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第35話 好きなんですか?

「去年の借り物競争の時も」 「え?!」  俺の驚いた反応が面白かったのか、先生は少しだけ声を上げて笑う。 「お題を見た時、固まっていた」  先生の声が徐々に調子を上げていく。 「でも、結局最後は笑顔で走りだした」  先生の顔はその場面を思い出しているのか、口が弧を描いている。  俺は完全に手が止まっていた。  そんな俺でさえ覚えていない細かいことをどうして覚えているんだ。  先生は白い球が入った段ボールを見つけ、脇に置く。 「体育の持久走の時も、最後だけ急に速くなる」 「……先生」  俺はたまらなくなり、思わず呼んでしまった。  先生の手がぴたりと止まる。 「なんで俺のことそんなに覚えているんですか?」  先生は答えない。  暖かい色の砂埃の中でゆっくりと時間だけが過ぎていく。  先生は立ち上がり、白い球が入った段ボールの横に赤い球が入った段ボールを置いた。 「……担任だからだ」  返ってきたのは期待外れの答え。 「クラス全員のこと、ここまで細かく覚えているんですか?」  先生の肩が微かに揺れる。  俺の胸のざわめきがどんどん形になっていく。  もし先生が去年から俺のことをずっと見てくれていたとしたら。  俺のために小言を連発させていたのだとしたら。  そんなの担任だからで説明がつくわけがない。  先生は段ボールを置いたっきり、俺の方に顔を向けようとしない。 「先生」  もう一度名前を呼ぶ。  俺は先生の手首を軽く掴み、自分の方へ顔を向けさせた。 「先生。俺のこと嫌いじゃないって言ってましたよね」  先生の視線がゆっくり上がる。 「それってどこまでですか?」  掴んだまま距離を一歩詰める。 「先生。俺は先生の特別ですか?」  先生の目が大きく開かれた。  俺は思わずつばを飲み込む。 「先生って、俺のこと好きなんですか?」  冗談のように軽く言うつもりだったのに、自分でも驚くくらい低い声が出た。  先生の瞳は怯えたように歪み、俺の姿を捉えたかと思えば、すぐに逸らされた。 「先生?」  手を滑らせて、先生の手をそっと握る。  そこで初めて気がついた。先生の冷たい指先がわなわなと震えていることに。  伏せられた顔は赤く色づき、その横顔は否定しようとしている人のものには見えない。  そして、手の中にあるこの手が答えを物語っていた。  先生は俺を潤んだ鋭い瞳で睨み、俺の手から自分の手を引き抜いた。 「……先生?」  俺と先生の何かがこの瞬間、変わった気がした。  音を立てて何かが崩れてしまったような。 「……何を言っている。私は教師だ」  先生の姿は何かを酷く恐れているようだった。  先生は白い玉が入った箱を乱暴に持ち上げる。その際に何個かの玉が準備室に落ちた。  

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