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第4話

一限目の授業の教室を覗くと楽しそうに盛り上がってる集団がいた。 明はゆっくりとそこに近づいていく。 中途半端に入って話の腰を折ってはいけない。 ちょうど良いタイミングで合流しなくては。 そう思っていると、みんなの中央で笑っていた木岐がこちらに気づいて手を挙げた。 「四十万、おはよう」 そう笑いかけられ、明はホッと胸を撫で下ろす。 「おはよう」 明が挨拶しながら入っていくと、他の学生達もおはようと言ってくれた。 「今さ、こいつの昔の恋人の話聞いてたんだけど」 一人の学生が親指で目の前の男性を指す。 「αの彼女だったらしいんだけど、劣等感すご過ぎて結局別れたんだってさぁ」 「へぇ・・」 αという単語に思わずドキリとする。 この大学にはαは少ない。教授ぐらいしかいないのではないだろうか。 すると木岐が笑顔を崩すことなく静かに言った。 「αやΩとの恋愛なんて俺は考えられないなぁ」 その言葉に一同が少し驚いた顔をする。 「βはβ同士で恋愛した方がいいよ、絶対に」 木岐がそう言い放つのと同時に教授が教室に入ってきて、そこで会話は中断された。 みんな、それぞれ席に着席する。 明もその流れで木岐の隣に腰掛けた。 しかし授業の内容がなかなか頭に入ってこない。 先ほどの木岐の言葉が引っかかっているからだ。 普段と変わらないいつもの笑顔で、でもどこか冷たく言い放った言葉。 まだ木岐とは知り合って間もないが、人を性別で区別するような人間には思えない。 だからこそ、皆驚いたのだろう。 なぜ、彼はあんなことを言ったのか。 その真意が知りたい・・ そんなことを授業中ぐるぐると考えていた明だったが、そのチャンスはすぐに訪れた。 大学の後、二人ともバイトだということがわかりS駅まで一緒に行くことになったのだ。 電車に揺られながら、明は伺うような顔で木岐を見つめた。 普段通り、なんの悪意もなさそうな爽やかな表情でスマホを見ている。 「うん?どうかした?」 明の視線に気づき、木岐がこちらに目を向けた。 「あ・・いやぁ。あのさぁ」 明はどう聞こうか迷いながら口を開く。 「さっきさ・・木岐言ってたじゃん?βはβ同士で恋愛した方がいいって」 「うん?」 「なんで、そう思うのかなーって。ちょっと気になって」 「え・・なんでって」 木岐は意外なことを聞かれたと言わんばかりの顔をして目を見開いた。 「そりゃあ、αとΩがくっつく方がお互いのためにもいいし自然じゃん。そこに下手にβが入る必要はないでしょ?」 軽い口ぶりで木岐は言った。 「あれ、もしかして四十万はβじゃない?勝手にβだと思ってた」 「あっ、いや。俺はβだけど」 明は慌てて両手を振る。 「あ、よかった。俺、別に偏見があるつもりはないんだけどさぁ・・αとΩのいざこざに巻き込まれて大変だったことがあったから。なるべくそこには関わらないようにしてるんだよね」 木岐は眉尻を下げて笑った。 「いざこざ?」 「そう。αもΩも友達としてならいいけどさ。恋愛対象としては絶対無理だな。だってβには理解できないじゃん、フェロモンとか番とかさ」 「・・・」 悪意なく爽やかに笑って言う木岐の言葉に明は口を噤む。 昴や幸のことを考えたら『そんなことない』とここで反論するべきなのかもしれないが、新しくできた友人に対して険悪な空気を作るのは気が引ける。 「あ、ごめん。あくまで俺の考えだからさ。ただの経験談だから参考までに聞き流してよ」 明がなんとも言えない表情をしていることに気がついたのか、木岐はフォローするように言った。 「・・ううん。理解できないことがあるのは分かるよ」 明は取り繕うように笑う。 その顔を見て木岐がどう感じたのかはわからないが、この話題を切るように窓の外に目を向けた。 「東京ってさぁ、本当人多いよなぁ」 「え・・」 「これだけ人がいれば、出会いなんていくらでもあって過去のことなんていつの間にか忘れちゃうんだろうなぁ」 先ほどと変わらない笑顔と口調で木岐は言ったが、その横顔にはどこか陰りが見えた。 