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第三話 結婚式②
「ただいま」
「おー。おけぇり」
「わざわざ悪かったな」
「いーって。早く乗んな」
たった一泊。されど一泊だ。昨晩のこともあってか、瞬介は少々不機嫌そうな顔をして、それでも、駅まで迎えに来てくれた。駅前のロータリーには、迎えの車がぽつぽつと並んでいる。七瀬はトランクに荷物を積み、助手席に乗り込んだ。
「じゃ、安全運転で頼まァ」
「任せとけって。まー、大した距離でもねぇけど」
ガコガコとギアを切り替える、剥き出しの逞しい腕。思わず、触りたくなった。そっと体を寄せ、頬に唇を触れると、瞬介は大袈裟なほど肩をビクつかせて振り向いた。その顔がリンゴみたいに真っ赤だったものだから、七瀬はまた思わず笑った。
「なっ、なにすんの。発情してる?」
「わけねぇだろ。お礼だ、お礼」
「んな殊勝なことするタマかよ。普段もっと横柄だろ」
「ああ?」
「ほらそーいうとこ!」
瞬介は改めてハンドルを握り、アクセルを踏む。車はゆっくりと発進し、ロータリーを抜ける。
「つーかさ、ブーケの花挿す花瓶。結局買えてないんだよね。今から行っていい?」
「ああ、だな。せっかくもらったのに、枯らしちまったら縁起でもねぇ」
瞬介は車を走らせる。立ち寄ったのはショッピングモールだ。長いスロープをぐるりと回り、屋上の駐車場に車を停めた。
「飯は? もう食ったの」
「軽くな」
「アイス食っていい?」
昼時を過ぎたフードコートは人影も疎らであるが、アイスクリームショップだけは、時間帯に関係なく盛況だ。瞬介はワッフルコーンのトリプルを、七瀬はカップのダブルにし、それぞれフレーバーを注文した。窓際にソファ席を見つけ、向かい合って腰を下ろす。
「何味?」
「抹茶と小豆」
「渋っ」
「いいだろ、好きなんだから。お前こそ、甘そうなのばっか選びやがって。しかも三段重ねはねぇだろ。腹壊すぞ」
「いいんです~、俺の舌はまだまだ若いの」
「幼いの間違いじゃねぇか」
瞬介の選んだフレーバーは、上から順に、期間限定のトロピカルソーダ、フランボワーズチョコレート、そして定番のキャラメルリボンだ。名前だけで、胸焼けするほど甘ったるい。
「試しに食ってみ? 上のやつは結構さっぱり系だぜ」
そう言って差し出された、プラスチックの小さなスプーン。食べてみれば、夏らしくフルーティな味わい。舌の上でとろりと解けた。
「……まぁ、いけるな」
「だろ?」
「お前も食え。どっちがいい」
「両方いい感じに混ぜたやつ」
「欲張りめ」
そう言いつつ、抹茶と小豆のちょうど重なっている部分にスプーンを刺し、うまいこと溶かしてこそげ取った。口を開けて待っている瞬介の間抜け面に笑いを堪えつつ、アイスを食べさせてやる。
「和風だな~」
「うめぇだろ」
「落ち着く味だわ」
こんなことは、何も初めてではない。至って普通の、当たり前のこと。瞬介とアイスを食べるのも、互いに味見をさせ合うのも。アイスだけじゃない。例えばかき氷。クレープ。甘いものでなくてもいい。ラーメン、カレー、スパゲッティ。最近では、二人で酒も酌み交わす。だからこれは、何ということはない、ただの日常。そんな日常が、なぜだか急に愛しく思えた。
「そういや、花瓶ってどこに売ってんだ?」
「雑貨屋とかじゃねぇか」
「その前に俺、服見てぇ。夏服足りないんだよね」
「おれも、新しい靴下ほしい。この前穴空けちまって」
花瓶を買いにきたはずなのに、いつの間にかショッピングを楽しんでいる。広いモール内をぐるりと回って、服を買ったり本を買ったり。他にも、キッチン用品店を物色したり、輸入食品店であれこれ手に取ってみたにも関わらず、結局何も買わなかったり。
「これよくね? 買おうぜ」
様々なテナントを巡り歩いて辿り着いたギフトショップで、まず瞬介の興味を引いたのは、ペアのロックグラスだった。江戸切子の、質のいいもの。その分、値も張る。
「花瓶はどうすんだ」
「そっちもちゃんと買うからさぁ。いいじゃん。ペアの食器とか、憧れるし。こういうの、まだ一個も持ってねぇんだから」
「ペアのグラスか……」
そう呟いてみて、ひどく気恥ずかしくなった。嫌というわけではない。ただ改めて、二人で住んでいるのだなぁと。今更実感するのも遅いが、感慨深くなってしまう。
「けど、ちょっと高ぇか。プレゼント用だな、こりゃ」
「いや、いい。買うぞ」
「マジ。いいの? ついでにこっちのマグカップも……」
「んないくつもいらねぇだろ」
桐箱に入ったグラスと、もちろんガラスの花瓶も購入した。思いのほか大荷物になってしまった。こうなったら、ここで夕食まで済ませてしまおうという話に落ち着き、一階のレストラン街で食事をして、帰る頃には日が暮れ始めていた。
駐車場はがらがらだ。着いた時には、その時も既に疎らではあったが、何台か車が停まっていたのに。七瀬は助手席に乗り込んで、シートベルトを締める。ちょうど西日が射し込んで、世界の半分が夕焼け色に染まっていた。上空を見上げれば、夜の帳が下り始めている。
瞬介が運転席に座る。ドアを閉めて、エンジンをかける。父親から譲り受けた軽自動車を卒業し、ローンを組んで買ったというコンパクトSUVが、まるで、眠っていた獣が目を覚ますように、低く唸りを上げる。
