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第三話 結婚式①

「け、結婚式?!」 「ああ。大学の同期の」 「しかも泊まりで!?」 「まぁ、遠方だしな。ホテル取ってくれるって言うし」    それは降って湧いた話だった。七瀬が、大学時代の友人の結婚式に招待され、今週末、一泊二日で家を空ける。   「だいぶ前から言っておいただろ」 「そ、そうだっけ?」 「ひとの話はちゃんと聞け」 「だってさぁ……」    このところ、いよいよ禁欲生活が長引き、それ以外のことに頭が回らなくなっていた。そう考えると、長い時間を共に過ごす週末に七瀬が家を空けるのは、気が紛れていいのかもしれない。とはいえ、せっかくの週末を共に過ごせないのは寂しい。そんな二律背反の思いが、瞬介を襲う。   「土産買ってきてやるから、そうシケた面すんな」 「んな面してねーよ。土産もいらねぇ。荷物増えるだろ」 「そうか? なら、自分用の土産だけ買ってくるかな」 「いや、そうなりゃ話は変わるからね? 俺の分も買ってきて」    引き止めることなどできるわけもなく、七瀬は行ってしまった。改札前の雑踏の中、笑顔で手を振る姿が、瞼を閉じれば浮かんでくる。  新幹線で三時間。遠いといえば遠いし、近いといえば近い。その気になれば日帰りもできる絶妙な距離だが、新郎新婦の厚意に甘えて、結婚式の会場にもなっているホテルで一泊してくるという。  そんなわけで、この休日は一人寂しく過ごすのだ。同棲を始めて以降、初めてのことである。何も大したことではない。一人暮らし歴は長く、今更寂しいなんて思わない。  七瀬からは定期的に連絡が入る。今どこの駅に着いたとか、駅弁で何を買ったとか、そんな他愛もない連絡だ。やがて、ホテルの外観とロビーの写真が送られてきたところで、ぱったりと連絡は途絶えた。  今頃、何をしているのか。久しぶりに会う友人と、思い出話に花を咲かせているのだろうか。それとも、既に式が始まっているのか。うまい酒に料理に、舌鼓を打っているのだろうか。真っ白な花嫁衣裳が眩しくて、目を細めていたりするのだろうか。  瞬介も、この歳まで生きていれば当然のことで、知り合いの結婚式に参列したことがある。直近だと、職場の先輩の式だったか。金はかかるし、余興だのスピーチだの面倒も多いが、バージンロードを歩く花嫁のウェディングドレスには、つい見惚れてしまうものだ。たっぷりと広がるレースの裾や、繊細な刺繍のあしらわれたベールが、とにかく美しい。  結婚式なんて、男二人で生きていくと決めた自分達には縁遠いものだ。それでも何か、形になるものを残しておきたくて、その一つがこの指輪なのだが……  瞬介は、照明にかざした左手の薬指に口づけた。シルバーのリングが、ささやかながらも奥ゆかしい輝きを放つ。七瀬は今頃どうしているだろう。考えたって仕方ないのに、他にやることもない。  いつの間にか、眠っていた。開けっ放しの窓の向こうは、黒一色に塗り潰されている。闇が口を開けているようだ。すっかり夜になっていた。  シャワーだけで入浴を済ませ、適当にテレビを流しながら、ケトルにお湯を沸かす。妙な時間に昼食を取ったせいで腹が空かず、一人分の食事をわざわざ用意するのも面倒で、カップラーメンで済ませることにした。三分待っていると、電話が鳴った。   「もしもしぃ? こちとら、一人寂しく食事中なんですけど。麺が伸びちゃうんですけどー」 「ああ、ラーメン食いに行ってんのか。またかけ直す」 「ちっげーわ! 家! カップ麺食ってんの!」    通話の相手は、もちろん七瀬だ。心なしか声が上擦って聞こえる。祝い酒に酔っているのだろうか。   「そっちは? どんな具合だよ」    三分にはまだ早いが、瞬介はラーメンをすすりながら尋ねる。   