藍さんを紹介された時、ついて来ていた弟子だという大学生。白いTシャツの下に、ムカデと蛇のタトゥーが見えていて、すごく驚いたのを覚えている。そんな僕を見て優しく微笑んでいた彼の口元に、これと同じほくろがあったはずだ。
「俺がユキのガイドになるのを許してくれる?」
コウはそう言いながら、僕の顎を持ち上げた。ほくろを見ていた視線が、彼の視線にぶつかる。その瞳から受け取るエネルギーはそのまままっすぐに僕の心の奥へ届き、そこを喜びで満たしていった。
「うん。……でも、誰にも言わないでね。絶対にそれだけは守って」
このことを知紀が知ったらどう思うだろうか。
自分を僕のガイドだと想っている彼は、僕を失っても生きていけるのだろうか。僕という吐口を失っても、正気でいられるだろうか。行き場のなくなった思いが、いつか彼を壊すかも知れない。僕はそれが怖くてたまらない。
だから、僕に救いがあることを知紀には知られたくない。絶対に知られないためには、誰にも言わないことを約束して貰いたかった。
「うん、大丈夫。心配しないで。このことは、二人だけの秘密だよ」
コウはそう言うと、また唇を合わせてくれる。静かな部屋に、濡れた音が響いた。
「秘密? 二人だけの?」
柔らかな甘さに飲み込まれながらそう問いかける僕に、彼は鼻を擦り合わせながら笑いかけてくれた。
「そう、二人だけの秘密。俺はユキを幸せにしたい。隠すことがあんたの望みなら、俺は絶対に誰にも言わない。だから、きちんと契約しよう。俺たちはお互いに唯一無二の存在だ。何も躊躇うことは無い。俺の能力は、あんたのためだけに使うよ」
そして、お互いの指を絡めるように手を握りしめる。その繋がりを愛おしむように見つめると、もう一度ゆっくりと僕の口を吸った。ただケアをするだけでなく、魂の契約 までしてくれるという。嬉しくて涙が溢れた。
「あ、ありがとう。……魂の契約 、よろしく……お願い、します」
こんな言葉を口にする日が来るとは思わなかった。嬉しくて眩暈がする。
こんな気持ちは生まれて初めてで、僕一人ではそれを持て余してしまい、どうしようもなかった。どうしたらいいのか分からずに戸惑っていると、コウはそんな僕を見てプッと吹き出し、太陽のように輝く無邪気な笑顔を見せてくれた。
「ユキ、大事にするよ」
そして、二人の魂を混ぜ合わせるために、僕の体を優しく横たえる。ようやく見えた人生への希望を胸に、僕たちはお互いに強く抱きしめ合った。
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