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第8話

昴は、やっぱり何も言わなかった。 あの日の本屋さんでのこと、彩葉さんのこと、運命の番のこと。 きっと・・聞けば彼なら答えてくれただろう。 申し訳なさそうに。苦しそうに。 それでもそうやって、誠実に返してくれたと思う。 けれど聞けなかった。 言わないと昴が判断したから。 昴は一人で抱え込もうとする。それが彼なりの優しさであることも知っている。 だから、無理に聞けなかった。 本当はもっと・・ 正直でいてくれていいのに。 ぶつかってきてくれていいのに。 希望も、意思も、言ってくれていいのに。 そうさせない原因が、俺にあるのだろうか・・ ーー 気がつけば冷房をつける日が多くなった。 まだ五月だけれど、もう夏のような暑さだ。 もう少ししたら雨が多くなりジメジメとした日が続くのだろう。 地元も東京も気候はあまり変わらないようだ。 「何を真剣に見てんの?」 休憩時間に教室でスマホを見ていたら、横から声をかけられた。 顔を上げると木岐が笑って立っていた。 「木岐、おはよ」 「おはよ、四十万は今日1限から?」 木岐はそう尋ねながら明の横に座る。 「うん」 「で、何真剣に見てたの?俺ちょっと前から四十万の前にいたんだけど全然気づかないからさぁ」 「えっ?!マジ?!ごめん」 「ううん。いつ気づくか試してたから楽しかった」 木岐は悪戯っ子のように笑った。 「あー・・今度さ。どこか遊びに行きたいなと思ってて。色々調べてたんだ」 そう言って明はスマホの画面を木岐に見せる。 「ふーん。『東京のおすすめスポット』ね」 木岐は画面の文字を読みながら顎に手をあてた。 「どこか行きたい所とかないの?そこにすればいいじゃん」 「・・うーん、俺あんまり東京に興味なかったから、いざ出かけるってなるとよく分かんなくて」 「へぇ〜。四十万は東京に出てきたくてこっちの大学受けたタイプじゃないんだ」 「え・・」 ドクンと心臓が鳴る。 「俺は地元から離れたくて東京出てきたから。四十万はどうして東京の大学受けたの?」 「どうしてって・・それは・・」 「・・?」 「あー、なんとなく東京なら大学いっぱいあるし俺でも受かるかなぁって」 明は誤魔化すように笑いながら頭を掻いた。 「えー。あはは!動機適当〜」 木岐も同じように笑って返す。 変に思われたかもしれない。 けれどそこを突っ込んでこないのが木岐だ。 「じゃぁ、どこかいいお出かけスポット俺も考えるよ」 そう言いながら木岐は自身のスマホを操作し始めた。 「あ、ありがとう」 明はお礼を言うと、再びスマホの画面に目を向ける。 しかしぼんやりと画面を見るだけで、頭は違うことを考えていた。 なぜ、東京の大学に決めたのか。 自分がそうしようと思った理由。 それは・・ そうしないと、昴が行きたい大学を諦めてしまうと思ったからだ。 ー いつかは家を出ると決めていた。 でもそれは就職する時だろうと思っていた。 まだ自分の生活力に自信はない。 実家から通える範囲に大学はいくつかあるし、あの時までは東京の大学だなんて全く考えていなかった。 そう、あの時。 良杜から昴の進路希望を聞かされた時だ。 「昴君、海のことについて勉強したいんだってね」 「へ?」 高校三年生の夏。 お昼休みに廊下で会った良杜が何気なく言った。 「天谷がね、先生と昴君が話してるのを聞いたんだって。海洋学の研究が出来る大学に興味があるって」 「あぁ、なんか海に興味があるみたい。前に授業の課題で海に関する本を読んだら面白かったって言ってたし」 「へぇ〜。やっぱり昴君はしっかりしてるね。目標がはっきりしてるんだ」 良杜が感心したように目を丸める。 「え、どうなんだろう。もう大学決めてるとかは聞いてないんだけど・・」 「でも天谷が言うには、憧れてる教授がいるなら、その人のいる大学がいいんじゃないかって話になってたらしいよ。東京の大学らしいけど」 「・・東京の大学?」 予想外の言葉に明は驚いて固まった。 