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第8話
「う‥わ」
ジュセルは思わず声を上げた。案内されたケイレンの家は思っていたよりも随分と豪華な住宅だった。厩もあるし機工車用の車庫もある。機工車は入っていなかったが、厩には二頭の馬がいた。
この世界の馬は六本足で、ジュセルが前世の知識で知っている馬よりもずいぶん大きい。感覚としては、知っている馬の1.5倍くらいの大きさがある。無論、遠目に見たことはあっても乗ったことはおろか触ったこともない。
何より、族都内の住宅に住んでいて個人で馬を所有していること自体が珍しい。
門の前で(門がある家というだけでその規模もわかろうというものだ)、言葉もなく佇んでいるジュセルの背中を、軽く押して中に入るようにケイレンは促した。
建物は石造りの二階建てだった。ただその規模が大きい。この敷地の広さならジュセルが住んでいた小さな家は十軒以上は軽く入る。美しいミルビ石で囲われた敷地には、ところどころに木や花などの植物も植わっているようだが、基本的には何もなかった。馬を散歩させたりしているのかもしれない。
建物の真ん中にある少し大きな玄関扉を抜けると、広いホールがあった。だが。
「うっわ臭え!!」
扉を開けるや否や、血生臭い匂いが鼻をついた。もとは美しい玄関ホールだっただろうに、そこかしこに野獣の皮や肉、骨のかけらなどが散らばっている。おそらく広さもあることからここを野獣の解体場所にしているのだろう。壁際に置かれた粗末な木の台に、無造作に解体用の道具がいくつか置かれていた。
床ももとは美しいタイルだったのだろうが、黒ずみがあちこちに染み付いていて見るからに汚れている。一口に言えば「汚らしい」としか言えない玄関だった。
「マジかよ‥いや待って、俺が使う部屋って何に使ってた‥?」
玄関の惨状を見てあからさまにドン引きし、自分が使う予定の部屋がどんな状態なのか不安になって来たジュセルに、ケイレンはあわあわと焦っていた。その問いにつっかえながら答える。
「だ、大丈夫だ、ジュセルに使ってもらう部屋は何も使ったことないから!あ~使って、ないからちょっとその、きたな‥掃除が必要、かもしれないが、解体とかはしてない!」
「ケイレン、いつからここに住んでるんだ?」
「二年前から、だが‥」
二年分の埃やカビを掃除してきれいにしなければならないのか‥。そう考えるとジュセルはげんなりした。自分のキリキがもう少し強ければ、風の力なども使えたかもしれないが‥凡人に生まれてしまったのだから仕方がない。
目の前で慌てているケイレンはマリキシャだが、この惨状を見るにあてにはならなそうだ。そもそも生体に干渉する力であるマリキに、何か掃除に役立つ能力があるとも思えない。
玄関の色々をなるだけ踏まないようにして奥へ進む。ケイレンが時折振り返りながら案内をしてくれた。
一階には大きな台所と食糧庫、納戸が二つ、食事のための部屋、団欒室、応接室に浴室が二部屋、後はおそらく使用人用の部屋と思われる小部屋が三つほどあった。その小部屋に住むのかと思ったのだが、「部屋はここじゃなくて二階だよ」とケイレンが言う。
まあ、確かに小部屋には家具らしい家具は何もなく‥‥とにかく埃がすごかった。
二階に上がると、主に部屋は六つあった。主寝室とみられる大きな部屋とそれをはさんで二部屋、加えて廊下を挟んだところにほぼ同じ大きさの部屋が三部屋あった。
案内されたのは、主寝室の隣にある部屋だった。
「わ‥」
扉を開けると、ジュセルの実家が丸々入るほどの広さがあり、浴槽のない浴室がある上、簡易コンロと流しもついている。部屋の隅に寄せられた寝台には寝具がなかったが、寝台自体は立派なものだった。衣装や小物をしまっておくための収納部屋 までついている。
ただ、「掃除が必要」とケイレンが言った通り、寝台の上には分厚い埃が積もっていたし、どの扉もあけようとするとギギギと嫌な音を立てた。立派なガラスの窓も曇りまくっていて外の景色はほぼ見えない。床も埃やごみがたまっていて、まあ掃除のし甲斐がありそうな部屋だった。
「でも、‥かなり、いい部屋だ‥。本当に家賃を払わなくていいのか?」
「構わないよ、食事を一緒にしてくれるんだろ?」
ケイレンはそう言ってにこにこしている。
「それが家賃になるっていうのもおかしな話だけどな‥ホント、何であんた俺なんかが好きなんだ?別に顔が特別いいわけでもねえのにひとめぼれって‥」
ぶつぶつ言いながら部屋の中を歩き回るジュセルの後ろを、ケイレンが嬉しそうに大きな身体でついて回る。
「それは俺にもよくわからないんだ。ただ『わかった』んだ、ジュセルが俺の伴侶だって。絶対に逃がしちゃいけないって」
「‥‥その、逃がしちゃいけない、っていうのが怖えんだよな‥うっわっ、ぐふっ、ゲホッ」
簡易コンロにかぶせられた布を払いのけると、信じられないほどの埃が舞う。ゲホゲホと苦しそうに咳き込むジュセルを見て、ケイレンが慌てて窓を開けた。
窓から入り込む風が埃をさらっていく。
ふうと一息ついてから、ジュセルは考えた。日暮れまでもうあまり時間はない。今日の最優先事項は、夜までにこの寝台を整えてここで寝られるようにすることと、夕食を作ることだ。‥‥そしてケイレンには悪いが、夕食よりも自分の寝床を確保する方が先だ。
「じゃあ、俺は掃除にとりかかる。ここの浴室とか流しは水が出るんだよな?」
「あ、ああ」
「最初にこの部屋を掃除させてもらう、夜までに寝られるようにしたいからな」
そう言って腕まくりをしたジュセルに、ケイレンが小さな声で話しかけた。
「ジュセル、そんなに急がなくても、もし間に合わなかったら俺の寝台で一緒に寝ればいいし‥」
「絶っっっ対に今日はここで寝る!掃除道具はどこ?」
きっぱりとそう言い切られてしょんぼりしながらも、ケイレンは掃除道具がある場所を教えてくれた。
「ケイレンはこの後何か予定があるのか?」
「よ、予定はない!」
「そか、じゃあ玄関ホールの掃除をお願い。さすがにあそこは俺一人では無理。換気して、それからできる限りでいいから床を磨いて。家に帰ってきて毎回あの匂いに迎えられるのなんか嫌だよ、俺」
「そうか、わかった!」
ぴゅーっという擬音が聞こえてきそうな勢いで、ケイレンは掃除道具を片手に玄関ホールに向かっていった。やれやれとその後ろ姿を見送って、自分の部屋に取り掛かる。
まずは目に見える埃をあらかた掃き出して捨て、その後拭き掃除にかかる。なまじ部屋が広いだけに一仕事だ。それだけでたっぷり二時間近くかかってしまった。
床や壁があらかた綺麗になったところで、寝台を磨く。埃まみれではあったが掃除して磨いてみれば、やはり元はかなりいいものだったのだろう、支柱やヘッドボードの部分には精緻な彫刻が施してあった。‥まあ、その細かい彫刻部分を磨くのがこれまた厄介だったのだが。
本体部分には特に腐ったりしているところもなく、問題なく使えるようだと確認できてほっとする。部屋の隅に置いておいた寝具を寝台に敷き、ようやく寝られるように体裁を整えられたころにはすっかり日も暮れてしまっていた。
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