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第17話
朝目が覚めて、明のいない世界だということを思い出す。
その度に胸の奥がズキンと痛い。
けれど・・
それもいつかはなくなって、これが本当の自分の世界だと思える日が来るのだろう。
早くそうなって・・ほしい。
ーー
「今年は今のところ天気大丈夫そうだなぁ」
船の上で空を見上げながら、先輩の久ヶ原が言った。
「そういうこと言ってると、明日急に天気荒れたりするんだよ」
隣で女性の先輩が眉を顰めながら笑う。
「明日から離島実習だからね。天気は本当大切」
彩葉は少しダルそうに腰掛けながら頷いた。
「彩葉さん、船酔い大丈夫ですか?」
腰をかがめ、彩葉の顔を覗き込むようにして昴が聞いた。
「うん、大丈夫。ありがとう矢野君」
「彩葉君、去年までは船酔いしなかったのに今年はどうしたんだろうね」
女性の先輩が心配そうな顔で首を傾げた。
「もともと乗り物酔いしやすいんだ。今年は薬の効きが悪いのかも」
ニコリと笑って彩葉は言ったが、昴はそれを聞いて心苦しい気持ちになった。
薬が効かないのではない。酔い止めの薬が飲めないのだ。
それは言うまでもなくヒートを抑える薬を飲んでいるからだ。
強い薬であるため、他の薬との併用は止められたらしい。
合宿が始まって三日が経った。この三日間は本島から船に乗り、海や海洋生物の研究観察などを行った。
明日からは離島に移動して島周辺の生態調査と論文発表をする予定だ。
宿も今日までは本島にある民宿を借りているが、明日からは離島のホテルになるそうだ。
民宿は教授が一つの部屋、その他ゼミ生は男性部屋と女性部屋で分けて宿泊している。
男性は四人で、布団を横に一列に並べて寝ているのだが、昴と彩葉は相談し念の為お互い一番離れる位置で寝ることにした。
寝る前にも薬を飲んでいるので、今のところ夜にヒートやラットになるようなことは起こっていない。
しかしそうやってこまめに薬を飲むようにしたことが、彩葉にとっては痛手となった。
彩葉が本来乗り物酔いしやすいタイプだと昴が知ったのは合宿が始まってすぐのことだった。
「飛行機は大丈夫だったから船もいけるかと思ったんだけどなぁ」と、彩葉は申し訳なさそうに笑った。
「矢野君が気にすることじゃないからね」
そう言って肩をポンと叩かれたが気にしないわけにはいかない。
自分がこのゼミに入らなかったら、彩葉はちゃんと酔い止めの薬を飲んで、しっかりと実習に参加できたのに・・
その思いが合宿中、ずっとグルグルと頭の中を回っている。
「はぁー、3日目も終わったなぁ」
船着場に着くと、久ヶ原が体を伸ばしながら最初に下船した。
昴は隣に座っている彩葉に手を伸ばす。
「彩葉さん、立てそうですか?」
「・・え、あ・・うん」
彩葉は少し照れるような表情を浮かべると、昴の手をとって立ち上がった。
「ありがとう、矢野君」
「いえ。足元気をつけてください」
昴が彩葉の手を引きながら先に下船すると、彩葉も昴の後に続いてゆっくりと陸地に降り立つ。
その様子を見ていた久ヶ原がニヤリと笑って言った。
「なんか、矢野君と彩葉さんカップルみたいだなぁ」
「「えっ」」
昴と彩葉が同時に声を上げて久ヶ原を見つめた。
それからすぐに繋がれていた手を離すと、彩葉は頭を掻きながら言った。
「はは、矢野君の優しさについ甘えちゃった」
「モテる男の鏡ですね〜。でも矢野、恋人がヤキモチやくから誰にでも優しいのも気をつけろよ〜」
久ヶ原は揶揄うように言うと、肘で昴の腕を押した。
昴は無言で微笑む。それから彩葉に目配せすると小さく頭を下げて先に歩き出した。
こういう時、どう反応するのが正しいのかわからず変な態度を取ってしまう。
傷つけず誠実でいるためには、どうすればいいのだろう。
「えぇ。僕全然気にしてないのに」
夕食後、飲み物を買うために民宿横の外の自販機に行こうとしたところ彩葉も一緒にやってきた。
「矢野君って本当気にしすぎだよね。僕の顔色、そんなにうかがわなくて大丈夫だよ」
