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第7話 甘さをかき消す先生

「ん?」 「動かないでね」  田中さんが俺の顔を覗き込むように、手を伸ばしてくる。 「襟、折れてるよ。……直してあげる」  田中さんの白く小さな手が、俺の首元に伸びる。  女子特有の柔らかく、冷たい指先が迷いがちに俺の喉仏の近くで動いた。  至近距離で見つめられるきれいな瞳。漂う独特の緊張感。  俺は思わず、唾を飲んだ。  5月の湿った熱気と甘ったるい制汗剤の香りが混ざり合う。  これは、一体……?  俺の暴れるような心臓の音は全身に響き、これが緊張なのか、ときめいているのか、区別がつかなかった。 「……出来たよ」 「ありがと」  気まずい空気をはらみながら、田中さんの指先がスローモーションのように、首元から離れていく。  田中さんのほんのりと赤い耳が、髪の毛の隙間から覗いた。 「矢島くん!あのね……あの、ね」  田中さんが胸の前でぎゅっと手を握りながら、うるうるとした目で俺をじっと見つめる。  最初の方は声に勢いがあったものの、目があった瞬間にその勢いは衰え、今にも消えてしまいそうだ。 「どうした?」 「……私ね、去年からずっと!!」 「矢島」  背後から聞こえたのは一切の温度を排した、やけに明瞭で響く声。  鼓膜を突き刺すようなその響きに俺と田中さんの間に流れていた甘ったるい空気は一瞬にして氷点下まで下がった。  振り返らなくても誰か分かる。毎日、教卓から響く声に間違いなかった。  しかし、恐る恐る振り返ると、そこには似合わない、紺色のジャージに身を包み、仁王立ちする先生がいた。  その瞳はいつになく鋭く、獲物を狙う猛獣のようである。田中さんなんて眼中にないように俺だけをしっかりと射抜いていた。  俺は思わず、半歩後ろに下がった。  怖すぎて本当に襲い掛かられそうな気がしたのだ。 「せ、先生。どうしましたか……てか、なんで」  なんでジャージなの?!  口から出そうになった言葉を何とか飲み込む。  先生は田中さんをちらっと見た後、「行ってかまわない」と裁判官のように厳格に告げる。  田中さんは小さく一礼をして、小走りで去っていった。  置いていかないでくれ~!!俺はこれからどうすればいいんだよ。  その小さな背中に思いっきり叫びたい衝動に駆られた。なぜなら、今の先生と俺は、裁判官と今から死刑判決を告げられる被告人に他ならない。 「いつまでごみ捨てに時間をかけている。部活の時間を忘れたのか?」 「いや、そんなことはないですけど……」  視線が痛いほど、突き刺さる。  俺は目をそらし、下を向いた。先生の前でのごまかしは一切通用しない。  大きなため息が聞こえたと思いきや、着実に一歩、また一歩と近づいてくる足音が聞こえる。  その足音はさほど響いていないのだろうが、俺にとってそれは地面まで震えているかのような錯覚を引き起こさせるものであった。 「矢島」  先生の足が俺の前でぴたりと止まる。  ほんのり残る甘い制汗剤の匂いはかき消され、先生の纏う苦いコーヒーの香りでいっぱいになった。  もう、どうにでもなれ!  顔をばっと上げると、思った以上に近くに先生はいた。  近っ!!  あまりの近さに後ろに下がろうとした。しかし、激しい動揺から俺の足は思うように動かず、絡まった。

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