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【第二部】7
ある日、あいつが学食のサラダのドレッシングを派手にぶちまけたとき。
――かっこわる。見ろよあいつ、あーあーあんなにこぼしちゃって。大丈夫かな。あいつのズボン醤油くさくなってるな。あいつこのあと多分体操着だぜ。はずかし。かっこわる。
ある日三ツ谷が居眠りして指名されたとき。
――あいつ、ださいなー。あんなぺこぺこして、もっと堂々としてりゃ意外と怒られないのにな。
ある日三ツ谷が何かのメモを取っていて、下級生がその横を走り抜けたとき。
――見ろよ佐藤、あいつどんくせぇな。あんなに慌てる必要ないのに。ああ、転んだ。怪我とかしてねぇかな。
ああそうだ、俺はそうやって三ツ谷を見ていた。
だけど、普通そうじゃないだろう。普通は、かわいいとかかっこいいとか素敵だ、だから好きだ、っていうのが普通だろ。
ださくてかっこわるいのに好きなんて、何かがおかしいとしか思えない。
そんなの変だ。
――じゃあ、三ツ谷。
急にあいつの名前が呼ばれてむしろ俺がびっくりすると、三ツ谷が和訳を指名されて立ち上がった。三ツ谷は綺麗な声で言った。
――『彼は、例外的な措置の対象だった』。
先生が教科書に視線を下ろしたまま言う。
――はい、そうです。ここでの『例外的』というのは、exceptionalという単語の訳だな。exceptionalという単語には、他には『並外れた』とか、『優秀な』、さらに『普通でない』、『異常な』という意味もあります。日本語でも『例外』というとき、似たようなニュアンスがあると思うが、ポジティブにもネガティブにも使うので、和訳のときには、全体の文意から意味を読み取る必要がある。類語としてはextraordinalyとか、unusual、uniqueなどがあって……。
ひとしきり説明し終わったあと、先生は言った。たまにある雑談コーナーだ。
――英語も自然とできあがった言葉なので、文法なんかには『例外』が多いよな。読んでいると、『どうしてこの単語だけこういう風に変化するんだろう』とか、『どうしてこの表現だけこういう文法なんだろう』とか、疑問に思うことはあると思うんけど、それはもう! そういうもんだから! と思っとけ! 深く考えるな!
なるほど。さすがです、先生。
昼休み。一人で学食に向かった。がやがやしている学食に、三ツ谷が一人で座っていた。俺は注文した生姜焼き定食を持って、あいつの前に座った。そこしか空いてない、ということはなかったが、そういうことにしておく。
「珍しいな、一人」
ここいいか、と聞くと三ツ谷は頷いた。
「誉くんも珍しいね、佐藤くんは?」
「腹が痛いってトイレにこもってる」
え? 大丈夫? と三ツ谷が聞くので、
「あいつは丈夫だけが取り柄だから」
すごいね、そんなに食べるの、と俺のトレイの上を見て三ツ谷が感心する。
「食わないと体力つかないからな」
生姜焼きを口に放り込む。
「僕も食べた方がいいかなあ」
「お前はちょっと食わなすぎだよ」
いつも栄養ゼリーとか、しょぼいパンとかだろ、と言ってから、あ、やばいこれじゃ俺がこいつの食事風景を観察していたとバレバレだと思って慌てたけれど、三ツ谷はそれに気づいた様子もなく、
「そうかもねー」
そう答えた。やっぱり、お肉かな。肉だろ、そりゃ。肉はうまいし、最強だよ。そんな会話をした。高校生は栄養バランスなんて考えなくていいんだよ、と言うと、流石にそれは暴論じゃない? と三ツ谷は笑った。
三ツ谷の視線が不意に窓ガラスの外にとどまって、そちらを見ると藤島が下級生を連れていた。妙に親しげな空気で、ああ、多分あれはちゃらちゃらしてるなと思った。
けっ。
なんだったんだあいつは。本当にどうしようもないな。
正面の三ツ谷に視線を戻すと、珍しく嫌そうな顔をしていた。
「珍しいな、三ツ谷がそんな顔」
「いや、あ、その」
「嫌いか、あいつのこと」
愉快な気持ちで聞いた。
「……苦手なんだよね、藤島くん」
そう言った。こいつがそういうことを言うのは珍しい。博愛主義者だとばかり思っていた。
「藤島くんも、きっと僕のこと嫌いだし」
あーわかるなあと思って、絶望的な事実に気がついた。
――そういえば俺も、お前のこと嫌いだったな。
嫌い……?
