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第17話
「きす?‥」
問い返されてハッとした。今、自分は何を口走ってしまったのか。
よかった、キスだとここのヒトには通じない。
「ごめん、何でもない!」
そうごまかそうとしたジュセルの腕を、ケイレンが掴んだ。そしてそっとジュセルのあごに指をかけて上を向かせる。
「ジュセル‥きすって、口づけのこと、だったよな‥?」
たった一回のあの時のことを覚えているのか。
そう驚く間もなく、ケイレンの少し厚い唇がジュセルの唇に重なった。綺麗な顔が目の前に迫っていて、ああ睫毛が長いなあ、とどうでもいいことを思う。そして、なぜ、自分の身体で自分の気持ちを確かめようなんて莫迦なことを考えてしまったのか、と。
ケイレンは遠慮なく唇を割って舌を挿し込んできた。今は座っているから腰が抜ける心配はない。
昨日と同じように、ケイレンの舌先は器用にジュセルの咥内を撫で、気持ちのいいところを探していく。何よりも驚いたことは、
(‥‥苦く、ない‥)
ということだった。
昨日ケイレンにキスされたときには、気持ち悪いくらいに唾液を苦く感じたのに、今は全く苦くない。あまいとまでは言わずとも不快な味はしない。その、あまりの差にジュセルは愕然とした。
意図した発言からの結果とはいえ、このような形で自分の心の裡を示される羽目になるとは。
ケイレンは左手でジュセルの後頭部をそっと支え、右手でぐっと力強くジュセルの身体を引き寄せた。
ケイレンの舌先が、上顎を丁寧にたどる。ぞわぞわとした感覚が下半身から登ってくる。それに伴って、陰裂 の中にある陰茎に熱がこもり、陰 がじわりと濡れるのを感じた。
「ん、んんっ‥」
ケイレンの身体全体がジュセルの身体にぴったりとくっついてくる。背中に回されていた手が艶を含んだ動きを始めたのがわかった。
このままだと致してしまうかもしれない、と思ったジュセルは顔を動かしてケイレンの唇から逃れた。胸を少し押して身体ごと離れようとするが、ケイレンの手はジュセルの背中から離れてくれない。気づけば二人とも息が少し弾んでいた。
ケイレンがまたジュセルの頬を捉えた。ケイレンと目が合う。少しだけ目尻を赤くして嬉しそうにこちらを見つめるケイレンは、恐ろしいほどに色気があり美しかった。
「ジュセル」
「‥‥」
「嬉しい」
そう顔をほころばせて抱き寄せようとするケイレンを、ジュセルは腕で押さえた。
「‥でも、わからない」
それだけ答えてまた俯いた。ケイレンの言葉は、キスをしてもジュセルが嫌がらなかったことや、唾液を苦く感じなかったことを指しているのだろう。だが、嬉しい、という一言が、ケイレンにジュセルの心を勝手に解釈されているように思えて、少し不満だった。
ケイレンは、ジュセルの頭に手を置いて、ゆっくりと撫でている。
「うん、いいよ、わからなくても」
少しだけ顔を上げて上目遣いにケイレンの顔を覗き見た。優しい目でこちらを見ている。前髪の間からこちらを見てくるジュセルの目を見て、ケイレンはふっと笑った。
「ジュセルがわからなくても。‥‥嫌われてないって、今わかったから、それだけで嬉しい」
そう言って、低い声で抱きしめてもいい?とまた訊かれる。いいとも嫌とも言えずに黙って俯いていたら、丸くなっているジュセルの身体を覆うように腕が回ってきた。抱きしめる、というより、触れられている、という感触だった。
「ありがとう」
そう言ってケイレンは離れた。そのまま立ち上がった気配がしたので、ジュセルも顔を上げる。ケイレンはジュセルが床に置いた桶を持って立っていた。
「掃除、するんだろ?悪いが、どこをどうすればいいのか、指示してくれないか?」
「‥わかった」
ジュセルもゆっくり立ち上がった。
そして二人がかりで大掃除をした。大掃除というに値する仕事量だった。それでも二階の他の部屋までは手が付けられなかった。今日綺麗にできたのは、台所、食事室、応接室、団欒室と浴室一つ。食糧庫はそこまで荒れていなかったので、何とか使えるようになった。保冷、保温ができる用石使用の貯蔵庫も無事稼働できた。
掃き掃除と拭き掃除とで身体がすっかり縮こまってしまった。掃除道具を片づけ、うーんと伸びをする。今日はまたよく働いた。
ケイレンが買ってきてくれたラッカ水も、掃除の合間合間に二人ですっかり飲み干してしまった。多くはなかったな、よかったとケイレンは笑った。
