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第5話

「あ~、ジュセル、信じられんかもしれんがケイレンはいいやつだ。真面目だし仕事もよくこなすしやたらな嘘はつかない。俺もさっきの口づけには驚いたが、するなと言えばもうしないと思う。な?ケイレンしないよな?」 ヤーレに確認されたケイレンは、熱のこもった目でジュセルを見つめながら、それでも弱々しく頷いた。 「嫌、なことは、しない‥」 そう請け合ってくれたケイレンの顔を見る。正直、南アラマサ地区に住めるのは大きい。副会長の知り合いであるケイレンの家なら、住んだ後に滅多なことは言われないだろうし、何より協会に近い方が、依頼を受けやすいだろう。南アラマサ地区なら、森の方へのアクセスもいい。 ジュセルは意を決し、ヤーレの顔を見て言った。 「‥じゃあ、住むにあたっての契約書を作ってください。条件とか家賃のこととか‥シンリキ誓書で」 シンリキ誓書とは、シンリキを流し込んだ紙で作る誓書だ。内容に違反したものが触ると色が変わるので、それをもとに裁判を起こすことができる。とはいえ、家を借りるくらいのことではめったに使うことのない代物である。だからそう言いだしたジュセルにヤーレは少なからず驚いた。 「年の割にしっかりしてるなあ‥シンリキ誓書はちっと値が張るが大丈夫か?共銀貨(=大陸共通銀貨)二枚になるぞ」 なかなかの値段に驚いた。今ジュセルが独り立ちに備えて個人的に貯めている金は共銀貨で換算すると五十二枚。そこから考えてもなかなかの値段だ。しかし自分の身の安全には代えられない。 ジュセルが了承の意味で頷いたが、ケイレンが割って入ってきた。 「それは俺が払う。俺の家に来てもらいたいのは俺の希望だから」 「あ、あの、じゃああなたの分だけ払ってもらえますか?」 「いや、ジュセル、の分も払う」 きっぱりとそう言い切ったケイレンだが、初めてジュセルの名前を呼んだ時だけ、少し恥ずかしそうにしていた。 図々しいのかうぶなのか、どっちなんだ‥。 三十五歳の記憶がある自分が、心の中でそう呟く。 「いえ、そんな‥」 「ああ、めんどくせえからケイレンにツケとくわ。誓書持ってくるからちょっと待ってろ」 ヤーレはそう言って席を立ち、小部屋を出て行った。 ちょっと待て、このベロチュー男と俺を二人きりにするな!と言いたかったが、それよりも早くヤーレが出て行ってしまった。パタン、と閉まった扉を恨めしく見ながら、浮かした腰を長椅子に落ち着ける。できるだけケイレンから距離のある位置に座り直し、すぐに逃げられるようにするのも忘れなかった。 そんなジュセルを見たケイレンは、やはり少し悲しそうな顔をしながら、それでも口角を上げようとしていた。 「本当に‥驚かせてしまってすまない。だが、君を、好きだと思う気持ちは本当なんだ」 「‥‥初めて会っただけのヒトにそんなこと言われても理解できません」 固い声でそう拒絶するジュセルに、ケイレンは苦笑いをした。 「君には信じられないと思うが‥俺だって驚いてる。初対面でヒトにこんな感情を持ったのは初めてだからな。‥‥というか、こんなに他人に心を動かされたのも初めてなんだ」 ケイレンは自分に言い聞かせるようにしてそう言うと、ひたり、と切れ長の黒い目でジュセルを見た。 「だから‥俺の気持ちを確かめるためにも、一緒に住んでほしい。君の嫌がることはしないと約束する。俺のことを知って‥好きになってもらえたら嬉しいし、なって‥もらえなくても、‥君のために役立てれば、嬉しい‥」 まるで子どものように少しはにかみながらそう話すケイレンに、ジュセルは何と答えていいかわからず、ただ黙っていた。