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第30話

そもそも、解毒剤、だったのか? ジュセルは傷をじっと見た。傷はうっすらとした桃色の線になっていた。出血の痕などもうどこにも見えないし、傷自体もしっかり塞がってしまっている。 「これ、は‥」 使われたのは一般的な解毒剤などではなく‥「万能薬」ではないのだろうか? ジュセルとて「万能薬」がどういうものか知っている。どんな毒も解毒し、内臓の損傷も息さえあれば治してしまうという規格外の薬だ。だからこそ、 「‥‥‥共金貨、二枚‥‥」 恐ろしい値段のするもののはずだ。 共金貨一枚は共銀貨百枚に相当する。今回ジュセルの受けた依頼は全部達成しても共銀貨三枚だ。そもそも庶民は、共金貨など一度も見ないまま過ごす者の方が多い。それほど生活からかけ離れた通貨なのだ。 「え‥」 温かい湯に浸かっているはずなのに、身の内から震えがのぼってくる。 ケイレンが、自分のために、共金貨二枚の万能薬を使った。 つまりそれほど自分の状態は悪かった。 あの、”裏”の者‥グーラとか言ったか‥は何と言っていたか。 『お前が四六時中、守っていくのかい?‥無理だねえ、依頼主(ぬし)暗殺(これ)を取り下げることはないよ』 お前、という言葉が指すのはケイレンだ。だからケイレンが狙われているのなら『お前が守っていく』はおかしい。 そういえば。 森に入って間もない時に、どこからか礫が飛んできた、とケイレンは言った。あれは本当に礫だったのか。 投擲刺剣だったのではないか。 だとしたら。 「‥狙われてる、の‥俺、じゃん‥」 温かい湯に浸かっているはずのジュセルの顔から血の気が引いた。 お風呂どうぞ、と言ってきたジュセルの声に元気がない、ように思えた。ケイレンはアニスと警護の打ち合わせをしていたのだが、ジュセルの声を聞きぱっと顔を上げてそちらを見た。すでにジュセルはこちらを向いておらず、長椅子に座ってこちらに背を向け、髪を乾かしにかかっている。 「‥ジュセル?」 「何?ケイレンも早く風呂入りなよ、今ならまだ湯も熱いし」 「ああ、うん‥」 言葉だけ聞いていればいつものジュセルなのだが、どうも違和感がある。しかしこれ以上何と聞けばいいのかもわからず、とりあえずケイレンは浴室に向かった。 ケイレンの姿が見えなくなってすぐ、ジュセルはアニスの向かいにやってきた。食事室の椅子に座ったアニスは、風呂上がりに自分で持ってきていた酒を少し飲んでいた。ヒトの気配に気づいたアニスが顔を上げると、ごく真剣なまなざしのジュセルの顔があった。 「アニスさん、聞きたいことがあります」 アニスはふっと笑いながら答えた。 「アニスでいいよ。そんなかしこまった話し方もやめてほしいな。何が聞きたい?」 ジュセルはぎゅっとタオルを握りしめた。 「狙われているのは、ケイレンですか?‥俺ではなく?」 その質問を受けたアニスの眉尻がほんのわずか上がった。しかし、それ以外にアニスの表情に変わったところは見受けられない。アニスは淡々と答えた。 「さあ?私が受けた依頼は、”裏”のやつが襲撃してきそうだから家と家に住むものを守ってくれ、ってことだからね。狙いが何なのか、”裏”がどうかかわっているかまでは聞いてないよ」 表情を一切変えないままのアニスの回答に、ジュセルはそれ以上深く尋ねることができなかった。アニスは熟練の請負人(カッスル)だ。本来なら二級相当の実力があるらしいがヤーレ曰く「面倒くさがりだから」昇級試験を受けていないらしい。三級に昇級したのも試験を受けたからではなく、これまでの実績から協会が無理やりに三級に上げたと言っていた。 ジュセルは質問を変えることにした。 「ケイレンはなぜ狙われているんでしょうか」 「さあ?黒剣は護衛案件も多いから恨みは買ってそうだけどね。あいつ自身もぶっきらぼうで愛想が悪いから‥まあ、ジュセルに対しては全然違うようだけど」 アニスはそう言ってくすりと笑った。整ってはいるが人懐っこさと妖艶さを兼ね備えたその表情に、どうにも惹きつけられる、そういった魅力がアニスの顔にはある。ほわほわしている自分の(シンシャ)とはずいぶん雰囲気が違うな‥とジュセルは思った。 「‥俺はまだケイレンと知り合って三、四日くらいしか経ってないので‥よくわかりません、けど、請負人(カッスル)が狙われることって多いんですか?」 ジュセルの質問に、アニスはふむ、と顎に手を添えて少し考えるそぶりを見せた。 「‥どうだろうね。ヒトによる、としか言えないな。採取しかやらないやつでも狙われることはあるし、農家の手伝い専門のやつが殺された例もあったかな。私も狙われたことはあるよ」 ビルクからは聞いていなかった請負人(カッスル)の意外な危険度にジュセルは驚いた。 「え、あの、アニスさんは狙われてどうしたんですか?」 「殺したよ」 アニスは今までと声の調子を変えることなくそう答えた。その返事のあまりのあっけなさに、ジュセルの方が思わず息をのんだ。そのジュセルの顔を見て、アニスはふっと顔を崩した。 「‥ああ、怖がらせちまったかな。上級になってくるとそういうこともあるんだ。特に私は護衛もよくやるからね。それ関連で狙われたことがあるのさ。殺さないとこっちが殺されてしまうから」 アニスはカップに残っていた酒をくいっと全部呷った。カップを置くとジュセルの顔を見る。 「今回、厄介なのは裏請負会(ダスーロ)が絡んでいる、ということだ。個人的に狙われているだけなら相手を殺せば終わる。しかし、”裏”に依頼が出されれば、依頼人が依頼を引き下げるか、死ぬか、こちらが殺されるかしないと終わらない」 ジュセルは拳をキュッと握りしめた。‥事態は随分と面倒なことになっているようだ。自分が狙われているとするならば、誰かが自分を殺してくれ、と”裏”に依頼を出したということになる。 そこまで自分が恨まれる理由がわからない。 自分とケイレンのどちらが標的であったとしても、厄介なことに変わりはない。だからこそ、そのことをアニスは伝えてくれたのだろう。 「どう、対処するんですか」 声がうわずりそうなのを必死に抑えて尋ねてみる。アニスは困ったような顔をしてジュセルの頭をぽんぽんと撫でた。 「‥怖いよな。でもまあ私もいるし、何より黒剣がいる。私らで敵の出方を見ながら色々考えてみるさ。ジュセルにもいろいろと多分、不便な思いをさせると思うけど、そこはつきあってくれ」 「もちろん、です」 アニスは立ち上がって大きく伸びをした。 「じゃあ私は寝るよ。もし何者かが入ってきても敷地内に入れば警報が鳴る。あまり心配せずにジュセルも休みな」 「‥はい」 固い顔のままそう返事をしたジュセルの頭を、アニスはくしゃっと撫でまわした。 「ジュセルが飯作ってくれるって聞いてるよ。私は朝から結構たくさん食べるからね。頼んだよ」 「はい」 もう一度ジュセルの頭をくしゃくしゃと撫でてから、アニスは二階へと上がっていった。今日は多分あのハンモックで寝るのだろう。明日は寝具なども準備しなければ、とジュセルはぼんやり考えた。

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