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第10話

「あぁー。なんで急に冷たくなるかなぁ」 ツンツンとした短髪ヘアをいじりながら久ヶ原が唸った。 耳まで真っ赤な顔はお酒がすっかり回っている証拠だ。 彼は一つ上の先輩で、東京生まれ東京育ちの生粋の都会人だ。 ゼミではいつも明るく快活な彼だが、お酒が入ると人はここまで変わるものなのかと昴は驚いた。 「久ヶ原君。今日は矢野君の歓迎会なんだからね」 正面に座っていた女性の先輩が嗜めるように久ヶ原に言った。 「はぁー、わかってるよぉ。ごめんなぁ、矢野」 久ヶ原は昴の方に目を向けグラグラと顔を縦に振った。 「い、いえ。あの、久ヶ原さんの気持ちもわかるので・・恋人に冷たくされるのは辛いですよね」 昴はどう言っていいか分からず、とりあえず久ヶ原に共感した素振りをする。 「そうなんだよー。でもゼミ合宿は仕方ないじゃん?もともとあるのわかってたはずだしぃ」 どうやら久ヶ原の恋人は、夏休みに一週間ほどあるゼミ合宿のことを怒っているらしい。 昴の入ってるゼミでは長期休みに生態調査のために一週間ほど南の海で合宿がある。 それは昴も入る前から事前に知っていたし、明にも話してある。 明は「楽しそう!」と目を輝かせて聞いてくれた。 特に気にしている様子はなかったが、人によっては一週間も恋人が誰かと寝泊まりするのは気になるものだろう。 かく言う昴も、もし明が一週間も合宿に行くとなったら心配と不安で落ち着かないに違いない。 三泊四日の高校の修学旅行でもそうだったのだ。 一週間なんて長すぎる。 そんなことを考えていると、斜め前に座っていた彩葉がニコリと笑って言った。 「矢野君は恋人を怒らせたりはしなさそうだよね。喧嘩したりするイメージがないもの」 「え・・あ、そうですね・・喧嘩はあんまりしたことないかも・・」 昴が首筋を掻きながら言うと周りの先輩達がざわつきながらこちらに目を向けた。 「えっ、やっぱり矢野君恋人いるんだぁ〜。指輪してるからそうだろうなぁとは思ってたけど」 「へぇ、付き合ってもう長いの?」 「あ、はい。高1の頃からなので・・」 「えぇぇ!一途だなぁ」 久ヶ原がベロンベロンになりながら大きな声を上げた。 「はぁ、まぁ・・」 昴は恥ずかしそうに頬を染める。 「そんだけ長く付き合って喧嘩もしないなら、結婚までいくんじゃん?!もうそういう話とかしてんの?」 先ほどまで愚痴をこぼしていたとは思えない笑顔で久ヶ原が聞いた。 「え・・」 『結婚』という甘い響きに思わず動揺する。 もちろん常にそのことは頭にあるが、口に出したことはない。 崇高な願いに感じてならないからだ。 「・・そう、ですね。温かい家庭に憧れがあるので、いつかはって思いますけど・・」 昴は遠慮がちに笑って言った。 「憧れるってことは矢野君の家はそんな感じじゃなかったの?」 正面の女性の先輩が首を傾げた。 「・・うちは、はい・・全然違ったので・・だから将来家庭を持つなら温かい家庭を築けたらとは思います」 そう、それは例えば明の家のような。 いくつになっても、子どもが生まれても、明の両親はお互いを尊重し愛し合っているのが伝わってきた。 自分の両親とは全く違う。 愛し合っているからこそ作り出せる温かく幸せに満ちた家族の空気。 自分もそれができたなら。 そしてその相手は明がいい。 明でなくては無理なのだ。 心から愛していると思えるのは明だけだから。 — 「再来週の日曜日休みにできたからさ、昴の行きたい所に行こうよ」 明がキラキラとした笑顔をこちらに向けて言った。 それだけでも幸せだが、明の言葉に昴はさらにテンションが上がる。 「え、本当?」 明と一日ゆっくりと出かけられるのは久しぶりだ。 東京にきてから色々なことがありすぎて、落ち着いて遊びに行く余裕もなかった。 彩葉のバイト先での失態以来、かなり気をつけて過ごしていることもあり最近は平穏な日々を送れている。 