すると沈黙を了承と受け取ったのか、ケイレンはふっと頬を緩めて微笑んだ。 その笑顔の美麗さに、またジュセルは言葉を失って俯いた。 ‥顔がいいんだよ顔が!クッッソイケメンじゃねえか! 前世でかっこいい系のボーイズグループが推しだったジュセルの心に、ケイレンの笑顔がぶっ刺さる。 だが、こいつはいきなりベロチュー男、あ、男じゃなかった‥いきなりベロチュー不審者だ。 ジュセルはそう自分の心に言い聞かせ、ケイレンの凛々しい顔面にほだされないようにしなくては、と気持ちを引き締めることにした。 それにしても、気持ちが伴っていないと性交や性的接触に快楽が伴わないとは本当だったのだ、とケイレンとのキスを思い返す。合わさった唾液には、苦みを感じた気がする。 (そう考えると、この世界では浮気ってできねえんだろなあ) そんなことを考えてしまうのは、まだ前世の苦い記憶が消えないからだろうか。 図らずも目撃してしまった婚約者の不貞。控えている結婚や、祝福してくれている周囲の人々に何といえばいいのかわからずに呆然とするしかなかった自分。 しかし何よりも。 (‥‥きっと、罰が当たったのかも) そこまで気乗りのしない結婚に、世間体や自分の年齢も考えて打算で頷いた自分への、罰。 「ジュセル?」 つらつらと昔のことを考えていたら、いつの間にかケイレンが長椅子の隣までやってきていた。床に跪き、こちらの顔を見上げてくるその顔に浮かんでいる感情は「心配」だった。 「何か、不安なのか?怖いことがあるか?‥君が笑って過ごせる毎日を、俺は約束したい。だから、俺のところに来て一緒に住んでくれ。‥‥そんな、悲しい顔をしないでくれ‥」 そう言ってジュセルの首の方に大きな腕を回そうとしたが、反射的にびくっとしたジュセルを見て、膝をぽんぽんと撫でるだけにとどめてくれた。 その時、ヤーレが部屋に入ってきた。 「いや、なかなか見つかんなくてさ。滅多に使わねえから‥おいケイレン何近づいてんだ、こっちに戻れ」 半ば呆れたようにケイレンに声をかけながらヤーレも椅子に座った。身の置き所がないような気がして、目の前に置かれていたお茶に手を伸ばして口に含んだ。 「‥うま」 思わずそう言葉を零したジュセルに、ヤーレはニッと笑ってみせた。 「まあ、こいつにいきなり口づけられてびっくりしただろうからな。いいお茶だろ?ゆっくり飲んでいいぞ」 「ありがとうございます」 ジュセルの家でもお茶を飲むことはあるが、それはジュセルが森でとってきたハープや薬草で作った野草茶だ。本物の茶葉を使ったお茶は贅沢品なので、ジュセルはこの世界に生まれてからは飲んだことがなかった。 また、こちらの世界には珈琲はないらしい。毎日二杯以上珈琲を飲んでいたジュセルには、それだけが悔しいところだった。 のんびりお茶を飲んでいる横でヤーレはペンを取り出し、ぶつぶつと何か言いつつ二枚のシンリキ誓書に色々書き込んでいる。 「えー、契約者はケイレン、ジュセル‥期限は‥おい、ジュセル、家を借りる期限はどのくらいにしておくか?二年?三年くらいか‥」 「無期限で」 顔色も変えずにそう言い切るケイレンに、ヤーレは呆れたような顔を向けた。 「お前には聞いてねえのよ‥」 「あの、一応三年にしてもらって、場合によって早く出て行けるように」 そう口を挟んだジュセルに頷きながら、ヤーレは文言を書き込んでいく。 「家賃は‥月に幾らにする?」 「不要だ」 またもそう言い切るケイレンにヤーレは眉を下げた。 「お前‥」 「家賃は不要だ。‥‥ただし、食事を一日一回はともにしてもらえればそれでいい」

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