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第32話
翌朝、まだ日が低い時分に起き出したジュセルは、厨房に入って朝食を作り始めた。何か作業をしていれば気が紛れる。昨夜は、いつ暗殺者が来るやもしれないと思えばまんじりともしなかった。そのため寝不足ではあるが、これ以上寝台で横になっていても眠れる気はしないので起き出したのである。
今回は前回よりも慎重に、パルトの実の皮を剥き窯に入れる。前回よりは弱火で焼き、時間も調整してみた。すると今回は店のものと同じとまではいかずとも、まあパルトといえそうな柔らかさに焼き上げることができた。
まだ残っていた塩釜焼のオジャン肉と細かく切った野菜をパルトに挟んでパルジャを作り、干し肉と野菜くずのスープを作る。お茶のためのお湯を沸かし始めたところでアニスが起きてきた。
「早いなジュセル、いい朝だな」
「いい朝だアニス。アニスも早いですね」
アニスはしどけない下着姿で今にも胸がこぼれそうだ。目のやり場に困りながらジュセルが言うと、アニスはにやにやと笑った。
「まあ、だんだん年食ってくると早くなるのかね~」
「‥聞いてよければ、アニスって幾つなんですか?」
「え~と‥今年で五十七かな」
ああ、やはりこの世界の年齢はわからない‥だが、一般的には180〜200歳くらいまでの寿命があるのだから感覚としては二十八、九歳くらいなのだろうか‥?そうすると自分は八歳になってしまうが、などと考えていると、アニスが後ろからぎゅっと胸を押しつけるようにしてジュセルに抱きついてきた。
「朝飯?‥いい匂いがするな」
「‥アニス、あんましくっつかないでくれ、あの、胸が‥」
「アニス!!」
後方からケイレンの大きな声が響いてくる。声の大きさに驚いたジュセルが振り返ると、ケイレンが血相を変えてこちらに飛んできた。すぐそばまでやってくるとアニスをべりっとジュセルから引き剥がした。
「やめろ!ジュセルにくっつくなって言っただろ!」
「別にくっついたって程でもないだろう?ジュセル越しに流しを見てただけだよ」
アニスは全く悪びれる様子もなく、ひらひらと両掌を振ってケイレンにむかい、にっと微笑んで見せた。その顔には『面白い』と書いてあるようにジュセルには見える。
「と、とにかくジュセルに触れないでくれ‥俺の精神健康的に許せない‥」
「いっひ」
アニスは楽しそうに笑って、またすっとジュセルに近づくとそのつむじにちゅっと口づけた。
「アニッ」
突然のことに言葉が出ず固まってしまったジュセルに対し、ケイレンは顔を真っ赤にしてアニスに飛びかかった。ぐいっと乱暴にジュセルから引き離し、アニスの胸ぐらをつかむ。掴まれた方のアニスはにやにやと笑みを浮かべるばかりで何の抵抗もしない。
「ジュセルかわいいからさぁ、なんかちょっかい出したくなるよね。‥黒剣の気持ち、ちょっとわかってきたかも」
「わからなくていい!!ジュセルに近づくな触るな!」
「おお、怖っ」
アニスはおどけたように言って胸ぐらをつかまれたまま両掌をひらひらさせた。そこでようやくハッとしたジュセルが、慌ててケイレンを止めた。
「やめろよ、アニスさんだって別に何も思ってないよ、俺なんか」
そう言ってケイレンの腕を引っ張っていると、掴まれたままのアニスがまた余計な口を出す。
「へえ?そんなことないよジュセル。私はジュセルみたいなかわいい子好きだなあ」
そのアニスの言葉を聞いたケイレンの目が据わった。
「‥よし、わかった、決闘しよう。外に出ろアニス」
「何言ってんだよ!あ、アニスさんもそんな冗談ばっかり言わないで!」
「え~冗談じゃないよ、ジュセルかわいいよなあ」
「アニス外に出ろ!」
「アニスさん!」
その後もさんざんアニスに揶揄われ、いちいち本気に取ったケイレンが青筋を立ててぶちぎれそうになるというひと悶着があり、ジュセルは朝からどっと疲れた。