「式は滞りなくか?」 「新郎新婦に言う台詞だろ、それは。まぁ、一つハプニングがあったとすれば、ブーケトスはおれが取った」 「マジで!? んなことあんだな」 「一応、新婦の友人が優先で、全員参加ってことになってたんだが、新婦がとんでもない暴投をしたんだ。中高でソフトボールやってたらしくて」 「それで、その花束は?」 「ああ」    ガサガサと紙の擦れる音がし、「いい匂いだぜ」と七瀬が笑った。   「持って帰ってくんの?」 「そうなるが、うちに花瓶なんかねぇよな」 「俺が適当に選んでもいいなら、買っておくけど」 「できれば、透明のガラス製がいい」 「うんうん」 「デカすぎても邪魔だが、ブーケは挿せないと困るし」 「注文多いな」    瞬介が言えば、七瀬が笑い、つられて瞬介も笑った。ひどく穏やかな時間が流れていた。遠距離時代を思い出す。あの頃、毎晩とは言わないが、頻繁に通話をしていた。連絡のやり取りも、今よりもあの頃の方が頻繁だった。何しろ、会いたい時に会えなかったから。会いたい気持ちを消化するために、声を聴いていた。   「んで、今はホテルにいんの?」 「ああ。二次会もお開きで……結構、疲れた」 「こっち出たの、朝だったもんな」 「式から披露宴、二次会までとなると、かなり長いな。まぁ、一番疲れたのは主役の二人なんだろうが」 「自分らの結婚祝ってもらうための式なんだから、それはしょうがねぇだろ」 「しかし、あんな綺麗な嫁さんもらうなんてな。同期がどんどん結婚してく……」 「……友達とは、楽しく話せたか?」 「ああ……だな。久しぶりに会うし、みんなで集まることも、滅多ないし……積もる話も、あるしな」 「……その、友達ってさ。前に言ってた……」 「……」 「七瀬?」 「っ、んだよ」 「いや、寝たかと思って。てか、なに? 今、ホテルの部屋にいるんだよね?」 「ああ、ン……ベッドに、ひとりで」 「ねみぃなら、通話切るぜ?」 「ン、まぁ……ねみぃと言やぁ、ねみぃな」 「どういう意味だよ」 「けど、切んな……声、きかせろ……っ」 「……」    心なしか、七瀬の声が上擦っている。途切れ途切れに甘く掠れて、悩ましげな吐息が交じる。端的に言ってしまえば、エロい。情欲をそそられる。   「なぁ、ビデオ通話にしていい?」 「……」 「なっ、おい、やっぱ寝たか!?」 「っ……だめ」 「な、なにがダメなんだよ? 見せてみろよ」 「……見せらんね、カッコ、してるから……ンっ……」 「な、なんで見せらんねぇんだよ!? 見せろ!」 「はっ、ン……言わなきゃ、わかんねぇのかよ……?」 「わっ、わ……わかんねーよ!」 「あンっ、も……耳元でわめくな……っ」 「おまっ……」 「んっ、ン……きもちい、瞬介ぇ」 「っ……」    やっぱり、絶対にそうだ。都合のいい幻聴だとか、勘違いなんかじゃ断じてない。名前を呼ぶ時の、この滑舌の甘さ。甘えたような幼い口調。これは絶対、   「オナニーしてんだろ!?」    携帯に向かって叫んでしまった。電話の向こうからは、控えめな衣擦れの音が響く。   「だったら、なんだよ……?」 「なっ、おっ、オナニーしてんの? ホントに?」 「ふ……どうかな」 「どうかなって何だよ? はっきりしろ!」 「見せなきゃセーフ、なんだろ……っ、好きにさせろ」 「おまっ、おっ、お前なぁ……!」    確かに、決めた。不本意ながら長引いてしまっている、この禁欲生活の初日に。   「だっ、だからって、通話中にするやつがあるかよ!」 「だめか……?」 「だ、ダメに決まってんだろ。声とか音とか、エロすぎんだよ」 「けど、姿は見えねぇだろ?」 「みっ、見えねぇけど! だから、なんか余計に」 「見てぇか?」 「ぜーっんぜん! 