5 / 27
第5話:理性が溶かされた夜 ※
ギルド宿舎の最上階。Aランク冒険者に割り当てられた上級個室。
そこは、市場の喧騒 とは無縁の静寂と、洗練された調度品に囲まれた空間だ。
だが、帰宅した私は、鎧を脱ぎ捨てるのももどかしく、すぐに浴室へ向かった。
熱い湯を浴び、今日の出来事を洗い流そうとした。
それも、無駄だった。
どれだけ肌をこすっても、脇腹に残るあの「感触」は消えない。
むしろ、湯気で肌が火照 るほどに、あの節 くれだった指の熱さが鮮明に蘇ってくる。
(落ち着け、セルウィン。疲れているだけだ)
自分に言い聞かせ、バスローブを羽織って寝室へ戻る。
広々としたキングサイズのベッド。最高級のシルクのシーツ。
いつもなら、この快適な空間で深い眠りに落ち、明日の探索に備えるはずだった。
だが、眠れない。
視界の端に、サイドテーブルに置いた「それ」が入る。
市場で買った、小さなガラス瓶。洗練されたこの部屋には、あまりにも場違いなチープな雑貨。
私は、吸い寄せられるように手を伸ばし、冷たく硬い硝子の感触を握りしめた。
だが、これでは足りない。
分厚いガラスに阻まれ、あの香りが届いてこない。こんな冷たい無機物じゃ、彼の体温を感じられない。
私は震える手でコルク栓を乱暴に引き抜いた。
そして、サイドテーブルの引き出しから、剣の手入れに使う清潔な白布(ウエス)を取り出すと、広げ、瓶の中のポプリをその中央へ一気に空けた。
ザラザラと乾いた音がして、紫色の花弁が白い布の上へと散らばる。
私は布の四隅を掴み上げ、中身がこぼれないように、きつく、乱暴に縛り上げた。
その瞬間だった。
空気を含んだドライハーブが、一枚の布を通して、爆発的にその香りを解き放ったのは。
――甘い。
ぶわり、と。
瓶に閉じ込められていた時とは比較にならない、頭の芯が痺れるような濃厚な甘さが、鼻腔 から肺へ、そして血流に乗って全身へと駆け巡った。
瞬間、湯気でぼやけた頭の中に、あの監視小屋の光景が、暴力的なまでの解像度で再構築された。
『そんなに匂うか?』
そう言って、自分の胸元をパタパタと仰いだ仕草。
開いた襟の隙間。無防備に晒された喉仏 。
汗ばんで、しっとりと光る鎖骨 の窪 み。
そして、服の下に隠された、分厚く、弾力のある胸板の陰影。そしてその奥に一瞬だけ見えた、日に焼けた肌とは対照的な、意外なほど淡い色の頂。
「ッ……ぅ……」
喉の奥から、くぐもった声が漏れた。
即席で作った布の包みを握りしめる手に力がこもる。
これはただの薬草だ。乾燥した植物の死骸だ。
だが、今の私には、これが「ドノバンそのもの」に思えてならなかった。
私はベッドに倒れ込み、匂いの塊となった包みを顔に押し当てた。
まるで、あの男の胸に顔を埋めているかのような錯覚。
想像してしまった。
もし、この香りの主が、今、ここにいたら。
私が、あの無骨 な手を掴み、バスローブの下へ……素肌の上へと強引に導いたら。
あの節 くれだった指が、私の脇腹に触れ、傷跡を辿ったら……。
剣ダコの固い感触が、私の滑らかな肌に引っかかり、熱を広げていく。
(……あの指だ)
私は、自分の手で自身の脇腹をなぞった。
違う。これじゃない。こんな綺麗な指じゃない。
もっと太くて、ごわごわしていて、傷だらけで。
私以外の誰かを癒やしていた、あの忌々 しくも愛おしい手が欲しい。
『痛むのか?』
低い声が耳元で蘇る。
心配するような、それでいて大人の余裕を含んだ響き。
あの声で、私の名前を呼んでほしい。
冒険者の若造としてではなく、ただの一人の男として。
ドクン、ドクン、と心臓が早鐘を打つ。
下腹部に、重く、熱い塊が溜まっていくのがわかる。
視線を落とせば、厚手のバスローブの生地が、股間の一点だけ浅ましくも高く押し上げられていた。
