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第6話
高校生の頃、幸がこんなことを言っていた。
「先に出会ったもの勝ちだってさ」
「え?」
明は学習机の前に座ったまま幸に目を向けた。
明のベッドに腰掛けた幸の髪はまだほんのりと濡れている。お風呂上がりに話に来るのがいつものパターンだ。
「なに?何のこと?」
明はシャープペンシルをカチカチと鳴らしながら聞いた。
明後日のテストに向けて勉強している最中だった。
「昴に振られた子が言ってたの。わざわざ俺に聞こえるように嫌味っぽくね」
「え・・?」
「昴、最近は告白されるといつもこう言って振るんだって。『昔からずっと好きな子がいるからごめん』って。それで、まぁ・・学校ではその相手は俺だってみんな思ってるから。だから昴から振られた子の妬ましい〜視線が全部俺に来るわけ」
「あ、あぁ・・なるほど・・その、ごめん・・」
明は困ったような顔で頭を掻く。
「ねぇ。昴のことで謝るのはやめてって言ってるでしょ」
幸が横目でこちらに鋭い視線を送った。
「あ、うん・・そうだった・・」
明は肩を縮こませ背中を丸める。
それを見て幸はフンと小さく鼻を鳴らした。
「それでね、その振られた子がさ。廊下ですれ違いざまに俺に言ったわけ。『先に出会ったもの勝ちだよね』って。『幼馴染ってだけでずるいよね〜』なんてことも言ってたな」
「へぇ・・・」
「あんな嫌味なこと言う子、幼馴染でも好かれるわけないってのが分からないのかなぁ。振られて当たり前だよ」
幸はフゥと小さく息を吐いて頬杖をついた。
美人で淑やかなイメージの幸だが、実は結構辛口で厳しいことを言うのだ。
「・・・」
明は再びシャープペンシルをノックし芯が出てくる様子を見つめた。
そして少しずつ伸びてくる芯を見ながら『その通りかもしれない』と思った。
例えば・・
昴の家の隣に住んでいたのが別の家族だったら。
そこに同い年の子どもがいたら。
きっと昴はその子と仲良くなり、その子を心の支えにしただろう。
そしてその子のことを好きになる。
『その存在』がたまたま自分だっただけなのだ。
そう思うと、やはり『先に出会ったもの勝ち』で間違いはない。
けれど人との出会いというのはそういうものなのだろう。
偶然が重なり、縁があって一緒になる。
もしも・・いつ、どこで、どのタイミングで出会っても必ず結ばれる存在がいるとしたら・・それはまさしく『運命の相手』だけだろう。
自分と昴は違う。
それはわかっている。
けれど、そんなことを気にしていても仕方がない。
今の自分が、昴にとって一番相性のいい人間になれていればいいのだから・・・
——
「あのさ、今日のバイト13時までになったんだけど、その後昴の家に行ってもいい?」
明はバイトの休憩時間を使って昴に電話をかけた。
今は土曜日の午前十時。もうすぐ混み合う時間だ。
けれど今日はシフトの手違いで人員が厚い。スタッフが余りがちだったため、早上がりができるか聞いてみたところ店長は快く了承してくれた。店長としても無駄な人件費は削りたいようだ。
『本当?なら俺、明のバイト先の近くで待ってるよ。そっちの方が早く会えるし。どこかでご飯でも食べよう』
嬉しそうな声で昴が言った。
「あ、ありがとう!じゃぁさ、カフェの上の階が本屋なんだけどそこで待ってて」
『わかった。探してる本があったからちょうどいいや』
「へへ、よかった!じゃぁ、またあとで!」
明は声を弾ませて言うと電話を切った。それからフフと小さな声で笑う。
昴との時間をもっと作ろう。
そう決めたばかりだったので、さっそく今日決行できて良かった。
昴と二人で美味しいご飯でも食べに行こう。
それからの時間はあっという間に過ぎていった。
カフェではパスタやサンドイッチなどの軽食も出している。そのためランチの時間はレジの列が途絶える事なく、スタッフが多い今日でもなかなかの忙しさだった。
「お疲れ様でーす」
明は急いで私服に着替えると足取り軽くバイト先の控え室を飛び出した。
昴のことだからきっと少し早めに来てくれているに違いない。
明は走りたい気持ちを抑え上りのエスカレーターに乗った。
そういえば今日は彩葉さんは出勤しているだろうか。
昴に彩葉さんを紹介したらきっと話が合うだろう。
まだ彩葉さんのことを話していないが、海の話ができたら昴も喜ぶかもしれない。
そんなことを考えているとちょうど書店のある階に着いた。
明は一歩足を前に出しエスカレーターから降りる。
その時だった。
「きゃっ!」
驚いたような女性の声が聞こえた。
明は声のした方へ目を向ける。
すると彩葉が苦しそうに胸の辺りを抑えて座り込んでいた。
彩葉の正面には男性、そして近くには客と思われる女性が立っている。先ほどの声はあの人に違いない。
—あれは・・ヒートだ。
明は彩葉の様子を見て瞬時に悟った。近くで幸を見てきたからわかるのだ。
—助けなくちゃ。
咄嗟にそう思い駆け寄ろうとした時だった。
彩葉の正面に立っていた男性が逃げるように駆け出した。
その人物の顔を見て、明の走ろうとしていた足がピタリと止まる。
まるで石化でもしてしまったかのように動かすことが出来ない。
え・・?なんで?