見たくねぇっ!」 「だろうな……ンッ」    ウソだ。強がりだ。本当はめちゃくちゃ見たい。けれど、ここで見たいなんて言ってしまったら、負けな気がする。いや、ほぼ確実に負けだ。小狡い手だが、ルールの穴をついた七瀬の作戦勝ちということになってしまう。そんなの、ここまで必死に耐えてきたのに、全てが水の泡だ。それならば……   「一人ですんの、今日が初めて?」    それならば、今のこの状況を、目一杯楽しむ。いや、楽しませてもらう以外に手はない。   「我慢比べ始めてから、一回でもオナニーした?」 「……」 「なぁ、答えろよ」 「ぅ、二……三回目……」 「ふーん、結構やってんだ。我慢できなかった?」 「んん……っ」    アダルト動画の導入のような質問に、我ながら呆れる。普段なら、馬鹿らしいと一蹴されていたことだろう。しかし、この異常な状況が味方をしたのか。七瀬もまた、興に乗っているようだった。   「どこ触ってんの?」 「い、言わなきゃだめか……?」 「言えないくらい恥ずかしいことしてんだ」 「しっ……してる……」 「どこ触ってんの?」 「っ……ち……んこ……」    ぞくぞく来た。普段絶対に言わないような卑猥な単語を、七瀬の口から聞けるなんて。テレフォンセックスって、実はかなり有用なんじゃないか。   「男のクリトリスか。お前、そっちも好きだもんな」 「すっ…、きぃ゛……──!」    シーツに埋もれたような衣擦れの音と、ギッギッとマットレスの軋む音とが、電話口を塞いだ。続けて、七瀬が荒く息を切らしているのが聞こえてくる。   「えっ……い、イッた? イッたの?」    鼻息荒く尋ねてみても、乱れた呼吸が返ってくるだけ。血眼になって画面を凝視してみても、そこには何も映らない。   「クソっ……見てぇ……!」    思わず呟いていた。瞬介の叫びは、七瀬の耳には届かなかったらしい。電話の向こうからは、再びベッドの軋みが響く。   「な、ァ……うしろ、触っていいか?」    声しか聞こえないというのに、怖いくらいの色香に酔わされる。   「あ、ア……きもち、い……」 「ちょ、おい、まだいいって言ってねぇだろ!」 「イ、ぁ……だって、手が……っ」 「手が勝手にじゃねぇんだよ。つか、え? マジで一人だよな? 実はツインルームでしたとかいうオチは嫌だぜ? 寝取られは趣味じゃねぇんだからな? 分かってる?」 「っ、は……んなに、気になんなら、いますぐ確かめにきたらどうだ……?」 「それができりゃあなぁ! 羽が生えてりゃ、今すぐ飛んでいくのによ」    十年もの間、貞操を守り続けた男だ。今更よその男に肌を許すとは考えられない。しかし、旧友との再会に盛り上がり、酔った勢いが手伝ってということも、悔しいけれどよくある話だ。電話越しでしか状況を把握できないのは、ひどくもどかしい。   「……今、ケツに指入れてんの?」 「ああ……はいっ、てる……」 「どの指?」 「な、中指……と、薬指……」 「二本も入ってんのかよ。キツくねぇの」 「きつい、けど……っ、んン」    七瀬が身を捩る。衣擦れの音が鼓膜をくすぐる。快楽を押し殺した喘ぎ声に、瞬介はごくりと喉を鳴らす。   「もっと、さぁ……音、聞かせてくんね?」 「ッ……」    電話越しにでも、七瀬が息を呑むのが分かった。おずおずと足を開き──これは瞬介の想像だが──はしたなく指を食んで蜜を垂らす淫らな穴へと、携帯電話のスピーカーを近づける。  くちゅり、と控えめながらもはっきりと、粘着いた水音が響いた。くちゅくちゅ、ぴちゃぴちゃと、次第に激しく、追い立てられるごとに余裕を失い、とろりと滴るほどに濡れていく──あくまで、瞬介の想像である。  堪らなくなり、下着を脱ぎ捨てた。