朝食の席でジュセルから一番離れたところの椅子に座らされたアニスが、ジュセルの作ったものを嬉しそうに頬張っているのさえケイレンは気に食わないようで、いちいちアニスの方を睨みつけながら食べている。
「ジュセル〜全部美味しいよ!スープもパルトもうまい!パルト自分で焼いたって、すごいなあ!料理人でもやっていけるんじゃないか?」
「いや、所詮素人の作るもんだから‥あと、美味いのはオジャンの肉使ってるからだと思う」
「またぁ〜謙遜しなくていいよ!パルトいい感じに焼けててうまいよ!」
「‥ジュセルが作ったものをこいつに食わせるなんて‥」
いまだにぶつぶつ言っているケイレンを、ジュセルは軽く睨んだ。ふふっと笑ってアニスはジュセルの方を少し真面目な顔で見た。
「黒剣がこんなに色々表情を出してるの、初めて見たよ。‥本当にジュセルのことが好きなんだね」
「‥そう言ってるだろう。だから守ってほしいんだ」
真剣味の混じったアニスの言葉に、ケイレンも真面目に答える。真剣な目つきのまま、口元にだけ笑みを浮かべてアニスは答えた。
「わかってるよ。私の力の限り、この家とジュセルを守ると誓おう」
そのアニスの顔を見て、ケイレンはスプーンを置き、軽くため息をついた。そして言った。
「‥ジュセルに標的のことが知られてる。もう隠さなくていい」
アニスは眉尻をくっと上げてケイレンを咎めるように見た。その視線に気づいたジュセルがケイレンをかばうように言った。
「昨夜、俺がケイレンを問い詰めたんだ。‥お世話になります、アニスさん」
ジュセルの表情を見て取ったアニスが、また優しく微笑んだ。
「そうかい‥わかってしまったんじゃ仕方がないね。怖いと思うけど、私とケイレンで守るから、あまり心配しないで。それからアニスと呼び捨ててくれて構わないよ。さん、なんてつけられることはめったにないから腹の底がうずうずしちまう」
「‥ありがとう、アニス」
ジュセルも思わず笑顔になってアニスに礼を言った。それを見ながらケイレンが居ずまいを正す。
「こうなったからには、詳しいことをジュセルに話しておく」
ケイレンは、おそらくハリスが依頼主で自分を手に入れたいがためにジュセルを狙っているのではないかということ、昨日やってきたマリキシャの暗殺者はグーラといって裏請負 の中でも指折りの腕利きであること、万が一グーラを倒したとしても、依頼が生きている限り次の暗殺者が現れるであろうこと、などが丁寧に語られた。
全てを話し終わった後、ケイレンは椅子を引いて立ち上がり、跪くとジュセルに向かって深く頭を下げた。
「‥何もかも俺のせいだ。ジュセルに会えた時に、俺が軽はずみな行動をとったから‥本当にすまない、ジュセルには何の落ち度もないのに」
そう言って頭を下げたままじっとうずくまっているケイレンに、ジュセルは慌てて傍まで行ってその腕に手をかけて立ち上がらせようとした。
「やめろよ、ケイレンのお陰で助かったことだってたくさんある。それに、ケイレンが悪いんじゃないだろ?俺を殺すように依頼したやつが悪いんじゃねえか。‥ケイレンが自分の思い通りにならないからって、そんな卑怯な手を使うやつがさ」
ケイレンはゆっくり顔を上げてジュセルの顔を見た。アニスはパルジャの欠片を口の中でごくんとのみこんで言った。
「ジュセル、あんたなかなかかっこいいところもあるんだねえ。ますます魅力的に感じるなあ」
ぎろり、とケイレンが鋭い目で睨んでくるのを、アニスはにやにやしながら見ている。あからさまに揶揄っているだけなのに、それがわからないケイレンではあるまい。
「ケイレン、アニスを睨むなよ。とにかく立って椅子に座って。今後のこと、話し合った方がいいんだろ?」
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