それはまぎれもない、恋人の姿だった。
顔を真っ赤にし手で鼻を抑えるようにして昴が駆けて行く。
明がいるエスカレーターとは反対の非常階段のある方だ。
昴は明に気づくことなく走って行くと、階段の奥へと消えていった。
追いかけなくちゃ・・・
そう思ったが、目の前の彩葉はまだ苦しそうに座り込んでいる。側の女性は遠目にオロオロとしているだけだ。
明は手のひらをグッと握りしめると、彩葉の方へと駆け寄った。
「彩葉さん!」
明が声をかけると、彩葉がゆっくりと顔を上げる。
「・・・あ、明君?」
「大丈夫ですか?ヒートですよね?」
「・・う、うん」
彩葉は小さく頷く。
顔は上気して瞳が潤んでいる。よく見るヒートの症状だ。
けれど・・今まで遭遇してきたヒートとは何かが違う。
不思議な違和感を覚えながら、明は彩葉の肩に手を当てた。
「あの、俺ヒートを抑える薬持ってるので。飲んでください」
「え・・明君・・Ωなの?」
「違います。でも、兄がΩだったから何かあった時のために俺も持ち歩くようにしていて・・」
「そう、なんだ・・優しいんだね」
彩葉が力無く笑う。
その瞬間、微かにフワリと匂いがした。
芳しい、花のような香りだ。
明はハッとして目を見開く。
今まで見てきたヒートと何が違うのかわかった。
匂いだ。
βには分からないはずのΩの匂いを感じるのだ。
「明君、ありがとう・・でも、ごめんね」
彩葉はそう言うと、よろよろと立ち上がった。
「普通の・・抑制剤じゃ効かないんだ」
「え・・」
「・・これは・・『運命の番』との、ヒートだから」
「・・・え」
喉の奥から声が出る。
今、彩葉はなんと言ったのか。
耳から言葉は入ってきたはずなのに、頭の処理が追いつかない。
彼はなんて言った?
運命の・・・?