――というかよく考えたら三ツ谷は普通に俺のこと嫌いなんじゃないか?
俺は急に恐ろしい可能性に思い至ってしまった。そう思う理由は、まさに、俺が三ツ谷を嫌いだったということだ。しかも、こいつもあのときそれを「知ってた」と言ったこと。
だったら、もしかして、もしかして。
目の前の三ツ谷を見た。間の抜けた顔をしている。
俺はこいつへの今まで自分がしてきたことを振り返ろうとして、あまりに恐ろしくて頭が停止した。だけど考えるまでもなく、俺はこいつにかなり露骨に嫌な態度をとっていた。嫌な奴だった。だって、嫌いだったんだから。
そんなやつのことを好きになるわけがない。
その通り。人間、だいたい一番嫌いなのは自分のことを嫌いなやつなのだ。
自分のことを嫌いなやつを好きになるのは、聖人君主かよっぽどの変人しかいない。まあ、三ツ谷は割と変人だが。そう思って、お前は馬鹿か、そういうのがダメなんだと思い直す。
だから俺は、どう考えたってマイナスだ。
そう、まさにあの藤島と同じように。
最悪だ。考えたら恐ろしくなってしまった。
頭を抱える俺に三ツ谷本人が「どうしたの、誉くん」と呼びかけている。
「いや、その、なんでもない。はは」
乾いた笑いが漏れた。というか気づいたら三ツ谷のトレイの上は空だったし、俺の生姜焼きも白米も姿を消していた。学食自体に人もだいぶ減っていた。三ツ谷が言った。
「教室、戻ろっか」
二人で教室へ歩く。今までも何度か三ツ谷と二人で歩いたことはあるのに、それはもう俺の中ですっかり意味が変わってしまっていた。何か上手い話題ねえかなと思うけれど何も見つからない。意識してしまったせいで、変なことを言いたくない。これ以上マイナスになってはたまらない。でも黙っているのも嫌だ。また俺が不機嫌とか思われるのは嫌だ。だって俺は三ツ谷が好きだから。でもそんなこと死んでも言えない。
でも、言いたい。
「三ツ谷!」
「えっ、はいっ」
「その、俺、お前のこと、」
――言えるか!
「も、もう、嫌いじゃないからな」
だから、安心しろよな。
言いながら恥ずかしくて視線が下がって気がついたら床を見ていて、ダメだと思ってなんとか視線を持ち上げた。
三ツ谷はぽかんとした顔をしている。
なんなんだよ! その顔!
三ツ谷は数刻遅れて「あ、うん」とだけ言った。この、ばか野郎が。
「俺、トイレ寄る、な」
先、戻っててくれ。
強制的に三ツ谷と別れた。これ以上一緒にいたら俺は何をするか何を言うかわからない。トイレは空いていたので個室に入った。猛烈に後悔した。
いくらなんでも、あれは不自然すぎる。
――もう嫌いじゃないから。
普通はそんなことをわざわざ言わない。わざわざそんなこと言うのは、結局昔はマジで嫌いでしたって改めて言ってるようなもんだし、そもそも意味不明だ。アホすぎる。なんでわざわざえぐりにいったんだ。三ツ谷の呆気に取られた顔が蘇った。そりゃ、あんな顔もする。
最悪だ。俺の馬鹿。
佐藤にその話をしたら、腹が捩れるほどに笑っていた。
「誉が、そんな。最高。めっちゃウケる」
あまりに笑うからそのまままた腹を壊せと呪った。八つ当たりなのはわかっていた。
佐藤は笑いながら、
「まー、仲良くやれよ」
ひーと笑って、
「うまくいくといいなー!」
と言った。はあ。机に突っ伏して頭だけ横に向けると、視線の先で、三ツ谷が仲の良い友人と何かを話していた。俺はじっとそっちを見ている。目の前の佐藤が俺に彼女の話をしているけれど、全然耳に入ってこない。三ツ谷が俺の視線に気付いたのか、ふっとこちらを見返した。俺は慌てて視線を逸らす。
ださい。ださすぎる。今の俺は最高にださい。かっこわるい。
嫌だ、こんな俺は嫌だ。こんな風にはなりたくない。こんなださくてかっこわるい俺は嫌いだ。
でも、あいつへの気持ちを止められない。
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