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第36話

 その日も実りの少ない捜査を終え、自宅が近い赤穂は一旦帰宅することにした。  捜査本部の立っている間は泊まり込む捜査員も多い。帰宅できない捜査員には少々申し訳なく思うが、そう広くない警察署内の人口密度を下げるのも大切だと思うようにする。  一歩職場を離れると、会議の席でアキラの名前が出たことが気になって仕方なくなる。  仮に参考人として出頭させられたところで、アキラはいつもの調子でのらりくらりと対応するだろう。赤穂が心配する必要などないはずだ。  ……が、事件の日の深夜、アキラは赤穂と一緒だったことで、犯行時刻のアリバイの証明ができない。  赤穂と一緒にいた、とアキラが言った場合には腹を括るつもりでいるが、恐らくそうはならないだろう。  黒神会がバックにいるからそもそも捜査もない、というのも、正直あまりあてにならないと思っていた。  幹部の中でも次期組長に近いとまで言われる神導月華が一介の従業員を庇うかどうかなんてわからない。黒神会の傘下でも、指定団体の組長などは罪が発覚すれば逮捕もされるし報道もされるのだから、黒神会が警察に圧力をかけてまでアキラを庇うかどうかは未知数だ。  アリバイを証明できなかっただけで逮捕されるようなことはまずありえないとはいえ、証言に齟齬があれば厳しく追及されるだろう。  捜査が誤った方向に行ってしまうことも、アキラが不必要な尋問をされることも、避けたい。  考え事に没頭していた赤穂は、ふと足を止める。  酒を提供する飲食店の店明かりが続く賑やかな通りを一本入った場所にある、看板のない建物。  ここは自宅のマンションではなく、『SHAKE THE FAKE』の入っているビルの前だ。  わかっている。この状況で、本部の捜査員が気にしているアキラと接触するのは、あまりいいことではない。  赤穂は躊躇したが、もうここまで来てしまったのだからと覚悟を決め、アキラに現状を共有していくことにした。 「いらっしゃいませ……、こんばんは、赤穂様。お仕事お疲れ様です」  ドアを開けたのが客ではないと気づき、改めて挨拶をした羽柴は、親しげな微笑みを浮かべて頭を下げた。相変わらず面食らうほどに整った容姿だ。訪れたのは一度きりなのに、さらりと名前が出てくるところは、さすが接客業というべきか。  お仕事中にすみませんと頭を下げると、ちょうど客が帰ったところなので問題ないという。 「海河にご用ですか?」 「いえ。今日は、碧井アキラさんに用がありまして」  捜査中だという認識なら、責任者に話があると思うのが自然だ。実はほぼプライベートであることを少々気まずく思いながらアキラに用があるのだと告げると、羽柴はしゅんと眉を下げた。 「申し訳ありません。アキラは今日、持病のしゃっくりが悪化したとのことでお休みなんです」 「持病のしゃっくり」  持病の癪、の聞き間違いだろうか。年齢問わず今時そんな言い方をする者を見たことはないが。 「ええ、『たぶん今八十九回目くらいだから』……と」  本当にしゃっくりだった。  言わないほうがいいような欠勤理由である。  店側はそれでいいのだろうか。今も客がいないようだし、アキラもあまり客は来ないと言っていたから、人員の面で困ってはいないのかもしれないが、赤穂が連絡を受ける側だったら、嘘でもいいから風邪とか言ってほしい。  ジェネレーションかカルチャーか何らかのギャップに遠い目になっていると、落胆しているように見えたのか、羽柴が気を遣ってくれる。 「アキラにご用だったのですよね。おそらく自宅にいると思うので、住所をお教えしましょうか」  そこまでは、と一瞬ためらったが、教えてもらうことにした。  仕事中だと思われているようなので、自宅を訪ねることは不自然ではないだろう。 「お願いできますか」 「もちろんです。赤穂様に訪ねてただけたら、きっとアキラも元気が出ると思いますよ」 「……。夜間に刑事に訪ねられて、元気が出るでしょうか」 「はい。先日加賀様と一緒に来ていただいた際も、赤穂様と話すアキラはとても楽しそうでしたから」  そうだっただろうか。  あの時は……いつもと同じでふざけたことばかり言っていたような気がする。 「アキラは賢くて頼りになって、一人でも生きていけそうな強い人に見えますけど、本当は一人でいるのがあまり好きではない、とても寂しがり屋なんです。好きになった方とも、いつもご縁が薄くて……」  羽柴は言葉を止めると、受付に置いてあるメモに住所を書き付け、赤穂に渡した。  習字のお手本のような文字がならんでいるのを勝手に思い浮かべていたが、紙面には少々歪な字が並んでいる。 「あ、あの、不器用なもので字が下手で申し訳ありません。読めますか……?」 「大丈夫です。ご協力ありがとうございます」  現実感のない完璧な容姿の羽柴にも、そういった人間らしい部分があるのだと知ってほんのり親近感を感じた。 「私もお見舞いに行きたいのですけど、お店がありますから……」  しゃっくりに見舞いは必要なのだろうか。  どうにも、羽柴は本気なのか冗談なのかわからない。 「赤穂様、アキラのことをよろしくお願いします」  丁寧に頭を下げられて、何と言っていいかわからず「はあ」と「はい」の中間くらいの返事が漏れた。  羽柴が託したのは、本当にしゃっくりの見舞いだったのか。  赤穂は改めて礼を言って『SHAKE THE FAKE』を辞した。

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