彩葉はケロッとした顔で言うと、冷たい缶コーヒーのボタンを押す。
それを取り出しプルタブを開けるとゴクリと一口飲みこちらを見つめた。
「この缶コーヒー飲み終わるまで、デートってことでここで話そう」
「え・・・」
「矢野君、合宿始まってからずっと僕に悪いなぁーって思ってるでしょ?」
「・・・」
図星をつかれ、昴は手に持ったペットボトルをキツく握る。
「だって・・彩葉さん、去年まではちゃんと船上調査もできていたでしょ?それが、俺が入ったせいで・・」
「やっぱりそう思ってるのかぁ」
呆れたような顔をして彩葉が空を見上げた。
「本当に・・すみません」
昴は逆に項垂れて地面を見つめる。
「・・・そう思うなら・・」
彩葉は空から昴に視線を戻すと、人差し指を立てトンと昴の腕に突き刺した。
「僕の代わりに矢野君がしっかり見て調査してほしいな」
「え・・」
「この3日間、ずっと暗い顔してるんだもん。せっかくの合宿がもったいないなぁと思ってたんだ」
「っ・・す、すみません・・」
昴は唇を噛みながら謝った。
「まぁ、僕のこと気にしてなのはわかってるから・・それは僕も悪いことしちゃったなと思ってるよ。ここまで自分が乗り物酔いが酷いとは思わなかった」
「・・すみません」
再び昴は肩を落として謝る。
すると彩葉は両手で昴の頬を押さえつけて、グイッと顎を引き上げた。
「もー!だから謝るくらいならちゃんとする!ほら!上向いて!」
「・・い、痛いです・・彩葉さん」
両頬を押され、昴は喋りづらそうに言う。
「決めたでしょ。お互い薬を飲みながらしっかりやっていこうって!僕達は協力者でもあるんだよ。だからどちらかが動けない時は片方が動く!そうするべきじゃないかな」
「・・・」
「それに、一応恋人同士でもあるんだし。支え合う関係でいたいじゃない?」
「・・彩葉さん」
「矢野君って、しっかりしてるように見えて実は結構頼りないよねぇ」
彩葉は昴の頬に触れたままフッと笑った。
「色々世話が焼けるっていうか。そういうところも面白いけど」
「・・彩葉さん、揶揄ってます?」
眉を顰めて昴が聞いた。
「まさか!本気で思ってるよ。矢野君のそういう完璧に見えて隙のある感じ好きだなぁ。αぽくなくて親近感湧くよ」
「・・そう、ですか」
昴は複雑な心境で横に目をずらした。
なんの躊躇もなく『好き』と言われることに、どう反応したらよいのか戸惑ってしまう。
「あっ、照れてるの?」
ニヤッと笑って覗き込むように見る彩葉を、昴は座った目つきで見つめた。
「違います。彩葉さんこそ、しっかりしていそうで隙だらけなんだから気をつけてください」
反撃するように言うと、彩葉は目をパチクリさせた後嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ。わかった。気をつけるよ」
「・・ありがとう、ございます」
色々な意味を込めてお礼を言う。
やはり、この人にはなんでも見透かされてしまうようだ。
けれどどんな情けない姿でも、この人は受け入れてくれる。
その安心感は居心地がいい。
「よし、そろそろ戻ろう。明日の離島に向けてしっかり睡眠とらなくちゃ」
彩葉は飲み切った缶を自販機の横のゴミ箱に捨てると背筋を伸ばした。
「矢野君、明日からまたよろしくね」
それからしっかりと昴の瞳を見つめて言った。
「・・・はい。よろしくお願いします」
昴も負けないようにと、視線を逸らさずにしっかりと返事をした。
運命共同体として、支え合いながら一緒に過ごしていく。
確かに、明とは違う関係だ。
明の時のような、醜く歪んだ独占欲や嫉妬心は生まれない。凪のような穏やかな感情だけで満たされていく。
もしこの関係が続いていくのなら、彩葉と過ごす未来は明るいのかもしれない。
ー
「え・・二人部屋?」
次の日、船で二時間ほどの離島のホテルにチェックインしようとしたところ、宿泊予約の不備があったことが発覚した。
本来ならゼミ生は六人いる女性が三人部屋を二つ、四人の男性が四人部屋を一つで宿泊する予定だった。