「・・・」 明はどう言えばいいのか分からず、ただじっとその横顔を見つめる。 出会って数週間。 爽やかで親切で悪意の欠片も感じない。 けれど自分が見ている姿は、まだ彼のほんの一部でしかないのだろうなと思った。 いつか、もっと本音をさらけ出せるような仲になるのだろうか。 少なくとも今は、自分の恋人がαであることはとても言えそうにない。 「・・本当、東京って人すごいよな。毎日イベントでもやってるみたい」 明は車窓の景色に視線を移してボソッと言った。 「あっ、わかる。俺も初めてきた時思った。これが普通なんだって理解するのにちょっと時間かかったし」 ニコリと笑って木岐が言う。 もう先ほどのような曇りはない。 その顔を見て明はホッと息を吐いた。 「まだバイトまで時間あるなぁ」 S駅に着くと木岐はスマホで時刻を確認しながら呟いた。 「本屋にでも行って時間潰そうかなぁ」 それを聞いて明はハッと閃く。 「あ、俺のバイト先の上の階が本屋だよ!俺も行こうと思ってたから案内しよっか?」 「え、まじ?ちょうどいいじゃん。行こう行こう!」 木岐は迷う様子もなく快諾してくれた。 『海を学ぶ』を読み終えたので、あの本を紹介してくれた『いろはさん』にお礼を言いたいと思っていたのだ。今日、いてくれたらいいのだが・・ 本屋のフロアに着くと明はすぐに辺りを見回した。するとすぐにエプロン姿の華奢な背中が目に入った。 「あっ!」 思わず大きな声が出る。 その声を聞いて横にいた木岐が驚いたように目を見開いた。 「なに?どうしたの?」 「あ、いや。あそこの店員さんにさ、前に本を紹介してもらって。そのお礼を言いたかったんだよね」 「へぇ。そうなんだ」 木岐がそう言って相槌を打ったのと同じタイミングで、その店員がこちらの方へ顔を向けた。 彼は明の顔を見ると一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに目元を緩めて微笑んだ。 「いらっしゃいませ。今日も海の本をお探しですか?」 その言葉を聞いて明の胸が高鳴った。 どうやら覚えていてくれたようだ。 「あ、違うんです。今日はお礼を言いたくて。あの本を読み終えたので」 「えっ。あぁ、そうなんでんすね」 彼は嬉しそうに笑うと、明の瞳をまっすぐ見据えた。 「わざわざお礼を言いに来てくれるお客様は珍しいので嬉しいです」 綺麗な瞳で見つめられ、思わず明は頬を染める。やはりΩ性の持つ美しさは特別だ。 「あ、あのこちらこそ。覚えててもらえてるか不安だったのでよかったです。お客さんのこと、ちゃんと覚えてるんものなんですね」 ドギマギとしながら明は早口で言った。 「まさか。僕は人の顔覚えるのはそんなに得意じゃないんです。でも、あなたのことは覚えてました。海に興味があるって言っていたから」 「え・・」 「僕も海が大好きなんです。だから海の本を聞かれて嬉しかった」 「・・・」 そう言って穏やかに笑う姿に、ふと昴の姿が重なった。 やはり雰囲気が似ている。それに、海が好きというのも一緒だ。 なせだろう。不思議とこの人には運命的なものを感じてしまう。 「あ、あの。お名前『いろは』さんですよね?」 「え?」 急に名前を言われ、彼は不思議そうに首を傾げた。 その様子を見て変な質問をしてしまったと思い、明は慌てて両手を振った。 「あっ!この間、他の店員さんがあなたのことそう呼んでいたから!綺麗な名前だなって印象に残って!」 明の慌てっぷりがおかしかったのか、彼はふっと小さく吹き出した。 「ふふ。ありがとうございます。いろはは下の名前なんだけど、彩る葉っぱで『いろは』って読みます」 「・・彩葉、さん」 「はい。あなたは何さんですか?」 「あ、あの俺は四十万明です。明るいって書いて明」 「明君?素敵な名前ですね」 「えっ。へへ」 明は思わず照れ笑いをする。