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第29話
その後またしばらく応接室で待つことになった。さすがにいくら”裏”の人間でも、請負人協会 の建物内にいる相手に仕掛けようとはするまいから、ここにいる方がいいのだ、とケイレンに言われてジュセルは素直に従った。
「あ、ケイレン、金貸してくんない?」
急にそう言い出したジュセルに、ケイレンは首を傾げた。
「構わないけど‥いくら?何に使いたいんだ?」
「さっき、”裏”のやつにぶつけた破裂玉なんだけど、あれってビルクの専売品なんだ。餞別に一個だけ売ってもらったんだけどまさか初日に使うとは思ってなくて‥」
「ああ、あれか」
毒に侵されたジュセルを伴ってグーラから逃げることができたのは、ひとえにあの破裂玉のお陰であると言ってよい。色々な道具を見てきたケイレンだが、あのように煙幕が対象にまとわりつくというのは初めて見たものだった。
「あれは優れものだった。おかげで逃げられたしな」
「うん、また襲ってくるかもなんだろ?それに備えて二つくらいは買っておきたいんだけど‥あれ高いんだよ。一個共銀貨五枚もするんだ」
「それぐらい構わない。‥じゃあ、初級のやつに依頼をかけるか」
あの優れものが共銀貨五枚とは信じられない安さだ。上級の者たちなら倍の値段でも喜んで買うに違いない。ビルクという人物は、きっと自分の顧客を大事にしているんだろう。依頼料を上げないために昇級試験を受けていない、ということからも人柄の優れた人物であろうことがうかがわれる。
ホールに残っていた初級請負人 を呼び、ビルクへの伝言、あればすぐに破裂玉を受け取ること、なかったら代金だけ渡して帰ってくることを頼む。一応協会で待つとは言ったが、もしいない場合にはケイレンの家まで来てくれと伝えて、その分の交通費も念のため渡しておいた。
初級に依頼をかけてしばらくしてから、ヤーレが一人のヨーリキシャを連れて戻ってきた。ヨーリキシャは長く艶やかな赤い髪を二つに分けて結び、上に結い上げている。顔立ちはすっきり整った女性のようで、身体つきも女性のようだった。つまり胸があり、お尻も豊かだ。ただ、身長はおそらく二十カル約180㎝)近くあり、その身体は細くしなやかでありながらもしっかりとした筋肉に覆われていた。
「三級請負人 のアニスだ。今日から住み込みできると言ってる」
「アニス、あんたまだ三級なのか‥」
「よう、黒剣。またなんか厄介ごとらしいな」
アニスはにやりと笑った。笑うと愛嬌のある顔に見える。年齢としては三十になるかならないか、というように見えるが、この世界のヒトの年齢は本当にわからない‥。
「家には俺と、この初級のジュセルが住んでいる。ジュセルは荒事が苦手だから、アニスには主にジュセルの警護を頼みたい」
「了解、私に任せときなよ」
話している二人を見て、ヤーレがひらひらと左手を振った。
「防護機工躯体の設置も頼んだから、早く家に帰れ。先に設置班が来るぞ」
「ありがとう、ヤーレ。あとで金をちゃんと払うから」
「当たり前だバカヤロー、ほれ、暫定見積りの請求書!」
渡された紙をちらっと見てケイレンは苦笑したが、文句は言わなかった。
その後、アニスもともにケイレンの家まで帰った。帰り着いた頃に防護機工躯体の設置業者が来ていたので、ジュセルはアニスとともに設置の様子を見学した。特に見たかったわけではないが、ジュセルが独りきりになることにケイレンがとんでもなく難色を示した。
「油断できない、ジュセルが一番無力なんだし。一緒にいてくれ」
そう言われると、確かにその通りなのでジュセルは従うしかなかった。
