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第30話 ハチマキ交換してください

「めっちゃ美味しい」 「味じゃなくて、場所!場所だよ」 「場所も最高。涼しくて寒いくらい」  腕をさする素振りを見せると、拓海は椅子を俺の方へより近づけた。その顔にはこれで寒くない、と自信が表れている。 「水分補給はこまめに行うように。それと、羽目を外しすぎないように」  少し離れたところから聞こえる先生の声。気が付けば、視線はそこに移っていた。  先生は同じクラスの人達に向かって、小言を連発させていく。生徒といつもの倍以上の熱量で騒いでいる他の先生とは違って、先生はいつも通りだった。何の変化もない。  どんどん先生は俺と拓海が座る場所へ近づいてくる。 「拓海。俺行ってくるわ」 「あぁ、また先生のとこ?」  拓海は呆れたように目を細め、俺を見上げる。  俺は「いいだろ」と拓海の肩をトンっと手で叩き、先生のもとへ走って向かった。 「先生!」  俺が呼ぶと先生はいつも嫌な顔一つせずに、俺を見てくれる。ふっと、瞳の奥が柔らかくなったのが分かった。それだけで、嫌がられていないのだと確信できた。 「矢島」  先生が俺の名前を呼ぶ。それがいつも嬉しい。 「先生。もし俺がリレーで一番だったらハチマキ交換してください」  青いジャージの首元にネクタイのようにしてぶら下がっている水色のハチマキ。  先生はそのハチマキを掴んで「これか?」と首を傾げる。  俺が何度もうなずくと先生はため息をついた。でも、それが本気の呆れではないことは明らかだった。 「それに何の意味がある?」 「いいじゃですか。ね?先生」  距離を一歩詰めて頭を右に少し傾ける。  先生はやれやれと首を左右に振った。 「そんなことを考えずに走りに集中しなさい。焦らず、いつも通りにやればいい」  いつもの真面目な落ち着いた声色。  だけど、その手はしわになるほど強くハチマキを握っていた。 「約束してください。俺が一番だったら交換」 「……約束はしない」  即答のはずなのに、少し間のある返事。  先生は俺からプイと視線を逸らした。 「勝ったら、考えてもいい」  頼りない、今にも風の音でかき消されてしまいそうな声。     俺はそれだけで息が止まりそうだった。

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