明と遠くへ行く心の余裕もありそうだ。むしろそれが日々を過ごす支えになるだろう。 明は行きたい所はないかと聞いてくれた。 しかし元々あまりそういったレジャーや観光に興味がない。 そんな中パッと思いついたのが水族館だ。 少し前に『自分が監修に参加した水族館の展示が始まる』と教授がを教えてくれたのだ。 しかし明が水族館をあまり好きではないことを思い出しすぐにやめることにした。 せっかくでかけるのなら明の楽しそうな笑顔が見れる場所がいい。 自分の行きたい場所よりもそちらの方が大切なのだから。 ーー 「矢野君、こんにちわ」 ゼミ室の扉を開けると、彩葉がにこやかな笑顔をこちらに向けた。 「あ、こんにちわ。今日は彩葉さんバイトじゃないんですね」 「うん、今日はお休み」 彩葉はそう答えると、目の前にある自分のノートパソコンに目を戻した。 聞いたところによると彩葉が本屋のバイトを始めたのは二年生になってからだそうだ。 平日も週二くらいで入っているらしい。二年生になれば少し余裕ができるのだろう。 昴も来年にはバイトを始めたいと考えている。 そうすればもっと明にしてあげられることも増えるはずだ。 「そういえば、昨日バイト先にあの時お世話になったお客さんが来てね」 彩葉がパソコンを見つめたまま言った。 「あの時?」 「矢野君とバイト先で会っちゃってヒートを起こしちゃった時だよ」 「あ・・あの時は、本当にすみませんでした・・」 昴は彩葉の斜め前に腰掛けながら小さく頭を下げた。 「え、それはもういいって」 彩葉は困ったように笑う。 「その時にね、助けてくれたお客さんがいたって話したでしょ。僕、その人にちゃんとお礼言えてなかったことが気がかりだったんだけど、昨日来てくれて。やっとちゃんとお礼が言えてよかったよ」 「あぁ、そうだったんですね。あの時親切な人が近くにいてくれて本当によかったです。俺からもお礼が言いたいくらい・・」 本当に心からそう思う。ヒートを起こしたΩを、どこにαがいるかもわからない公共の場に置いていったことがどれほど危ないことだったか・・ 自分の未熟さと不甲斐なさを痛感する。 「時々来てくれる子だからまた会ったら伝えておくよ」 「はい、よろしくお願いします」 昴はお礼を言うと、自身も鞄からノートパソコンを取り出した。 「ところで、矢野君の恋人はどんな子なの?」 「え?」 突然、恋バナを振られ昴は目を丸くする。 「ふふ、聞いてみたかったんだよね。付き合って長いんだよね?高校の同級生だっけ?」 「・・いえ。幼馴染ですけど高校は別です。俺が・・ずっと片想いしていて高1の時に告白して、それで付き合えることになりました」 少し照れくさそうに昴は頬を染める。 「へぇ、矢野君から告白したんだ。ちょっと意外。矢野君なら自分から告白しなくても向こうから来てくれそうだけど」 「そんなことないです。付き合って欲しいって頼み込んでOKしてもらったようなものなので」 「え、ふふ。矢野君、結構しつこいんだ!それも意外だなぁ」 可笑しそうに笑う彩葉を昴はチラリと睨みつける。 「そういう彩葉さんはどうなんですか?」 「え、僕?うーん。僕は語れるような恋愛してないからなぁ。今まで付き合ったこともないし」 「え、そうなんですか?そっちの方が意外ですよ。彩葉さんモテますよね?」 「うーん、確かに告白はしてもらうことあるけど・・でもやっぱりどうしても思っちゃうんだよね、自分から好きになった人と恋人になりたいって」 「・・どうしてですか?」 「Ωだから自分が心から信頼して安心できる人がいいんだ。この身を任せてもいいって思える人」 「・・今までそう思った人はいなかったんですか?」 「うん、いなかったかな。どうしても警戒心が働いちゃって。簡単には他人に曝け出せないよ」 「なるほど・・」 昴は納得したように小さく頷く。 「矢野君も僕と同じタイプだろうなと思うけど違う?」 