(……嘘だろ。こんな……)
見て見ぬふりなどできない。
たかが乾燥した草の匂いを嗅いだだけで、私の体はこれほどまでに硬く、熱く、あの男を求めて勃 ち上がっているのだ。
その動かぬ証拠が、私の動揺をさらに煽り、同時にどうしようもないほどの興奮へと変えていく。
理性の堤防が決壊するのは、一瞬だった。
私は震える手でバスローブの裾を割り、堪 えきれずに張り詰めた自身の猛 りを握りしめた。
「っ……く、ぅ……」
熱い。
自身の体温のはずなのに、ポプリの甘い香りを吸い込んだ脳は、それを別の熱だと誤認しようとしている。
私は枕に顔を埋め、鼻先には中身を移した布の包みを押し当てたまま、ゆっくりと手首を動かし始めた。
粘つくような水音が、静寂な寝室に響く。
この私が、ただの乾燥した草の匂いに発情し、あられもなく腰を揺すっている。
その事実が、羞恥心と共に、背徳的な興奮を煽 った。
(……違う。これじゃ、ない……)
快感を貪 りながら、思考の隅で冷めた自分が毒づく。
私の手は、魔剣を扱うために鍛えられてはいるが、常に手入れを欠かさないため貴族のように滑らかだ。
こんな、優男の手じゃない。
私が求めているのは、もっとゴツゴツとした、節 くれだった剛腕だ。
長年剣を振り続け、硬い剣ダコができたあの掌 で、容赦なく扱かれたい。
ザラついた指の腹で、敏感な鈴口 を擦り上げられたなら、どれほどの快感が走るだろうか。
あの太い指が、私の竿を根元から握りしめ、強引に上下する様を想像するだけで、背筋が粟立 つ。
『痛むのか?』
その時、脳内で再生される野太い声が、再度私の理性をさらに深く犯していった。
心配するような、低く、腹の底に響く声。あの日、監視小屋で私の鼓膜 を震わせたバリトン。
(……ああ、痛い。痛いから、あんたが治してくれ)
妄想のフェーズが、一段階深く、暗い場所へと落ちていく。
私の手の動きが変わる。手による愛撫の幻想を捨て、私は腰を浮かせた。
妄想の中で、私はベッドの縁に腰掛け、その足元にあの男を跪 かせていた。
見下ろす先には、傷だらけの厳 つい顔。
あの男が、私の熱を鎮 めるために、恭 しくあの無骨 な唇を開く。
ジョリ、と。
想像上の無精髭 が、私の敏感な内腿を擦り上げる。
その感触に背筋が跳ねると同時に、私の先端が、ドノバンの熱い口腔 へと飲み込まれた。
「あ……っ、ふぅ……ッ! そうだ、そこ……っ!」
熱い。狭い。
手とは比較にならない、圧倒的な密着感。
乾燥してカサついているように見えたあの唇の奥は、驚くほど濡れていて、吸い付くように私を締め付ける。
不器用な舌が、私の裏筋 を這いずるように舐め上げ、喉奥の柔らかな粘膜 が、先端を優しく、しかし強烈な吸引力で包み込んでいく。
私の手は激しく上下し、その幻覚上の「口」の動きを再現しようと必死になる。
顔の大きな傷を歪ませながら、私の硬直 を根元まで呑み込もうと懸命に頭を振る、年上の男の姿。
いつもは減らず口を叩くあの口が、今は私のものを咥え込み、奉仕することだけに専念している。
その圧倒的な背徳感と征服欲が、私の理性を削り落としていく。
「んぅ……ッ! もっと……奥まで……っ、ドノバン、さん……」
私は、顔を埋めていた包みを引き剥がすと、それを自身の張り詰めた肉茎 の先端に乱暴に押し当てた。
布越しに触れるドライハーブの感触が、敏感な鈴口 を擦る。
私は結び目を、まるでドノバンの頭髪であるかのように強く握りしめ、自身の腰を突き上げた。
先端を覆う布の感触を、あの男の無造作な髪の手触りだと錯覚し、喉奥を突くつもりで腰を振る。
苦しげに眉を寄せ、生理的な涙を滲ませながら私を見上げる瞳。
その視線を独占しているという優越感。
Aランクの私が、引退した監視員に奉仕させている。いや、私がこの男に溺れ、懇願しているのか?