しかし今回男性用の四人部屋が取られておらず、残っているのがツインの二人部屋だけらしい。
「どうしようか?」
男性陣がお互いに目配せする。
誰と誰が同室になるかについて様子を伺っているのだろう。
「・・・」
昴は一番下の後輩であるため黙ってはいるが、内心は焦っていた。
彩葉と二人部屋になるのは危険だ。
万が一があった時、他に止めてくれる存在がいないのは怖い。
しかしそんな昴の不安をよそに彩葉がケロッとした顔で言った。
「じゃぁ僕と矢野君が同室になるよ。久ヶ原君達は同期だから同じ部屋がいいでしょ?」
「え・・」
昴は横目で彩葉を見つめる。
しかし彼は何も危惧していない顔でこちらにニコリと視線を送った。
そう笑いかけられては反論もしづらい。
昴は小さく会釈をし「よろしくお願いします」と呟いた。
「だって、これが一番無難な部屋割りかなと思って」
ドサっと部屋の床に荷物を置きながら彩葉が首を傾げて言った。
「久ヶ原君達は同学年で仲が良いから同じ部屋がいいでしょ。だからこう分かれるのが自然かなと」
「それは・・そうかもしれませんけど・・でも・・」
昴は手に持っていた荷物を置きながら口籠もる。
しかしすぐに睨むような視線を彩葉に送って続けた。
「彩葉さんは、危機感が無さすぎます」
「え?」
「αとΩが二人部屋っていうのは普通に考えて危ないでしょ?しかも・・その・・俺達は『運命の番』でもあるし・・もし、薬が切れたり効かなかったとしたらー」
「でも、今の僕達にそれは問題ある?」
昴の言葉を遮って彩葉が真顔で言った。
「え・・」
「だって、僕達一応恋人同士でしょ?」
「・・・」
昴は瞬きをしながら目を泳がせる。
その様子を見た彩葉はクスリと笑うと「ごめんごめん」と謝った。
「大丈夫。ちゃんと薬は飲み忘れないからヒートになるようなことはないよ。離島では2泊だけだしそんなに心配しないで。でも念の為お互い声かけ合おうね」
「・・・絶対ですよ。夕飯前と寝る前にしっかり確認しますから・・」
「はぁい。矢野君ママ、よろしくお願いします」
彩葉は揶揄うように舌を出して言った。
彩葉の言葉に何も言えなかった。
恋人同士が同じ部屋であること、それは至極当たり前のことだ。
むしろ、恋人が他の人と二人部屋になってしまうことの方が問題ある。
そして、たとえばヒートを起こしラットを誘発させられたとしても・・
恋人同士ならば問題ないのだ。
そういう関係に、自分達はなっているのだ。
その事を、自覚しているようでまだ覚悟ができてない。
自分の情けない一面を抉られたような気分だった。
「疲れたねぇ〜、今日はよく眠れそう」
実習と夕食を終えて部屋に戻ってくるなり、彩葉は自身のベッドにトンと腰掛けた。
離島での実習は三日間。一日目は日差しも強くなかなかハードだった。
「最終日は論文発表会だから、実習は明日が最後だよ。ちゃんと見てきてね、矢野君」
彩葉はベッドに体を預けるようにして座ると、こちらに目を向けて言った。
「わかってます。頑張ります」
そう言うと自然と拳に力が入る。
彩葉と約束した通り、今日の実習は今までのことを挽回するように集中して行った。
彩葉に何か聞かれたら答えられるようにと写真やメモもたくさん取った。
明日の最終日も約束を果たせるようにしっかりと取り組みたいと思っている。
「よし、じゃぁ順番にお風呂入って早めに寝よう!明日に備えなきゃね」
「はい。あっ、彩葉さん」
昴はハッとして彩葉に声をかける。
「うん?なに?」
「薬、飲みましたか?」
「あぁ、お風呂入る前に飲んじゃうよ。ありがとう。矢野君は?」
「俺もこれから飲みます」
「うん、わかった。よろしく」
お互いに目配せをして頷く。
それから彩葉はすぐに鞄から薬を取り出すと、その場でパッと口の中に入れてゴクンと飲み込んだ。
それを見届けると昴も同じように薬を手に取る。口に含みゴクッと飲み込んだ所でふと彩葉が正面にやってくる気配がした。
「・・ねぇ、矢野君」
「はい?」
昴は顔を上げる。
こちらをジッと見つめる彩葉と視線がぶつかった。
