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3話 日常に浸透する非日常
旧校舎の便所でいつもの様に尚稀のおむつを替えていた。
「ん、終わり。戻ろっか」
尚稀の制服を直して、教室に戻ろうとした時、シャツを後ろから引っ張られた。
「どうした?」
「だっこ」
少し前に家で抱っこしてから、何度か要求される様になったが、学校では初めてだった。
「いいけど、旧校舎出るまでな。後は誰に見られるか分からないから」
頷いたのを確認して、もう慣れつつある抱っこをする。赤ちゃん返りは大歓迎だが、尚稀は高校生でもあるので、学校にいる時はなんとか外面を保ってやりたい。尚稀はどう思ってるのか分からないのだが⋯⋯。
旧校舎の廊下の突き当たりで尚稀を降ろすと、不満気な表情だった。
「ん~」
「ん? どうした?」
しゃがんでその顔が良く見える様にして尋ねる。しかし言葉は無く、その代わり指をしゃぶり始めてしまった。
「おーい、尚稀くん。ここ学校だぞ」
そう言っても、指を口から離そうとしない。
「お前もしかして眠い? 昨日夜更かしでもした?」
それに対して頷いたような頷かないような、半端な返事があった。
「眠いんだな」
そう判断して、まだ二時間目が終わったばかりなのだが、どうやって早退しようかと考える。尚稀が授業をサボるのはしょっちゅうだが、俺が無断欠席すると騒がれかねない。
かといって、この状態の尚稀をここに置いて行けないので、結局友人に体調悪いから帰るとメッセージを送る事にした。担任にも伝えて欲しいとも書いておく。
「んじゃ、帰るか」
しばらく俺の様子を伺っていた尚稀が、その言葉に嬉しそうな表情をした。おそらく、眠くて甘えたかったのだろう。帰ったら思う存分甘やかしてやろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日は抜き打ちの服装と荷物チェックがあった。
尚稀の順番になった時、担任の合田はここぞとばかりに服装の乱れや髪色、ピアスを指摘してグチグチと説教をしていた。俺も聞いていて気分が悪くなったが、やめさせるのもおかしいと思い我慢する。それに、いつも尚稀はこういう時、うるせーとか何とか言って逃げ出してしまう。おそらく今回もそうだろうと思っていた。
だが、斜め前にいる尚稀の様子がいつもと違う。立たされたまま俯いて、黙ったままだ。
ヤバいかもしれない、そう思った瞬間だった。
ぐすっ、ひくっ、そんな泣き声が聞こえて来た。俯いたまま、時折目を擦りつつ泣いている。
合田も、クラスメートも呆気にとられてしまった。どうやって助け船を出そうか。
「あー、境くん、さっきおばさんが倒れたって連絡あったらしいんすよ、だからそれ心配してるんじゃないかと思うんすよね」
全くの嘘だが、ヤンキーな尚稀にも人の血が通っていたと思われれば成功だ。
「なんだと!? そう言う事は早く言いなさい! 今日はもういいから早退しなさい」
「あの、ちょっと境くん心配なんで、俺も一緒に帰っていいすか」
「あー⋯⋯お前達、家の方向同じだったな、斎藤は特別だぞ」
「はい、すんません」
「おら、境帰るぞ」
泣いたままの尚稀の腕を取り、自分の荷物と尚稀の荷物も纏めて持って教室を出る。
教室を出てしばらく歩いた所で、小声で聞いてみた。
「今日の合田そんなに怖かったの?」
いつも通りだった気がするのだが。
「違う、勝手に涙が⋯⋯」
まだ目を擦ってる。
「うーん、最近俺が甘やかしてたから、説教とか余計怖く感じたんかな?」
「⋯⋯大声怖かった」
「そっか、怖かったな。いつもみたいに逃げなかったのはなんで?」
「足動かなかった」
これはだいぶ重症かもしれない。元々人から話し掛けられないためにヤンキー紛いの派手な格好をしてると聞いた事がある。便所も自分から言えない位だから、本当は説教なんて怖くて仕方ないんじゃないか。
それを前までの鎧を纏った尚稀なら逃げ出す事もできたが、素に近い、どちらかと言うと退行気味の尚稀には難しかったのだ。
尚稀の望みなら何でも叶えたくて甘やかして来たが、いよいよ実生活に支障をきたしてる気がする。だが俺から始めた事だ。こらからもこまめに様子を見て、フォローして行けばいい。
おそらく、尚稀は充分に甘えて来られなかったんじゃないかと思っている。今も親からほぼ放任されてる様なので、できるなら俺が代わりになってやりたい。尚稀の気の済むまで、甘やかしてやりたい。
「あ、勝手におばさん倒れた事にしてごめんな」
「おばさんとかいないからいい。つかさも早退させてごめん⋯⋯」
「いや、あのままだと俺も荷物チェックヤバかったから、むしろ助かったわ」
俺のカバンには尚稀用のおむつとおしり拭き、おむつ専用のごみ袋が入っているので、どう切り抜けようか実はヒヤヒヤしてたのだ。
尚稀を見ると、もう泣き止んでいて、ほんのり顔が赤くなっていた。
「今日は帰って尚稀のやりたい事しような」
頭を撫でながら、帰ってからどうやって甘やかそうかと考え始める。
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