気づいた時には遅かった。目を覚ました獣とは、目の前のこの男のことだ。気づいた時には、唇を奪われていた。
逃がさないようにしているのか、あるいは男の本能か、胸倉を掴まれて引き寄せられる。緩んだ唇に、強張った舌が入り込む。キャラメルを溶かすように、七瀬が舌を絡めると、瞬介は口づけを深くした。
わざわざ屋上まで上り、人目に付かない隅の位置に駐車したのは、このためだったのか。まさかこんな形で答え合わせをすることになるとは思わなかった。
果たして、どこまでするつもりなのだろう。瞬介の指先は、七瀬の胸元へ移動している。つんと尖り立ち、主張を増している突起を、服の上から抓られた。
「ン、ふぁ……」
思わず声が漏れる。身を捩れば、肩を掴まれて抱き寄せられる。逃げる先などないのだ。扉と窓に背後を阻まれている。
瞬介は、運転席から身を乗り出して、サイドブレーキを乗り越えて、助手席に座る七瀬を押し倒すように圧し掛かってくる。胸元を責める手付きは一層激しい。布越しに擦られ、引っ掻かれて、自然と腰が反る。
長い舌が絡み付く。喉の奥まで探られる。熱い唾液が流し込まれる。嚥下して喉を通る、その感覚にさえ震えた。毒を食らったかのように、頭がぼんやりとして働かない。今ここで、最後まで許してしまっても構わない。そう、思ったのだが。
「ッ、は……っ」
きつく絡み合っていた舌が解けた。まるでリボンが解けるように、離れていく。瞬介の厚みのある舌が、緩く開いた唇に覗いている。まるで溶けかけのキャラメルだ。糸を引く唾液が、砂糖を溶かしたシロップのよう。甘い糸は緩く弧を描き、唇と唇を繋いでいる。
乱暴に口元を拭い、瞬介は座席に座り直した。どかっと乱暴に座ったものだから、車体が揺れた。腹立ち紛れに膝を揺する。ハンドルを握りしめる腕に血管が浮かぶ。
「おい……」
その腕に、七瀬が触れようとすると、瞬介はこちらを振り向いて睨んだ。
「触んな」
睨んだ。いや、そうではない。鬼みたいに顔を赤くして、息を荒げて、こめかみに血管を浮かべてはいるけれども、決して睨んでいるわけではない。
「最後までしたくなんだろ」
そう振り絞るように言った瞬介が、ひどく健気に思えた。頭の中は七瀬のことでいっぱいのはずなのに、必死で意識をよそへ向けようとしている、その姿にぞくぞくした。この男をここまで葛藤させているのは、自分自身なのだ。
空腹の最中、ご馳走を前に焦らされて、それでもまだ、「待て」の命令に忠実に従い、「良し」と言われるまで手をつけない。傍若無人な振舞いが目立つようでいて、こんなところだけは、昔から聞き分けがいい。
どう見ても余裕がなく、本能が暴走を始める一歩手前だというのに、なけなしの理性でどうにか抑え込んでいる。顔を真っ赤にして、怖い顔をして、我慢している。こんな姿が、どうしようもなく、愛おしい。
「……我慢比べだもんな」
もちろん、瞬介が負けず嫌いなのも知っている。勝負などと言い出した手前、自ら負けを認めることはできないのだろう。こうなれば意地の張り合いだ。男のプライドにかけても、今ここで手を出すことはできないのだろうと、七瀬にだって分かっている。分かってはいるが……
「ああ? そうだよ。さすがに、こんな場所でならブレーキ利くだろ」
「てめぇ、最初から狙ってやがったろ」
「そりゃーな。昨日言ったろ。帰ってきたら覚えてろって」
「……もっとすげぇことされんのかと思ったぜ」
「っ……」
分かってはいるが、揶揄いたくもなる。瞬介は悔しそうに歯を軋ませ、ハンドルを叩いた。
「てめっ、マジで次こそ覚えてろよ」
「悪役の台詞だろ、そいつは」
「うるせーうるせー、今ここでやっちまってもいいんだぜ」
「そうヤケを起こすなよ。約束の日まで、あと何日だ? せっかくここまで来たのに、もったいねぇだろ」
「もったいねぇこたねぇだろ」
「今日より明日、明日より明後日、我慢したら我慢しただけ、気持ちよくなると思わねぇか?」
「っ……」
「もう少しの辛抱だろ。最終日には、きっと極楽が待ってるぜ」
「だーッもう、わーったよ。お前にゃ敵わねぇ。けどな、そン時が来たら、次こそマジで覚えとけよ。お前が泣いて謝ったって、ぐっちゃぐちゃのどろっどろになるまで、抱き潰してやっからな」
「は、そりゃおっかねぇ」
「おーい、マジで言ってんだからね?」
「ま、せいぜい楽しみにしといてやらァな」
「余裕ぶっこいてられんのも今のうちだぜ」
そう言うと、瞬介はようやく車を発進させた。黄昏の空の下、寄り道せずに家路につく。
瞬介はああ言ったが、七瀬にだって余裕など全くない。今すぐに、胎の奥に熱いものをぶち込んでほしい。猛り立つもので、奥の奥まで掻き回してほしい。自分の指では決して届かない、体の中心の深いところまで、瞬介に触れてほしい。
けれど、素直に泣いて縋るなど、プライドが許さない。これは意地の張り合いなのだ。約束の日を迎えるまでは、血反吐を吐いたって耐えてみせる。それはきっと、瞬介も同じこと。体の奥が、いくら切なく疼いたって、それを相手に悟らせるわけにはいかないのだ。
夏はもう始まっている。里に帰り、花火を見るその日まで、指折り数えて待つしかない。
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