名前のことを褒められたのは初めてだ。 「あの・・また海の本のこと聞きたくなったら、彩葉さんに聞きに来ていいですか?」 「もちろんですよ。待ってます」 ニコリと笑って言う彩葉の言葉を聞き、明は「やった!」と小声で言うと満面の笑顔を浮かべた。 「じゃぁ、ゆっくり見ていってくださいね」 「あっ、はい。ありがとうございます」 明がお礼を言うと、彩葉は小さく会釈をして奥の本棚の方へと歩いていった。 まだ、心臓がドキドキと音をたてている。 こんなに積極的に他人に話しかけたのは初めてだ。我ながら大胆な行動に出てしまった。 いつもなら相手の顔色を窺ってしまい、必要最低限なこと以外は話したりしない。 けれど・・なぜだかあの人なら大丈夫だと思ってしまった。 あの人のことをもっと知りたいとも思った。 恋人と雰囲気の似ている、不思議なあの人のことを・・ 「ねぇ」 まだ興奮が冷めぬまま立ち去っていく彩葉の後ろ姿を見つめていると、それまで黙っていた木岐が横から声をかけてきた。 「四十万、もしかして今の人のこと好きなの?」 「えっ?!」 想像もしていなかった問いに大きな声が出る。 「ち、違うよ!なんで?!」 「だって、名前聞いてたし。仲良くなりたいのかなぁって」 「えぇ・・すごい良い人だなとは思うから、仲良くなれたらなとは思ってるけど・・」 明が困ったような顔をすると、木岐は口元にだけ笑みを浮かべて言った。 「・・あの人Ωだよね」 「え・・」 「首輪してたから。俺、心配だな。Ωの人をもし好きになっちゃったら」 「・・本当に、そういうんじゃないよ・・」 「そう?」 木岐は笑いながら首を傾げたが、その瞳には懐疑の色が浮かんでいる。 それを見て明はごくりと生唾を飲み込むと、意を結したように口を開いた。 「あ、あのさ・・俺の兄貴がさ、Ωなんだよね」 「え?」 木岐は驚いた顔で目を見開く。 「・・さっきの彩葉さんも同じΩだから、その・・親近感湧いたって言うか・・・あと、それから・・俺の恋人にも雰囲気がちょっと似てて・・」 「・・・」 突然の明の告白に木岐は呆然とした顔をする。しかしその間は短く、すぐに切り替えるように爽やかな笑顔を浮かべると眉尻を下げて言った。 「びっくりした。四十万恋人いるんだ。それにお兄さんΩなんだね。ごめんな、俺色々嫌な言い方しちゃって」 「え・・あ、いや・・あの・・」 勢いで言ってしまったが、爽やかに返されて明は口篭ってしまう。 決して謝って欲しかったわけではない。 ただ何も言わないでいるのは誠実ではない気がしたのだ。 「恋人がいるならあの人の事を好きになることはないか。余計なお世話だったね、ごめん」 「・・それは、全然・・」 「あ、俺そろそろバイト行くわ。シフト提出しなくちゃいけなかったんだった。本屋の場所教えてくれてありがとう。今度ゆっくり見にくるよ」 木岐はそう言うと、ニコリと笑ってすぐに踵を返し歩き始めた。 「あ・・じゃぁ、また明日」 明は慌ててその背中に声をかける。 その言葉に答えるように木岐はこちらに緩めた視線だけ向けると、エスカレーターに乗り下へと降りて行った。 木岐の姿が見えなくなると、明はふっと小さく息を吐いた。 体が緊張していたようだ。 きっと彼は、あの爽やかな笑顔の裏に何かを隠している。 そしてそれを言う気はないのだろう。 知り合ってもうすぐ一ヶ月、気づいたことがある。 木岐はこちらのことを深く聞いてることはない。 それは自分も聞かれたくないことの表れなのだ。 ならばそれに合わせればいい。 新しく出来た友人と、どんな形の友情を作っていくのか。 今はそれを模索していく時だ。 明は本屋の店内に目を向けた。 彩葉が忙しそうに本の陳列をしている。 東京に出てこなければ、このビルのカフェでバイトを始めなければ、きっと一生出会う事はなかった人。 あの人との関係もまた、なぜだか特別なものになっていく予感がした。

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