「ごめんね、控え室に薬があるから・・」
彩葉はゆっくりと歩き出す。
「あっ・・お、俺一緒に行きます。1人じゃ危ないから」
明はそう言うと、彩葉を守るように両肩を抱いて歩き始めた。
周りを見ながらαがいないか警戒して歩く。
しかし心臓は冷静さを失ったようにどんどん速くなっていく。
額に脂汗も浮かんできた。
まるで、底知れぬ不安がじわじわと歩み寄ってくるような気分だった。
「・・ありがとう、明君」
控え室に着くと、彩葉はすぐに自身の鞄から薬を出し手慣れた様子で飲んだ。
薬の効きは早いらしく、すでにだいぶ落ち着きを取り戻している。
「いえ・・・」
明は小さな声で答えながら、じっと彩葉を見つめた。
先ほどの話を聞くべきか、聞かないべきか。
怖くて言葉が出てこない。
すると、そんな視線に気がついたのか彩葉が眉尻を下げて微笑んだ。
「ごめんね、さっきは驚かせちゃって。僕、普段は周期も安定してて急にヒートになることはないんだ」
「え・・あ、そうなんですか・・」
「うん、だったんだけど・・出会っちゃったんだよね、『運命の番』に」
「・・・」
明の心臓が大きく跳ねる。
それからみぞおち当たりがジリジリと痛くなってきた。
「大学の後輩なんだけどね・・ビックリした。彼と出会った途端、抑えがきかないくらい身体が熱くなっちゃって。今までのヒートとは全然違うんだ。『運命の番』なんて信じてなかったけど、これがそうなのかって納得するしかなかった」
「・・大学の・・彩葉さん学生だったんですね・・」
「うん。T大学の3年だよ」
「・・・」
昴と同じ大学だ。
腋から嫌な汗が滲んでくる。
「今年の春からゼミに入ってきた子なんだけどね。お互い最初は驚いたけど・・でも彼も僕も『運命の番』だからといって必ず番になる必要はないって考えで、だから大学のある日は薬を飲むようにしようって決めたんだ、僕はヒート、その子はラットを抑える薬を」
その話を聞いて、明は昴の玄関に置いてあった薬の紙袋を思い出した。
慌てて取り上げていたあの袋。あれはラットを抑える薬だったということか。
「ただ、やっぱり『運命の番』の力は強いのか普通の市販薬じゃ効き目が悪くて・・病院で強めの薬を処方してもらってるんだ。万が一があったら困るからね」
「万が一・・・」
声を震わせながら呟く。
それはつまり、昴とこの人が・・番になってしまうということ・・
想像しただけで眩暈がしそうになる。
「それくらい強い薬だから休みの日は飲まないんだけど・・油断してたよ。まさかバイト先に彼が現れるなんて。お互いすぐに気がついて離れたんだけど、抑えられずヒートになっちゃった。恥ずかしいところ見せちゃったね。ごめん明君」
「・・い、いえ・・」
明は首を横に振る。
「じゃぁ、僕そろそろ売り場に戻るよ。明君、控え室まで連れてきてくれてありがとう。声かけてくれてすごく嬉しかったし心強かった」
彩葉は穏やかな笑顔をこちらに向けた。
「・・あ、あの・・」
「うん?」
「・・・いえ・・なんでもない、です」
明は口籠もりながら俯く。
一体このタイミングで何を言うつもりだ。
あなたの『運命の番』は俺の恋人かもしれない、なんて言えるわけがない。
明は改めて彩葉に目を向けた。
知的で優しくて綺麗な人。
この人が、昴の運命の相手・・・
重い足取りで書店を後にし、下の階に降りた瞬間「あっ!」と大きな声を上げた。
明は肩にかけたワンショルダーのバッグの中から慌ててスマホを取り出す。
スマホには昴から一件のメッセージが届いていた。
急いでメッセージを開くと『明、ごめん。体調が悪くて遅れます。明の家で待っててもらってもいい?』と書かれていた。
それを見てスマホをきつく握りしめる。
なんだか胸の辺りがモヤモヤする。
怒りとも悲しみとも違うのだけれども。
今は冷静な気持ちで昴とは向き合えそうにない。
明は素早く指を動かし返信する。
『体調悪いなら無理しなくていいよ。俺もちょっと疲れたから今日はやめておこう』
なんとも素っ気なく冷たい文だ。
我ながら大人気ない。
けれど・・
自分の知らないところで、昴がΩのフェロモンでラットを起こしていたなんて・・
しかもそれが『運命の番』のものだなんて・・
避けようのないことだったとしてもショックで仕方がない。
わかっている。
αと恋人になればそういうことだってありえるのだと。
αとΩには逃れようのない性がある。
βの自分とは世界が違うのだ。
ふと、木岐が言っていた言葉が頭をよぎった。
『βはβ同士で恋愛した方がいい』
確かにな・・とふと思う。
しかしすぐにその考えを消し去るように頭を振ると、明は前を向いてゆっくりと歩き始めた。
少し一人になって落ち着こう。
大丈夫。
『運命』に負けないように頑張るのだと、彼と結ばれた時そう決めたのだから。
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