どちらでもいい。ただ、この熱を、あの男の中に吐き出したい。
「あんたが、いい……あんたの口がいい……ッ! 飲め、全部……ッ!」
無意識に、獣じみた願望が口をついて出た。
呼んでしまった。認めてしまった。
それに呼応するように、私の腰の律動 は制御不能な速さへと加速した。
熱塊 を押し付けられた布の包みが、激しい摩擦と圧力でくしゃくしゃに歪み、悲鳴を上げるように形を変えていく。
中のドライハーブが砕け、布の繊維が限界まで引きつる音が、脳内でドノバンの喘ぎ声に変換される。
その瞬間、絶頂への引き金が引かれた。
「っ、あ、あぁ……ッ!! ッ―――!!」
視界が白く弾け、腰がぐっと浮き上がり、首をのけ反らせて息を詰めた。
私はドノバンの名を譫言 のように繰り返しながら、自身の熱い飛沫を、シルクのシーツと、握りしめた包みへと吐き出した。
あの口の中に注ぎ込むつもりで、どぷりと。
白濁が、紫色の中身が透けた布を汚していく。それはまるで、私の歪んだ独占欲が、あの朴念仁 な男を汚し、私の色に染め上げたがっていることの暗喩のようだった。
荒い呼吸だけが部屋に残る。
熱が引くことなどなかった。
むしろ、果てたことで余計に空腹感が増した獣のように、渇望 がより深く、鋭くなっていた。
私はけだるい体を起こし、乱れた髪をかき上げた。
月明かりに照らされた鏡の中、そこに映っていたのは、いつもの冷静な己の顔ではなかった。
熱に浮かされ、瞳孔 を開き、飢えた獣のようにぎらついた目をした男。
自らの欲望で汚した即席の包みを、愛おしそうに指でなぞる、変質者の姿だ。
そうだ。これは恋だ。
だが、詩人が歌うような甘やかなものではない。
私が欲しいのは、彼の笑顔や優しさだけではない。
彼の時間、彼の視線、彼のプライド、彼の過去、そして彼の肉体。
そのすべてを、私だけのものにしたい。
今の自慰のように、私の想像の中で完結させるだけでは、もう我慢できない。
「……クソッ……欲しい」
私は汚れた包みを握り潰さんばかりに強く握りしめ、低い声で呟いた。
あの若者たちにも、ギルドの連中にも、誰にも渡したくない。
あの男の価値を知っているのは、私だけでいい。
あの男の肌に、唇に触れていいのは、私だけでいい。
正気じゃない。馬鹿げている。
だが、この胸の高鳴りとけだるい下半身の熱が、何よりの証拠だった。
私は今、人生で初めて攻略難度不明の「獲物」を見つけたのだ。
手の中の汚れた包みに、誓いの口づけを落とす。
自然と口角が吊り上がるのが分かった。鏡に映る今の私の顔は、獲物の喉笛に食らいつく瞬間の獣のように、酷く獰猛 に歪んでいることだろう。
ともだちにシェアしよう!