ズボンの下で硬く主張を始めていた己の分身を、力任せに握りしめる。   「すげぇ……濡れてんの、よく分かるな?」 「ッ、言うな……」 「もっと聞かせろよ。七瀬の、やらしー音」 「ン、く……」 「声も、我慢しないで聞かせて? お前が感じてるっての、ちゃんと感じてぇ」    言葉で責め立てながら、自身を慰める。我慢汁だけで手が滑るほど、こちらも既にぐちょぐちょだった。   「ケツ、気持ちいの?」 「きも、ちい……っ」 「前立腺、どうなってる? ぷくっとしてる?」 「ぷくって、して……ぬれ、て……」 「ちゃんと触れよ? 好きだろ?」 「す、き……っ」 「乳首も触ってみな。好きだろ? 乳首だけでイけるもんな?」 「っ、なわけ……んン……ッ」    これ以上は想像するしかないが、十年間、過去の記憶と妄想だけで抜き続けた瞬介の妄想力を舐めてはいけない。  後ろの穴を指で掻き回しながら、反対の手で乳首を摘まむ。固く尖った桃色の突起を、指先で転がして、爪の先で引っ掻いて、痛いくらいに引っ張っては押し潰して。そうしているうち、後ろの穴がヒクつき始め、指をきつく締め付けるのだ。   「なんか、ギシギシうるせぇ。静かにして」    そう瞬介が言えば、BGM的に背後で響いていたベッドの軋む音が静かになる。   「声は出せっての。あんあん喘いだ方が、お前も気持ちいいだろ?」 「ッ、せぇ……いちいち注文つけんな、くそっ……」 「こっちだってオナニーしてんだよ。オカズの提供にご協力くださーい」    そう言うと、憚らない嬌声が響き始める。それと同時に、マットレスも再び軋む。シーツなのかパジャマなのか、衣擦れの音もやたらと激しい。  この音というのは、どこから響いているのだろう。じっと耳を澄ましてみれば、ぐちゅぐちゅと響く水音と同じリズムで、ベッドも沈んでいるようだった。   「気持ちよくて、腰勝手に動いちまうの?」 「だっ、て……っ」 「いいよ、もっと動いてみ? お前ンこと、脳内で犯すから」    ぐちゅぐちゅ、ギシギシ、電話越しに響くリズムに合わせて、瞬介も右手を上下に動かす。目を瞑り、七瀬のいやらしい姿を思い浮かべる。  正常位か、後背位か、悩ましいところではあるが、今回は正常位で。こちらへ大きく足を広げ、腹を見せて、服従のポーズを取る七瀬に覆い被さる。もちろん、妄想の中である。七瀬も、腰を浮かせて迎えてくれる。   「しゅん、すけ……瞬介ぇ……まえ、ちんこ、さわりてぇっ」 「いーよ、触れ触れ。シコりながらケツでイけ」 「まだ、たんね……ッ、あついの、ほしい……っ」 「あっついの、奥にぶっかけてやっから……ッ、やべ、もう出るッ……!」 「やっ、アぁだめっ、だめいく、でるっ────!!」    びくびくと肢体を痙攣させ、その振動は電話越しにも伝わってきた。瞬介の方もまた、右手を白濁でどろどろに汚し、ぐったりとソファにもたれて、荒く息を切らしていた。   「……帰ってきたら、覚えてやがれ」    ようやく息が落ち着き、深呼吸をしながら瞬介は言った。しかし、七瀬からの応答はない。電話は通じているはずなのに、ぴくりとも音沙汰がない。   「ちょ、えっ……寝た?」    イッて、あっという間に寝たらしい。よくあることではあるが、どんな恰好で寝ているのかだけ気になる。というか、確認し忘れてしまったが、シングルルームに泊まっているということでいいんだよな? もしも相部屋だったりしたら、冗談では済まされない。   「帰ってきたら、ぐっちゃぐちゃになるまで抱き潰してやっからな……」    いっそ呪詛のような言葉を残して、瞬介は通話を切った。ラーメンはすっかり冷め、スープを吸って伸び切っていた。

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