彩葉はチラリとこちらに目を向けて首を傾げた。 「そう、ですね。俺も人に自分のことを色々話すのは苦手です」 「だよね。そうだろうなって思った。だから矢野君はラッキーだよ!小さい頃にそういう相手と出会えたんだから」 「え・・・」 「恋人には色々曝け出せてるんでしょ?幼馴染が恋人っていいね!」 ニコリと笑う彩葉の顔を見つめながら昴は口を噤んだ。 「・・・」 「矢野君?」 「・・恋人だからこそ・・曝け出せないってこともあります。嫌われたくないから」 「え・・」 困惑した顔で彩葉は昴を見つめた。 「自分の全部を曝け出したら、俺は汚くて醜いところばかりだから。だから、嫌われないように恋人の望む自分でいたいなって、思ってます」 「・・・それで、矢野君は疲れないの?」 「全く疲れないですよ。一緒に居れることが一番大切なので」 昴は目元を緩めて笑う。本当にそう思っている。明といて疲れるなんて思ったことはない。 「・・そっか。矢野君がそれで幸せならいいよね、きっと」 彩葉は微笑んだが、共感はしていないような表情を浮かべた。 別に、それで構わない。 理解されないのは仕方がない。 自分の・・このドロドロと渦巻く醜さは人に見せられるようなモノではないのだから。 そう言えば、一度だけその醜さが人にバレたことがある。 高校二年の時だ。 「矢野、迎から聞いたんだけどさぁ」 教室の机に座っていると、天谷創がニヤリと笑いながらやってきた。 「何?」 昴はなんとなく嫌な予感がして節目がちに聞いた。 「へへ。お前って涼しい顔して結構独占欲強いんだなぁ」 「え・・何のこと?」 「迎が修学旅行の風呂の時に見たって言ってたぜ。四十万明の首の後ろに痕がついてたのを。迎が言うにはうっすら歯形ぽいのもあったらしいけど、つけたの矢野だろ?」 「・・・」 昴は視線を下に向けて黙り込む。 「迎は気のせいかもって言ってたけど違うよな?お前なりの虫除けのつもりでつけたんだろ?」 「・・別に、そんなつもりはないよ・・」 ボソッと小さな声で昴は言った。 「ただ・・不安だったから。意味はないってわかっていても・・もし首筋を噛んで本当の番になれたら不安が消せるんじゃないかって・・そんなこと考えてたから、痕を付けちゃったんだと思う」 「はぁ?なんだそれ?四十万明はβだろ」 「だから、意味はないって言ったろ。どんなに首筋を噛んでも、明を自分のものに出来ないことはわかってる」 「・・・なんか、お前重いな!」 冗談のような口調で天谷は言ったが、実際そう思ったことだろう。 自分でも分かっている。 βの明を好きになったのだ。 Ωではない。 けれど、考えてしまう。 例えば彼を抱いている時。 もし明がΩだったなら・・ この執拗な欲望を彼の中に注ぎ込み、首筋に噛み跡をつければ、永遠に自分のものにできるのにと。 無理だとわかっているのに。 そう、したくてたまらない。 これはαの本能なのか、ただの独占欲なのか・・ どちらにしても、こんな歪な感情を明に見せるわけにはいかない。 「・・くん、矢野君!」 大きな声で名前を呼ばれ、昴はハッとして顔を上げた。 「は、はい?」 「電話、鳴ってない?」 彩葉はそう言って昴の鞄を指差す。 確かに鞄の中からバイブレーションの低い音が聞こえてきた。 「あ、ありがとうございます」 昴はお礼を言うと鞄の中からスマートフォンを取り出した。 それから画面に表示された文字を確認する。 「ちょっと、失礼します」 昴は慌てて立ち上がると急いでゼミ室の外へと飛び出した。 明からだ。平日のこの時間に電話がかかってくるのは珍しい。どうしたのだろう。 「もしもし」 『あ、もしもし』 少し戸惑ったような明の声が聞こえてきた。 『ごめんな、今電話大丈夫だった?』 「大丈夫だよ。もう今日の授業は終わってゼミ室にいたところだから」 『・・そっか』 「・・明?どうしたの?」 なんとなくいつもより声のトーンが低い気がする。 『あ、あのさ。日曜日、遊びにいこうってやつ。