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【第二部】4

 部活のない日の放課後、教室に忘れ物を取りに戻る。静かな教室で、三ツ谷が一人で机で寝ていた。こいつが教室で寝るなんて珍しい。疲れているのだろうか。  窓から風が吹いてカーテンが揺れている。俺は三ツ谷の席に近づいた。三ツ谷はずいぶん静かに目を閉じている。  呼びかけようとした瞬間、風が強く吹いて机に置いてあった紙が飛んでいった。慌てて拾うと、それは三ツ谷の書いた小説だった。ばらばらに飛んで行った紙には、赤ペンでいっぱい訂正が入っている。細かい助詞とか、語尾とか些細な表現をひたすら直している。  それはクリエイティブというよりも、地味で泥臭い作業だった。こんなのを全部にやるのか。まったくもって理解ができない。思って、一番遠くへ飛んで行った紙を拾った。一ページ目の一番右にはタイトルが書かれていた。  ――『光』というタイトルだった。  三ツ谷の前の席に座った俺は、なんとなくその小説を読み始めた。  画家の話だった。光を描こうとした画家の話だ。  ――光を描くことはできない、なぜなら紙は光らないから。紙の白さは光ではない。  ――光があるから影ができるのではなく、影があるから光が認識される。絵画において光を描くということは、つまり影を描くことと同義だ。  ――それでも、その画家は光を描くことを求めた。眩しく輝くような絵を描きたい、そう彼は強く望んでいた。見たものの心を照らす光を。  ずいぶんと前の作品とは作風が違っている。前のどこか暗い幻想的な物語と違い、今度の話はリアルに近くてポジティブだった。  小説は、自分の目的に挫けそうになった画家が青年と出会うところで途切れていた。  俺は三ツ谷を見た。三ツ谷は相変わらずよく眠っていた。  これはたぶん、まだ途中なのだろう。できあがったら読みたいと思った。三ツ谷がどういう気持ちでこれを書いたのか、俺にはよくわからない。あの日聞いた三ツ谷の話に重なる部分もあるけれど、ほとんどはそうではなかった。  でもたぶん、何か意味があるのだろう。こいつがそれを書かなければならないという、俺にはわからない意味が。  三ツ谷が起き上がった。目を擦って、ぼんやりと俺を見た。 「あ、ほまれくん」  俺の膝の上にある紙に視線を落とす。 「悪い、勝手に読んだ」  三ツ谷はまだ眠気の覚めない目で、こっちをぽやっと見つめている。 「まだ、途中だから」 「そうだな」  俺は言って、紙を三ツ谷に返した。 「続きが気になる」  嬉しそうにこいつは笑った。目が覚めてきたのか、眉毛のあたりを擦って、 「まだ、ちゃんと完成するかわかんないんだ」 「頑張って完成させろよ。俺が読むから」 「はは、ありがとう」  三ツ谷は恥ずかしそうだ。窓を見ると、カーテンが波打って注ぐ光のかたちをその瞬間ごとに変えている。三ツ谷を見た。三ツ谷もそのカーテンを見つめていた。  こいつの目にそれはどういう風に映っているのだろう、どういう意味をこいつはそこに見出しているのだろう。それはきっと俺と違うもので、俺とは重ならないものだ。 「お前、そろそろ帰る?」  言うと三ツ谷は時計を見た。あ、もうこんな時間、というので、俺は自分のカバンを取って、 「じゃあ、帰ろうぜ」  と言った。  そして帰り道の途中、 「あ、僕本屋寄るね」  三ツ谷が言った。駅近くのビルに、大きめの書店がある。そちらを指差していた。 「ああ、じゃあ――」  俺はここで、と言いかけたところで三ツ谷が言った。 「誉くんも見る?」  その目は『一緒に行こうよ』と言っているようだ。こういうところがこいつが愛される理由だろうか。俺と一緒にいても別に楽しくないだろうに。そして、誘われて悪い気のする人間は実際少ない。  そういえば漫画の新刊出てるかな、そんなことを思って、結局一緒に本屋に入る。三ツ谷はとたたっと慣れた足取りで小説とかが置いてあるコーナーに向かった。ずいぶんと目を輝かせて、「あ、この人の新刊」とか言っている。長引きそうだ。 「俺ちょっと漫画見てくるな」  そう言って俺は漫画コーナーを見た。漫画はペースが出るのが早くて、久しぶりに行ったらどこまで買ったか自信がない。立ち読みもできないし仕方ないので買うのはやめておいた。  三ツ谷が迎えに来るかと思ったら、来ない。  呼びに行ったが、相変わらず真剣な顔で本を見ていた。しょうがないので、そのまま好きにさせておく。雑誌コーナーを適当に見ていると、 「ご、ごめん誉くん。すごい時間かかっちゃって」  三ツ谷がようやく本屋の袋を持ってやってきた。 「別に。気にすんな。俺もこれ読んでたし」  さっきまで読んでいたスポーツ系の雑誌をひらひらと振る。 「いや、でも、ごめんね」 「謝んなって」  何買ったんだよ、と袋の中を覗き込む。文庫本が三冊入っている。  その後、駅までの間、 「ようやく文庫になったから、読むの楽しみにしてたんだ」  とか、 「この作家はね、文体がすごいんだよ。誉くんも読めばきっと感動する」  とか、 「この人は初めて買うから、楽しみ。これ確かデビュー作なんだよ。なのにこんなに分厚くて、すごいよね」  楽しそうに話す三ツ谷を見て、ああこいつ本当にちゃんと本気なんだなと思う。俺は黙ってそれを聞いていた。 「じゃ、俺、こっちな」 「あっ、あ! そうだったね、ごめん、なんか」 「だから、謝んなって。俺が怒ってるみたいだろ」 「そう、だね、ご……なんでもない」  ぎゅっと口をつぐんだ三ツ谷の表情がおかしくて、俺は笑った。

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