そんな明の反応を見て良杜はしまったと思ったのか、フォローするように言った。 「・・でも先生が勧めてるだけで昴君が行きたいわけじゃないのかも」 「あ、どうなんだろうな。今度会った時聞いてみるよ!」 明も良杜に気を遣わせまいと明るく笑う。 今まで特に考えもしなかった。 昴がここを離れるということを。選択肢の中に地元以外の大学が存在することを。 自分の能天気さが恥ずかしくなる。 「大学ってどこか考えてる?」 明はさっそく昴に聞いてみた。 「え・・」 昴は何かを考えるように目をぱちばちとさせる。 しかしすぐに目元を緩めると「明は?」と聞き返してきた。 「え、俺?」 自分のことを聞かれるとは思っていなかった明は、焦って早口で答える。 「お、俺はまだ地元の大学くらいしかちゃんと調べてないんだけど」 「・・そっか。良い所があればいいよね。俺も一緒に調べるよ」 「う、うん。で・・昴は、どう考えてるの?」 「俺は・・明と一緒にいれることが1番大事だから。明のいく大学と近いところにしようかな」 「えっ!な、なんだよそれぇ。真面目に考えろよ」 明は困ったように笑いながら昴の腕を小突いた。 「あはは。真面目に考えてるよ」 昴は可笑しそうに笑う。本気なのか、冗談なのかよくわからない。 けれどうっかり昴の言葉に喜んでしまっている自分がいる。 内心ホッとしながら明も笑った。 きっと東京の大学という話は、先生からの提案にすぎなかったのだ。 昴の選択肢にそんな遠いところが入るはずがない。 だって、昴はこんなにも自分を好きでいてくれているのだから・・ 「明君」 学校からの帰り道、後ろから声をかけられた。 振り返ると、昴の父親が背広姿で近づいてくるところだった。 「あ、こんばんわ」 明は小さく頭を下げる。 昴の父親は普段帰りが遅い。顔を合わせるのは休みの日に昴の家へ遊びに行った時くらいだ。だから平日の夕方に声をかけられて驚いてしまった。 「学校帰り?」 「はい」 「昴は一緒じゃないんだね」 「あ、昴は今日部活の日なので」 ぎこちない口調で明は答える。 昴の父親は明と昴の関係を知っている。 けれどそのことについて特に言及されたことはない。 昔と変わらない態度で接してくれるのだが、逆に明の方が変に意識してしまう。 昴の父親に嫌われないようにしなくてはと思うからだ。 明が口角を上げて固まっていると、昴の父親が迷いのある顔でこちらを見て言った。 「・・明君、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」 「え・・あ、はい」 明はドキリとして手のひらを握りしめる。 「昴がどこの大学目指してるか知ってる?」 「・・・」 その問いに一瞬言葉が詰まった。しかしすぐに取り繕うように口を開く。 「・・・あ、いや。俺は特には・・」 「そっか。明君なら聞いてるかなと思ったんだけど」 「・・昴は、何か言ってるんですか?」 「いや、実は家に東京の大学から案内が届いてね。昴が資料請求したみたいだから渡す時に聞いたんだよ。『この大学に行きたいのか』って」 「え・・・」 心臓の鼓動が速くなる。握りしめていた手のひらにジワリと汗が滲むのを感じた。 「そしたら少し考えるような顔をして『興味があるだけだ』って。『最近読んだ本の著者がこの大学の教授で、その人がどんな授業をやってるのか知りたくて』って言ってたんだ」 「・・本、ですか」 昴が目を輝かせて話してくれたあの海の本のことを思い出した。 それと同時に良杜が言っていたことも思い出す。 『憧れてる教授がいるなら、その人のいる大学がいいんじゃないかって話になってたらしいよ』 確かにそう言っていた。 昴はその教授がいる大学に心動かされているに違いない。 「はっきりとそこに行きたいとは言わなかったけど、東京に行くことも考えているのかなと思ってね。でも明君が聞いてないならそのつもりはないのかな」 「・・・」 「ごめんね、引き留めちゃって。まぁ、昴のことだから自分でしっかり考えて決断するだろうし心配はしてないんだけどね」 「・・・はい。そう、ですね」 明は目を細めて弱々しく微笑む。 