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第9話
本当は窓も磨きたかったのだが、日が落ちてしまっては効率が悪くなる。それはまた明日にしよう、と思って掃除道具を洗って一度片づけた。
階段を下りて玄関ホールにいくと、扉や大きな窓が開け放たれていたせいか血生臭い匂いがすっかり消えていた。
「ジュセル!掃除は終わったのか?」
四つん這いになって床を磨いていたケイレンがジュセルに気づいて声をかけてきた。
「あ、ああ、後は明日、やるよ。へえ、あんた結構仕事早いな」
ここに来た時には黒ずみが目立ってまるで幽霊屋敷のようだった玄関ホールの床は、あらかた元の白いタイルの色を取り戻していた。一部、どうしても取れなかった黒ずみもあるようだが、一番最初に見た時とは雲泥の差だ。
野獣解体用の道具なども片づけられたのか、目に見えるところには散らばっていなかった。それだけでも随分と印象が違う。
「結構、綺麗になったじゃん」
そうジュセルに言われて、ケイレンは嬉しそうに頬を緩めた。
「そうか?よかった、ジュセルに認めてもらえて‥どうも俺はあまりこういうことに無頓着で、どうでもよくなってしまうんだよな。‥‥やっぱりジュセルが来てくれて、よかったよ」
そう言って嬉しそうに微笑むケイレンの顔は文句なしに美しくて、思わずジュセルはまた見とれてしまった。
ぼーっとしているジュセルを見て、不審そうにケイレンが声をかける。
「ジュセル?」
「んあ?ああ、えっと晩飯を作ろうかと思うから‥あ~、台所のことを説明してほしい」
「わかった」
そう言うとケイレンは外付けの流しに行って手を洗い、戻ってきた。まるで忠犬のように言われたことに従うその姿を見て、「‥二級請負人 なんだよな‥?」と頭の中で何度も確認してしまう。
台所は広く、使いやすそうではあった。ただ、ほとんどケイレンは使っていなかったようでコンロも流しも埃をかぶっている。立派な調理台もあるのに、その上にもうっすら埃が積もっていた。
内心ジュセルはため息をつきながら言った。
「あんたさ、こんなに何にもしないんだったら何でこんな立派な家に住んでんだよ‥。せめて一人くらい使用人を雇えばよかったのに、もったいない」
よく見ればコンロは最新式の用石補充型だし、水道だって二口ある。大型の窯も備え付けられており、本来ならここで住み込みの料理人が腕を振るうのだろう、と思われる台所だった。
「いや、あの‥あんまり台所のことは気にしていなくて、厩があって、解体ができる場所があるところ、と思ったらここになっただけなんだ‥」
ジュセルの言葉を聞いて、またケイレンはしおしおとなりながら答えた。
「は~、ここも掃除しないと使えねえな‥飯の支度が遅くなるけど、いいか?」
「いや、ジュセルも今日は疲れているだろ?何だったら今から外に食べに行かないか?そんなに遠くないところに、うまい食堂があるんだ」
「う~ん‥」
なぜ、返事を渋っているのか。
それはジュセルが生まれてこの方、外食というものをしたことがないからだ。屋台や露店で何か買うことはあっても、きちんと店舗内で物を食べるという形の外食はしたことがなかった。そういう贅沢をする余裕はなかったのだ。
無論、前世では何度も外食をしていたが、この世界では経験がない。正直どんな感じなのかもわからない。ので、あまり気乗りがしなかった。
返事を渋っているジュセルをどう思ったのか、ケイレンは優しくジュセルの肩を抱いて出口の方に促した。
「恥ずかしいなら個室ででも食べられるから気にしないで。ジュセルの好きなものがあるといいけど。さあ、行こう」
そう言って肩を抱いたままどんどん歩いて行って家を出てしまった。仕方なく、といった体でジュセルもそれに続く。
まあ、一度はレストランで食べてみたかった、というのは否定できない。
着いた店は、赤い張り出し窓があるかわいらしいレストランで、とてもケイレンの言うような「食堂」には見えなかった。案内に出てきた店員とケイレンが少し話すとすぐに、奥の個室に連れていかれた。
「ジュセルはまだ酒は飲まない方がいいかな。肉と魚、どっちが好き?」
「に、ああ魚!」
イェライシェンはやや内陸部にあるので、魚はそこまで安くはない。干し魚であっても干し肉よりは高いので、あまり魚を食べる機会はなかったのだ。ここぞとばかりに魚を頼んだ。
「魚ね、何か食べられないものとかはある?」
「‥多分ない、言うほど色々食ってるわけじゃないし」
「じゃあ適当に頼んでおくよ」
ケイレンはそう言って店員と話し、素早く注文を済ませた。一度下がった店員が、ラッカ水を持ってきてくれる。ラッカという果実をエムルの蜜漬けにして、そのシロップを水で割ったものだ。たまに屋台でも売っているが、他の飲み物より割高なのでジュセルは飲んだことがなかった。
「まずは飲んで。すぐ料理が来るから」
メニューとかないんだな、とか、こいつが常連だからないだけなのか?とか考えて自分が次に来ることがあっても何の参考にもならないなあ‥とぼんやりしていたジュセルは、そういわれて慌ててグラスを取った。こんなに澄んだ美しいガラス製のグラスを使うのも今世では初めてだ、とその時思い至った。
ラッカ水はほんのり甘く、そして後味がすっきりと爽やかで美味しかった。思わずごくごくと半分以上飲んでしまったジュセルを見てケイレンは微笑み、また継ぎ足すよう店員に言ってくれた。
「ジュセル、今日は色々あって疲れたよな。‥ここを出たらすぐに家に帰って寝てもいいから。明日以降、何か予定はある?」
「‥まだ、家の掃除が終わってないからまずは家の中を綺麗にしたい。風呂も洗いたいし。あんたの予定は?朝早いなら、その時間に合わせて起きて飯作るけど」
「ジュセルが、朝飯も作ってくれるのか‥?」
嬉しそうに目を見開いてこちらを見ているケイレンに、気恥ずかしくなって目を逸らしたジュセルはぶっきらぼうに言った。
「それが家賃の代わりだからな!‥‥あんた二級だし退異師もしてんだろ?けっこう忙しいんじゃないのか?」
今さらながらに、初対面で級位も上のケイレンを今日一日引き回してしまったことに気づく。ケイレンの自分に対する態度が非常識すぎて、自分の無礼さに気づいていなかった。そう思い当たって思わず顔を赤らめたジュセルを見て、ケイレンがうっと呻いた。
「かっ‥」
「か?」
「かわ、いい‥」
とぼそりと呟かれ、より一層顔が熱くなった。
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