「・・ちょっと聞きたいんだけど・・恋人とはヒートやラットにならなくても、そういうことを自然としたくなるものなの?」
「え・・」
「僕は、自分がΩだってわかってからその・・発情っていうものを経験したから・・だから、それが自然と起こることだとはあまり理解できてなくて・・」
彩葉は少し恥ずかしそうに両手を擦り合わせて笑いながら言った。
「矢野君は、前の恋人とはどうだったの?」
「・・・」
昴は口を開いたまま黙り込む。
どう、言えばいいのか。
あの頃の、明への欲情を・・
昴はゴクリと唾を飲み込むと、視線を下に落としてポツリと言った。
「・・前に付き合っていた子はβだったので、そもそもラットは起こらなかったんです。だから・・自然と・・触れたいって思う気持ちに従っていたような、気がします」
「えっ、あ・・そうだったんだぁ」
彩葉は目と口を開いて言った。
「ごめん、勝手にΩの子だと思い込んでた」
「いえ・・そういえば言ってなかったですね。すみません」
昴は眉尻を下げて微笑む。
「だから、俺もαとΩでも自然とそういう気持ちになるのかは、よくわからないです。彩葉さんと一緒です」
「・・そっか」
彩葉も口元を上げて笑うと、手にタオルを持ってくるりと踵を返した。
「教えてくれてありがとう。じゃぁ、僕お風呂先に入らせてもらうね」
「はい。どうぞ」
昴が応えると、彩葉は脱衣所へと入って行った。
昴はそれを見届けるとバタンとベッドの上に大の字で倒れた。
それから長く深い深呼吸をする。
大丈夫。今日は絶対に、過ちは起こさない。
身体を重ねるというその行為が、幸せで満ち足りたものだということを知っている。
ヒートやラットに流されて行うものは、それとは全く違う。
恋人とは何か。それを一緒に模索していくのだ。本能で引っ張られる感情に惑わされてはいけない・・
・・・
「そうなの?それも運命の番って感じですごいと思うけどなぁ」
明がニコニコと笑いながら言った。
「・・・」
目の前に現れたその笑顔に昴は驚き言葉を失う。
「βの俺には絶対に分からないことだからさ。やっぱりちょっと憧れるけどなぁ、そういう本能で惹かれるっていうの」
どうやら、カフェのような所で明と向かい合って座っているようだ。
天気は、晴れているのか?薄ぼんやりとした景色でどこにいるかは分からない。
「・・・明はΩになりたいって思ったことあった?」
昴は笑顔を崩さない明を見つめながら聞いた。
こんなこと、今まで一回も聞いたことはなかったのに。聞いたらダメだと思っていたのに。
なぜだか躊躇うことなく言葉が出てきてしまった。
しかし明は相変わらず表情は崩さないまま、頬杖をつきながら言った。
「俺がΩだったら、どうなっていたと思う?」
「え・・」
「Ωだったら変わっていたかな?俺達の関係」
「・・それは・・」
昴が口籠もると明がフッと笑った。
「あのさ、実は秘密にしてたんだけど俺本当はΩなんだよ」
「えっ?!」
昴は思わず椅子から立ち上がった。
「本当に?!なんで?!なんで言ってくれなかったの?!」
詰め寄るような昴に対して、明は笑顔で黙ったままだ。
「明がΩだってわかってたら・・俺は絶対に明を離さなかった。嫌だって言われても・・無理矢理にでも、番にしてた・・」
「・・・それって」
明の瞳がすっと見据えるようにこちらに向けられた。
「αとしての本能じゃないの?」
「え・・」
「Ωを番にしたいっていうαの本能。α特有の支配欲。俺に向けてた感情もそれと一緒だったんじゃない?」
「そ、そんなことない!何言ってるの?」
昴は大きな声で反論する。しかし明は動じることなく感情のない人形のような顔でこちらを見つめて言った。
「昴、俺の首筋よく噛んでたよね。あれも、αの本能がそうさせていたんじゃない?番になんてなれないのに。俺のこと支配したかった?」
「・・・ち、違う!そうじゃない。そういことじゃない!俺は・・本当に明のことが・・」
「αの本能からくる感情を恋愛感情だと思い込んでいたんだよ、きっと。昴が誤解してただけ。綺麗なものにしようとしてるだけ。だから、今更綺麗事なんて言ってないで、早く前に進めばいいんじゃない?」