俺行きたいところがあるんだけど』 「あぁ、うん!どこ?」 『東京駅。どうかな?』 「東京駅?」 予想外の場所に昴は不思議そうな声を上げた。 『うん。上京した日以来さ、東京駅行ってないじゃん!東京駅で食べてみたいものがあるんだよね。どうかな?』 「いいね、行こうよ。楽しみにしてる!」 『・・うん、ありがとう。昴』 お礼を言った明の声は、やはりどこか元気がないような気がした。 何か気になることでもあるのだろうか。 日曜日、話してくれたらいいのだけれど・・ ーー 「これ!前にテレビで見たやつ!!」 明は満面の笑みを浮かべ、揚げたてのポテトを一口でパクりと食べた。 「どう?美味しい?」 昴が聞くと明は口をモグモグとさせながら大きく頷く。それからごくりと飲み込むと昴の方に差し出してきた。 「美味い!ほら、昴も食べてよ!」 「うん、ありがとう」 昴はお礼を言うとポテトを一つ摘んで頬張った。 日曜日の東京駅は、想像以上に人でごった返していた。 連なるように並んだキャラクターグッズの店には若者や家族連れがひしめくように入っていき、美味しそうなスイーツの店には長蛇の列が出来ている。駅として利用する人よりも、遊びに来る人の方が多いのではないだろうか。 明の目的も、有名なお菓子メーカーが作りたてを提供してくれる店だった。 そこでも長蛇の列が出来ていたが、明は楽しそうに順番を待っていた。 そこでお菓子を食べ終えると、二人は東京駅の外へと移動した。 東京駅周辺には沢山の商業施設がある。 どれも一度は聞いたことがあるビルだ。一箇所にこんなに集中して建っていることを初めて知った。 「昴!あっち行ってみよう!」 明が黒塗りの建物を指差す。 「うん」 昴は微笑みながら頷くと、楽しそうに歩き始める明の後ろを着いて行った。 それから数時間、様々なビルのテナントを覗いたり少し時間をずらしてレストランに入ったりしながら東京駅周辺を散策して過ごした。 どの店も値段が高く何かを買うということはしなかったけれど、明と二人で色々話しながら見て回れるだけで幸福感でいっぱいだった。 明も楽しそうに笑っている。 この時間がずっと続いたらいいのに。 「昴ー!あそこで写真撮らない?」 色々と歩き回った後、二人は東京駅の赤レンガ造りの駅舎の前に戻ってきた。 「え、ここ?」 駅舎の前は綺麗な広場になっていて多くの観光客が足を止めて写真を撮っている。 「うん!東京にきたって感じるじゃん。そういう写真一枚も撮ってなかったし!」 「あはは、今更だけど」 昴は可笑しそうに口元に手を当てて笑ったが、すぐに明の隣に立った。 「でも、確かにそうだね!記念に撮ろうか」 「うん!ありがと」 明も嬉しそうにお礼を言うと、自身のスマートフォンを取り出して腕を伸ばした。 「じゃ、撮るよ!」 「うん」 インカメラで二人の顔と駅舎が写っていることを確認して明がボタンを押す。 カシャっと音がして画面の映像が一瞬静止した。 「へへ、ありがとう」 明は目を細めると画面に写った写真を確認する。 「うん、ちゃんと撮れてる」 「よかった」 昴も横目で画面を見つめた。二人とも笑顔で写っている。 さて、次はどこに行こうか。 夕飯までにはまだ少し時間がある。 どちらかの家に行ってもいいのだけれど・・ そんなことを考えながら明の方に目を向けると、明は口を一文字にして画面を見つめていた。 「・・・」 「・・明?」 「・・・」 「どうかした?」 「・・・あのさ・・」 明はポツリと小さな声で言うと、こちらをじっと見つめ返してきた。 その瞳にドキリと心臓が跳ねる。 何かを決意したかのような真剣な色をしていた。 それから、ゆっくりとスローモーションのように明の口元が動いた。 「・・俺達、もとの・・幼馴染の友達に戻れないかな?」 「・・・ぇ」 一瞬、何を言われたのか分からず時間が止まったように感じた。 それからじわじわと言われた言葉の意味を理解し、思考が動き出す。 「な、何?