残りの部屋の掃除は生活しながらおいおいやっていくことにして、ジュセルは昨日から気にかかっていたことをケイレンに尋ねた。
「あのさ、野獣の解体って‥これからもやっぱ玄関ホールでやんの?」
うっ、と言葉に詰まったまま、ケイレンの顔が固まった。視線をうろうろさせてから、そーっとジュセルの顔を見る。
「ジュセルは、嫌、なんだよな‥?」
「嫌っていうか、まあ嫌なんだけど、あんたよくあの臭いが充満している家で過ごせてたね‥俺本当あれは無理。申し訳ないけど、やっぱりこれからも解体を玄関でするなら、別の場所を斡旋してもら」
「しない!玄関ホールで解体はしない!もう絶対しない!」
言葉をかぶせるようにしてぶんぶんと黒い髪を振り乱し、ケイレンが首を横に振った。なんだか自分がいじめているような気になってくる。はあ、とため息を一つついてから、ジュセルは考えていたことを口に出した。
「外にある機工車用の車庫、使ってんの?」
「いや、馬はいるが機工車はない。セキセイを雇うのも面倒だからな」
「じゃあ、これからあそこで解体したらどうかな?一応外だから臭いはそこまでこもらないし、屋根も扉も一応あるだろ?まだ中見てないからあれだけど、汚れてたら掃除すればいいしさ」
ケイレンの顔が目に見えてぱあっと明るくなった。うんうんと何度もうなずいている。
「俺も掃除するし、あの、もう車庫でしか解体はしない!それに当分大型の野獣討伐依頼は受けないから大丈夫だ!」
「え、何で?」
ケイレンは何でもないことのように答えた。
「俺は、これからジュセルに好きになってもらえるように努力するから」
「‥‥は?」
いやこれはマジで何を言っているのかよくわからない。
そう思ったジュセルの口から洩れ出た盛大な「は?」に、ケイレンは何を思ったのか急に居住まいを正して、ジュセルに向き合った。
「俺は、ジュセルが好きだし、昨日から一緒にいてどんどん好きになっていってる。絶対に伴侶になりたいっていう気持ちが、すごくある。だから、ジュセルの傍にいて俺のことを知ってもらってわかってもらって‥俺を好きになって、もらいたい」
「‥はあ‥」
「だから仕事は抑えることにしたんだ」
「え、でも」
仮にも二級請負人 という身分であるのに、そんなことが許されるのだろうか。高位になってくると国にかかわるような仕事も増えてきて、自分だけの判断では決められなくなることも増えると聞いたことがあった。ビルクはそういうことも昇級しない理由に挙げていた。
「大丈夫なのか‥?」
不安そうにこちらを見てくるジュセルに、またケイレンの胸は恐ろしい速さで拍動した。
かわいい。かわいすぎる。世の中にこんなにかわいい生き物がいるなんて、知らなかった‥!
ジュセル本人は自分のことをかわいくもなんともないと思っているようだが、ケイレンにしてみればなぜそう思えるのかが不思議でたまらなかった。
すらりと伸びた手足、ちょうどケイレンの肩くらいに来る身体つき、明るい蒼色の髪に、濃い青色の細い眉の下にある綺麗な蒼色の瞳。
少し丸みを帯びた鼻に尖り気味の唇。ジュセルのすべてが愛おしくてかわいらしく思えてたまらなかった。
ジュセル自身は、まだ完全にケイレンに気を許しているわけではないのだろう。昨日の初対面の対応が最悪だったことを、ケイレンは今では理解している。
冷静になって考えれば、確かに自分は不審者そのものだっただろうと思うのだが、昨日のあの時点では冷静になどなれなかったのだ。
そして、ジュセルの人となりを知るにつれ愛しさが募る。どうして今まで誰にも見つからずにすんだのだろう。恋人はいない、と言っていたことが奇跡のような気さえしていた。
どうにか努力をして自分を選んでもらいたい、好きになってもらいたいとケイレンは願った。
だが気になることはある。本人にこれ以上尋ねる気はないが、ジュセルに向かって暴言を吐いたらしい請負人 のことだ。自分が望んでいないにもかかわらず、ケイレンに纏わりついてくるヒトは一定数いる。今までは面倒だから、ただ知らぬふりをするだけで放っておいたが、ジュセルに害をなそうとするならその限りではない。
目の前の愛しいヒトを、どうやって守り、どうやって自分に好意を持ってもらうか。
ケイレンは昨日からそれしか考えていなかった。
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