防護機工は、官公庁や資産家の家に設置される、日本で言うなら警報装置のようなものだ。ある一定の範囲を覆い、登録した力素の持ち主以外がその範囲に入ると警報が鳴る仕組みである。日本のものと違うのは、非常に繊細な仕組みなので二日に一回は技術を持ったヨーリキシャによるチェックが欠かせないというところである。今回そのチェックもアニスが請け負うことになっている。
意外に早く設置が終わり、ジュセル、ケイレン、アニスの三人の力素を登録した。門のところに『防護機工躯体設置中』を知らせる紙を貼る。知らない者がむやみに入り込んで警報を鳴らさないようにするためである(なかなかな音量で鳴るため)。
それが終わって、アニスをどこに泊めるかでまた悩む。一階の使用人用と思しき部屋は全く手を付けていない上にろくな家具もない。二階にある客室は少しは掃除をしてあるが、寝台は壊れかけたものが一台しかない。
「寝台がなくても、私は吊り網を持っているから大丈夫だよ」
「吊り網‥?」
アニスの言葉を聞いて不思議そうに首をかしげるジュセルに、アニスは現物を取り出して見せた。
「こうやって広げて、こことここをひっかけると‥」
「ああ、ハンモックか!」
納得して思わず大きな声を上げてしまったジュセルを、ケイレンとアニスが不審そうに見てきた。
「はんもっく‥?」
「あ、あー、そういう、名前で呼ぶとこもあったかなって、はは‥」
苦しい言い訳をするジュセルを見て二人は不思議そうにしながらも、それ以上は追及してこなかったのでほっと息をつく。
「それに‥これくらいなら直せるよ。ただ今日はもう遅いから明日にするかな」
今日は吊り網で寝るよ、とアニスは二階の客室の一室を自分の部屋に決めたようだった。
ジュセルは、疲れたので今日も風呂を沸かしていいか?とケイレンに断り、浴槽を洗って湯を張った。豪華な浴槽にアニスが驚いていた。
「黒剣、あんた結構いい生活してたんだな」
「黒剣って呼ぶな」
そのお風呂、この二、三日でようやく入れるようになったんですけどね‥ついこないだまでゴミの吹き溜まりみたいでしたけどね‥とジュセルは心の中だけで呟いた。
お風呂が沸いたよ、とアニスに伝えると、一緒に入るかい?と聞かれてジュセルは硬直した。
「え、あ‥え?」
「アニス!何言ってんだ!」
アニスはけろりとした顔で上着を脱いだ。タンクトップのような薄い下着だけの上半身は、乳房まで筋肉でできているようにしなやかだった。
「だってジュセルと離れない方がいいだろ?風呂に入ってるときに襲われたらどうすんだよ」
え、そう、なのかな‥?と一瞬考えたジュセルの思考をぶった切るようにケイレンが叫んだ。
「襲われた方が二人とも裸でどうすんだ!外で張ってればいいだろ!」
「あはは、ばれた」
アニスはあっさりそう言って小さく舌を出すと「お先〜」と言いながら浴室に行ってしまった。ケイレンはその後ろ姿を見ながら、
「それにもしそうしなきゃいけないなら俺が入るに決まってるっ!」
と、聞き捨てならない言葉を吐き、「あ”あ”?」とジュセルに睨まれる羽目になった。
アニスの後にジュセルは風呂に入った。大きな浴槽の中で手足を伸ばす。は〜っと心からの息が出る。
左手首の少し上の方に、うっすらとした切り傷が見える。ん?とジュセルは首をかしげた。
毒が塗られた刃で斬られた傷なのに、もうこんなに傷が薄くなっている‥?
ジュセルはばしゃりと浴槽の中で座り直し、じっと傷を見つめた。
そもそもうっかりしていたが、相手が使った毒が何か、ケイレンはわかっていたのだろうか?毒の種類がわからなければ解毒剤は使えないはずだ。‥力素欠乏はケイレンが治したにしても、あの刃傷が解毒剤で治るわけはない。
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