明はそう言うとニコリと笑って立ち上がった。
「まっ、待って!明!違う・・俺の気持ちはー」
ブーと低いバイブレーションの音で目が開いた。
枕元に置いていたスマートフォンの目覚ましの音だと気づく。
昴は寝転がったままスマートフォンに手を伸ばし目覚ましを止めた。
まだ薄暗い。今日の実習が四時起きだということを思い出した。
しかしまだ身体は動かない。
開いていた瞳を再び閉じ両手で顔を覆った。
夢、だった。
明が目の前で笑っていたのも、彼がΩだと言ったのも・・
夢だと分かり、勝手に落ち込んでいる。
そんなはずはないと、目が覚めれば冷静に思えるのに・・
昴はハァと重いため息を吐いた。
夢の中の明が言っていたことを頭の中で反芻する。
あんな事も、明が言うばすがない。
あれは・・あの言葉は・・自分自身に対する投げかけだ。
「・・ぅん、あさ?」
ボンヤリとした声が聞こえた。
隣のベッドで寝ていた彩葉がモゾモゾと動きゆっくりと起き上がる。
それから枕元のホテル備え付けのデジタル時計に目をやった。
「あー、4時かぁ。おはよう〜」
ゆったりとした挨拶に応えるため昴も体を起こす。
「・・おはようございます」
「よく眠れた?」
彩葉はそう聞きながら眼鏡をかけた。
「・・はい。彩葉さんは?」
「うん。よく寝たよ〜。身体もスッキリ!実習最終日、頑張ろうね!」
「はい・・」
屈託のない笑顔を向けられ、少しの罪悪感から目を背けてしまった。
夢とはいえ、未練たらしく明への想いを叫んでしまったことが後ろめたい。
早く気持ちを切り替えなくては。
昴は膝の上で両手を強く握りしめた。
「お疲れ様〜」
先輩達が嬉しそうにコップを掲げながら言った。
目の前には一人一人に美味しそうな夕食が並べられている。
今日で海での実習は終わった。
明日の最終日は午前中に論文発表をして東京に戻ることになっている。
最後の晩餐ということもあって皆テンションが高いのだ。
「今年の実習は天気に恵まれて順調だったね。彩葉君の船酔いだけが可哀想だったけど」
海老原教授が残念そうな笑みを浮かべて彩葉に目配せした。
「いえ、ご心配かけてすみません。歳ですかねぇ?来年はしっかり対策してきます!」
彩葉はチロっと舌を出して笑う。
「さ、もう元気なんでご飯食べましょ!いただきま〜す」
細い腕で力瘤を作るポーズをすると、彩葉は目の前の料理に箸を伸ばし始めた。
昴は申し訳ない気持ちでしばしの間彩葉を見つめていたが、楽しそうに教授と話す彩葉を見て小さく息を吐くと自身も食事を始めた。
「美味しかった〜、ご飯!」
部屋に戻ると彩葉がベッドに腰掛けながら言った。
「お腹いっぱいだよ。島のご飯は量が多くていいよね!」
「彩葉さん、完食できました?」
「出来たよ!僕結構大食いだからね!」
彩葉はニコッと笑ってお腹をポンと叩く。
その仕草を見て昴はフッと口元を緩めて笑った。
「あ、笑った!」
「え・・」
「だって、矢野君今日もずっと真面目〜な顔だったから。やっと笑ったなって」
彩葉は眉尻を下げて微笑む。
「あ・・すみません。そうでしたか・・」
昴は気まずそうに俯いて腕を擦った。
ちゃんとやらなくてはと気合いをいれて臨んでいたつもりだが、また気を遣わせてしまっていたようだ。
「ふふ。でも真面目に取り組んでくれたおかげで、良い研究が出来そう。ありがとう」
「はい・・それならいいんですけど」
「じゃあ、僕先にお風呂入ろうかな」
彩葉がそう言って立ち上がったので、昴はハッとして顔を上げた。
「あ、彩葉さん。薬を・・」
昨夜もこのタイミングで飲んだはずだ。忘れないようにしなければ。
「あ、そうだったね。ありがとう」
彩葉は自身の鞄を引き寄せると、中を探り出した。
昴も同じように薬を探そうと鞄のジッパーを開ける。
その時だった。
「あっ・・」
彩葉の驚くような声が聞こえた。
顔を上げると彩葉が焦った顔で鞄の中を探っている。
「・・どうしたんですか?」
「あ・・いや。あの・・足りない、かも・・」
「え?」
「・・薬、足りないかも・・」
「え・・」