どうして・・」 掠れた声でかろうじてそれだけ言った。 まだ理解は追いついていない。 現実に言われた言葉だとは信じられないからだ。 「うん、あのさ・・」 明は意識的に明るい雰囲気で言おうとしているのか、口元に笑みを浮かべた。 「俺、昴とはずっと・・こうやって仲良くしてたいんだよね」 「え・・」 「一緒に遊んだりさ、一緒にご飯食べたり。それはさ、友達でも出来ることで・・つまり、ええと・・俺は、これからもずっと昴と繋がっていたいと思ってるんだ」 「・・・」 明が何を言いたいのか分からず、昴はじっと彼を見つめた。その間にも心臓はどんどん速くなっていく。 「昴『運命の番』に出会ったでしょう?」 「えっ・・」 明から一番聞きたくない言葉が聞こえた。 動揺を隠すことが出来ず瞳が大きく揺らぐ。 「・・な、なん・・いや、えっと・・」 なぜ知っているのかと問いたい気持ちと、それよりも早く弁明しなくてはという焦りから口元が震えて言葉が詰まった。 そんな昴の様子を見て、明はフッと小さく笑い眉尻を下げた。 「ごめん、言ってなかったんだけど・・俺見てたんだ。本屋さんで・・ヒートになった彩葉さんと、走ってその場を去っていく昴の姿を」 「え・・・」 身体から血の気が引いていくのがわかった。 そのくせ心臓は痛いくらいに鼓動している。 「な、なんで彩葉さんの、こと・・」 かろうじて出た言葉はそれだった。 なぜ、明があの人のことを知っているのだ。 頭が混乱して思考がまとまらない。 「俺、あそこの本屋さん何回か行ってて、彩葉さんとはたまたま本を紹介してもらって知り合ったんだ。すごく話しやすくて、それに・・昴にどこか雰囲気が似てるなって思ってて・・」 「・・・俺に?」 「うん。昴と同じ空気感っていうか。それで彩葉さんにもすごい親近感を感じてた。でも昴と彩葉さんが似てるのは当たり前だったんだよな。だって『運命の番』なんだもん」 「・・そ、そんなこと・・」 そんなことない、と言いたかったが明の言っていることはわかる気がした。 考え方や感じ方が似ている。 それは自分も思ったことだ。 「あの日、本当は昴を追いかけようと思ったけど、でもヒートを起こしてる彩葉さんを放っておくわけにはいかないと思って。それで彩葉さんを助けた時に聞いたんだ。『運命の番』と接触したからヒートを起こしたって。それがゼミの後輩だってこともその時に聞いた」 「・・・」 彩葉が言っていた、助けてくれた親切なお客さんというのは明のことだったのか。 なんということだ。あの時、自分が逃げたばかりに。最も知られたくない相手に全てを悟られることになってしまった。 「・・あの、ごめん。秘密にしてて・・その、言い出せなくて・・」 昴は項垂れながら言った。声は少し震えている。 「・・ううん。言い出しづらいのはわかるから。きっと昴すごい悩んだよね。それなのに俺何も知らずにさ、自分のことばっかりに忙しくて」 「そんなこと!そんなこと・・ない。だって、これは俺の問題だから。明が気にすることじゃないから」 昴はパッと顔を上げたが、再び視線は下に落とす。 「たとえ運命の番に出会ったとしても、必ず番にならなきゃいけないわけじゃない。それは彩葉さんとも話したんだ。彩葉さんも同じ考えだった。だから俺達は番にはならない。運命の番だからって関係ないよ。ただの先輩と後輩って関係なだけ。だから明が気にすることは何もないんだよ」 『運命の番』の存在が大それた問題ではないことを伝えたくて、昴は早口で言った。 明が気にする必要なんてない。ましてや別れる必要なんて・・ 「・・・」 明は節目がちになって何かを考えるように黙った。 昴はその間ゴクリと生唾を飲み込む。不安と焦りで喉がカラカラだ。 「・・あのさ」 明が再びこちらに視線を戻した。 「俺、本能で惹かれ合うって悪いことじゃないと思うんだ・・」 「・・え」 「昴が・・俺のことすごく大切に思ってくれてるのはわかってる。本当に。それはすごく嬉しい。