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第10話 先生、俺だけを見て

「静かにしなさい」  拓海をつついていた腕をぴったり体につける。  先生の声は強制的に皆を切り替えさせる力がある。 「今日はいつものように練習すること。私は特に口を出すつもりはない」 「了解っす」  部長が先生から、タイムウォッチを受け取る。 「れ、練習するぞー!!」  緊張した面持ちをする部長がいつもより、部長らしく部員をまとめる。  その様子に俺たちは笑いを堪えながら、大きな声で返事をした。 「拓海、俺着替えてくるわ」 「りょーかい。早く来いよ」  拓海に手を振りながら、外に出る。  年季の入った古い部室は、体育館のすぐ隣にある。部室の中は今までの卒業生が残したメッセージの数々で壁が埋め尽くされている。  俺は誰もいない部室の鏡の前に立ち、ネクタイに指をかけた。  硬いな……。  自分の指で解いているはずなのに、先生の指が残っているような圧迫感がある。  先生はあの日の陰のテントから出てきて、暑苦しい体育館にやってきた。それも『攻略』という馬鹿げた目的で。  シャツを脱ぐと、肌にまとわりついた熱い熱気が隙間風によって冷やされていった。  長い間使われていない鏡は水垢がついて、白く曇っている。そのため、ぼんやりとしか自分の姿を見ることが出来ない。  それでも、自分がいつもとは異なる顔をしていることに気が付いた。  わずかにつり上がった片方の口角。普段はへらへらとしている瞳の奥には、鋭い光を放つ獣がいた。  俺って、こんな顔をするんだ。  冷淡な悪魔が俺を『攻略』するために必死になっている。その事実に俺の中の何かが確実に変わっていた。  先生のこと嫌いなはずなのに。俺は先生のための衝動に突き動かされていた。  「攻略されるわけない。……絶対に」  反発のための独り言。それは弱弱しく、甘く響いた。  かばんの中から、練習用のTシャツを取り出す。袖を通すと、生地越しに心臓の音がうるさいほど、聞こえてきた。  部室から出て、再び体育館の喧騒に飛び込む。  バッシュのキュキュっという高い音とボールが跳ねる重低音が響く。 「矢島、遅いぞ~!!練習入れ」 「はい」  意味もなくストップウォッチをピコピコ鳴らす先輩に肩を掴まれ、コートの中に入れられる。  コートの中に入ると案の定、痛いほどの視線が突き刺さった。  先生だ。  コートの外のパイプ椅子に座り、手に持った黒いポケットサイズのノートに何かを書き込んでいる。 「侑李!」  ゴールのすぐ傍にいた俺に、拓海からボールが届く。大きく息を吸い、意識をゴールだけに向ける。周りの音が遠ざかり、何の声も聞こえない。  ピーっという電子ホイッスルの音で、ゴールに入ったことに気がついた。 「ナイス!!」 「拓海もな」  俺がシュートを決めるたびに、拓海と肩を組んで笑うたびに、先生は俺を澄み切った眼差しで見つめる。  目が合うたびに、ここには俺と先生しかいないかのような錯覚を起こした。  もっと俺だけを見ればいいのに。俺だけに動揺させられていたらいいのに。部室の鏡に映った獣が姿を現しそうになる。  俺はわざと先生の目の前を通るコースでシュートを決めようとした。ルーズボールを追いかける。その時、俺と同じようにボールを追う先輩と接触した。 「大丈夫か?」 「大丈夫です。ありがとうございます」  先輩のさし出された手に掴まって起き上がると同時にバッシュが滑り、右足首に嫌な衝撃が走る。自力で立つと熱い痛みが一気に突き上げてきた。  それでも何とか耐え、パスされたボールをゴールに決めていく。

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