彩葉の言葉にさっと血の気が引く。
「足りないって・・どれくらい・・?」
「あと、1つしかない・・」
彩葉は昴の方に目を向けて言った。
「1つ・・」
薬は基本的に一日一つ。効き目は十四時間ほど。
朝飲んで寝るまでの活動だけなら問題ない。
けれど・・
「明日は飛行機に乗るから・・狭い空間でヒートを起こす訳にはいかないし薬は飲まないといけないんだけど・・」
「・・・」
「でも・・今飲んじゃうと、明日の夜まで効き目もたないよね」
彩葉は不安そうな表情を浮かべた。
「あ・・へ、部屋。代えてもらいましょう」
昴は口元を震わせながら言った。
「え・・」
「久ヶ原先輩達に頼んできます。今夜だけ俺と部屋交換してくださいって・・」
そう言って扉の方へ向かおうとした時だった。
「待って・・」
手首をグッと掴まれ後ろに体が引っ張られた。
「っ・・彩葉さん?」
トンと彩葉の身体に背中が当たる。
そしてそのまま、彩葉の両腕が昴の腰に回された。
「えっ・・なにしてー」
「試してみる?」
背中越しに彩葉の声が聞こえた。
それと同時に抱きつかれた両腕に力がこもるのがわかった。
「・・・ぇ」
何を言われたか一瞬分からず、喉の奥から声が出る。
「・・一度、試してみてもいいのかなって」
淡々と言う彩葉の言葉を聞いて、昴は後ろを振り返った。上目遣いにこちらを見つめる彩葉と視線が重なった。
「・・急に、どうしたんですか?彩葉さん・・」
「別に急ではないよ。君と付き合うことになってから僕なりにずっと考えてたんだ」
「考えていたって・・何を?」
「どうしたら、君が前に進めるのかなって・・」
「え・・」
ドキリと心臓が鳴る。
夢の中で明が言っていた言葉と一緒だったからだ。
「・・俺、そんなに立ち止まっているように・・見えますか?」
「うーん。止まっているっていうか迷っているっていう感じかな。それを一緒に考えようって僕も思っているんだけど・・そのために、一度確かめてみてもいいんじゃないかなって」
彩葉は眉尻を下げて微笑む。
「僕達『運命の番』ってことを意識しすぎて、距離を縮めることに神経質になってる気がするんだ。だから、ちょっと試しに・・恋人同士として触れ合ってみない?」
「・・・」
「触れ合ってみて、わかることもあるかもしれない。本能との境目が・・あるのかないのか」
「・・っ」
彩葉の言葉に昴は小さく息を飲み込んだ。
恋愛感情と本能で惹かれる感情が同じものなのか、触れ合えばそれがわかるだろうか。
明に向けていたあの焦がれる気持ちも、αの本能だったと分かれば・・前に進むことができる、かもしれない・・
「・・本当に、いいんですか?」
昴は掠れる声で聞いた。
彩葉は口元を上げコクンと頷く。
「うん。矢野君となら大丈夫。でも、首輪は外さないでおくね」
「それは、もちろんです」
「うん・・」
昴と彩葉の視線が重なった。
しばしの間、無言で二人は見つめ合う。
まだ彩葉の薬の効果は残っているようだ。
ヒートを起こしそうな気配はない。
だから、ここからは本能ではなく自分の意思で動くのだ・・
昴はゆっくりと手のひらを彩葉の頬に近づけた。触れるか触れないかの距離で一度手を止める。
すると、彩葉がその手を取り自身の頬にピタリと寄せた。
「ふふ、冷たい。緊張してるね」
クスリと笑って上目遣いに昴を見つめた。
「僕も緊張してる。お互い手がカチカチ」
そう言って掌を擦り合わせる。
それから彩葉は昴の手を引っ張るとベッドにストンと腰掛けた。
「大丈夫、冷たいものを温め合ってみよう」
彩葉の声が耳元を掠めた。
「・・・」
余裕のありそうな笑みを浮かべる彩葉を昴は見つめる。
そして小さく息を飲み込むと、今度こそ自ら彩葉の頬に手を当てゆっくりと唇を重ね合わせた。
「・・ぅん」
唇から漏れる彩葉の声を聞きながら、昴は彩葉をベッドに押し倒す。
ギシっと鈍い軋む音が部屋に響いた。
昴はスッと小さく息を吸い込む。
それから、滑らせるように彩葉の背中に手を回した—
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