でも、さ・・もし、今出会ってたらどうだったかな?」 「・・・なに?なにが言いたいの?」 心臓が痛い。明はなにを言おうとしているのだ。 「たとえば今、大人になってから出会ってたら、俺達付き合ってたのかなって・・ほら、俺と昴、好きな物とか全然違うじゃん。昴はいつも俺に合わせてくれるけど、無理させてることも多いと思うし」 「そ、そんなことない!俺は全然無理なんてしてない!」 昴は声を抑えるのも忘れて大声で叫んだ。 「趣味や好きなものが違うからってなに?そんなことは選ぶ理由にならない。俺にとって、明は昔からずっと必要で心の支えで・・」 気持ちの昂りから目の縁が熱くなる。 そんな昴を見て明はフッと目元を緩めた。 それから昴の腕をポンポンと叩いた。 「昴のさ俺への気持ちは、ほら!卵から生まれたばっかのヒヨコみたいな感じだったんだよ」 「え・・?」 「生まれて最初に見たものを母親だと思って懐くだろ?それと同じっていうか・・小さい頃そばに居た俺を好きだと思ってくれて、それからずっと他を見ることもなく俺のこと想ってくれてる。そういう、誠実でいてくれるのもすごく嬉しいけど、でもそれにずっと囚われる必要はないと思う。今の、昴に一番合う人を選ぶべきだよ。だって、昔の昴と今の昴は違うんだから」 「な、何・・言ってるの?それ、本気で言ってる?」 昴は唇を震わせながら眉間に皺を寄せた。 「俺の、気持ちを疑ってるの?俺には明しかいない。明以外考えられないのに」 「だから!」 突然明が大きな声をあげた。それから鋭い視線をこちらに向けた。 昴は思わず臆するように体を反らせる。 「その、思い込みだけで決めちゃダメだよ。昴が本能で惹かれるものがあるなら、それを大切にしてみてもいいはずだ。昴だってわかってるはずだよね。彩葉さんが、昴にとって他の人とは違う存在だってこと。そんな出会い、βどころか他のαとΩでだってなかなかないんだから」 「・・・」 明の勢いに押され、昴は黙り込んだ。 違うと否定したいのに・・ 明の表情がもう決断していることを示している。何を言っても、明に自分の想いは届かなそうだ。 「でも、だからさ」 明は再びニコリと笑った。 「俺達、今のうちにただの友達に戻ろうよ。今ならまだ戻れると思うんだ。このまま付き合い続けて、その途中で・・もう戻れない所まできて別れちゃったら、こうやって昴と普通に話すこともできなくなってしまうかも。それは、俺嫌だもん」 「・・・」 「俺は、ずっと昴と繋がってたいんだ。遊んだり、話したり。普通の友達としてこれからも仲良くしていきたい」 「・・・それが、本当に・・明の・・望んでいること?」 昴は絞り出すような声で言った。 その問いに明は笑みを浮かべたままコクンと頷く。 「うん。大丈夫、きっとそんなに変わらないよ。これからもさ、ご飯食べたり遊びに行ったりはしよう?な?」 「・・・」 心に穴が空いたようだ。 その穴は、黒く深くどこまでも終わりがない。永遠に落ち続ける底なし穴だ。 そして、這いつくばって上がってくる手立てを断たれてしまった。 昴は肩を落として項垂れた。 明が望むのならば、もうそうするしかないのだろう。 下手なことを言ったら『友達』にすらなれないかもしれないのだから。 昴はごくりと喉を鳴らすと「わかった」と小さな声で言った。 「明が、その方がいいって言うなら・・そう、しよう」 昴の言葉に、明の瞳が一瞬揺れる。 しかしすぐにそれを隠すように目を細めると「うん!ありがとう」と笑って言った。 明に、嫌われたくない。 煩わしく思われたくない。 だから、別れる? 恋人ではなく友達に戻る? そんなこと、出来るのだろうか。 けれど、そうしなくては。 明がそう望むのならば。 なぜだろう・・ 大好きな彼の笑顔がまだ目の前にあるのに。 今はただ、ひどく遠くに感じる。

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