「じゃぁ、また。僕はスーパーに寄って帰るよ。昴のこといつもありがとう」 昴の父親は穏やかに笑うと踵を返して歩き始めた。 明はその背中を無言で見つめる。 小さい頃はあの人を怖いと思っていたが、今改めて見ると雰囲気は昴にそっくりだ。 色々あったが、親として一人息子のことをちゃんと気にかけているのだろう。 明はざわつく胸に手を当てて考えた。 昴が東京に行く意思があるのなら恋人の自分に報告するはずだ。 けれどそれをしないということは・・まだ迷いがあるのか、もともと本当に行く気がないのか。 ・・いや、きっと違う。 昴は言っていた。 『明と一緒にいれることが1番大事だから』と。 それが昴の意思の決め手なのだ。 俺が『地元の大学』しか調べていないと言ったから。 だから東京の大学は昴の選択肢から消えてしまったのだ。 何事にも平坦で冷静な昴が、珍しく興味をしている物があるのに。 それでも彼はそのことよりも俺を選んでしまおうとしている。 自分の意思より・・俺を優先しようとしている。 ・・そんなのは・・ダメだ。 けれど、それを言っても昴は頑なに拒否するだろう。 『違う、大丈夫だよ』と微笑んで。 言い争いにならないように、優しい言葉で自分の意思を殺すだろう。 ならば・・ そうならないようにするには・・・ 「ねぇ、昴。東京の大学って考えてる?」 放課後、二人でファストフードを食べながら明は何気ない口ぶりで聞いた。 「え・・・」 昴はポテトを食べかけていた手を止める。 「・・なんで?」 「・・いや、実はさ。俺、最近東京の大学もいいなぁって思い始めて」 「・・え、本当?」 「うん。東京って大学いっぱいあるんだなぁ。調べてビックリしたよ!興味ある学部もいくつかあったし東京に出ることも考えてみようかなって」 「・・でも、おじさん達は反対するんじゃない?」 「大丈夫だって!幸が東京に出るってなったら絶対反対だろうけど、俺にはそんなにうるさく言わないんじゃないかな」 「・・そう」 昴は節目がちに頷いた。 それから顔を上げてこちらを見つめる。 「なら、俺も明と一緒に東京に出るよ」 「え・・」 「実は東京で興味のある大学があるんだ。前に話した海の本の著者が教授をしてる大学なんだけど、その人のゼミが海洋学の研究で有名なんだって。そこに入ったら勉強になりそうだなってちょっと憧れてたんだ」 「・・へぇ。すごい、いいじゃん!」 明は心の中でやっぱり、と呟きながら頷いた。 思った通りだ。やはり昴は東京の大学に行きたいと思っていたのだ。 普段より饒舌に話すその様子で、テンションが上がっているのがわかる。 東京に行ける可能性が出てきっと喜んでいるのだ。 決断してよかった。 昴の夢を諦めさせたらいけない。 ちゃんと・・大切なことは昴自身を優先してほしい。 俺だって昴の望みを叶えてあげたいのだから。 東京の大学を受験することを快諾してくれると思っていた両親は、意外にも難色を示した。 理由としては単純で『一人暮らしで大丈夫か』ということ、そして『お金がかかる』ということだった。 ここまできたら後には引き下がれない。 東京にいくまでに基本的な家事を覚えること、そして生活費は自分でバイトして稼ぐことを条件に親を説得した。 東京に出てすぐにバイトを決めたのはそのためだ。 しかしこのことは昴には言っていない。 親にも『昴に余計な気を遣わせたくないから』と言って秘密にしてもらっている。 優秀で優しい昴が、自分のやりたい事をやれるために。 昴から与えられる愛情を返していけるように。 東京に出る時に決めた目標だ。 忘れていたわけではないけれど、忙しさに流されておざなりになっていた。 昴を喜ばせてあげたい。 楽しませてあげたい。 彼の中心がゼミになりつつあるのを感じて、とっさにデートの提案をした。 少し、嫉妬心が湧いたのもある。 負けたくはない。 俺は昴の恋人なのだから。 彼が望むものを、叶えてあげられる存在でありたい。

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