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第36話
コモで作った麺に、野菜と燻製肉、オジャンの脂でとっただしを合わせてコモエンを作る。まだ卵があったので、かきたま汁のようにして出すと二人とも美味しい美味しいと言ってもりもりと食べた。
アニスは満足そうにスープを飲み干しながら言った。
「いやあ~今回の仕事は当たりだなあ!仕事場に風呂はあるし部屋は綺麗だし、しかもこんな旨い賄いまで毎回ついてくるなんてさ」
ケイレンは二度目のお替わりのコモエンを平らげながら嫌そうに言った。
「‥別にアニスは食わなくたっていいんだぞ、ジュセルの手料理食うの、本当は俺だけでいいんだから‥」
「うっわ〜、せま!心せま!狭量なやつは嫌われるって言っただろ?なあ、ジュセル?」
「あ、うん、そうだな‥」
急にアニスに話を振られてジュセルはどぎまぎした。ぼんやりしていてあまり話を聞いていなかった。落ち着きのないジュセルの様子を見て、アニスとケイレンはそれぞれ、襲撃の衝撃がまだ冷めていないのだろう、無理もないことだ、と考えた。
ケイレンは椅子から立ち上がった。
「俺、もう少し食べてもいいかな?まだある?」
「あ、うん、いいよ、俺がついでくる」
ジュセルはそう言ってケイレンから皿を受け取ると厨房の方へ向かっていった。
ジュセルの姿が完全に見えなくなったのを確認してから、アニスはケイレンに向かって言った。
「‥それにしても急に落ち込んじゃったみたいだなあ。ジュセル、割と肝は据わってるのかなと思ったけど‥さっき怒られた後、なんか話したのかい?」
アニスにそう問いかけられて、ケイレンはぐっと言葉に詰まった。
ジュセルが、ケイレンの行動に応えてくれたのは天にも昇るほど嬉しかった。上衣の中に忍び込んできた、ジュセルの小さく滑らかな手の感覚が、今も肌に残っている。自分へと伸ばされた小さな舌、咥内に広がった甘い唾液。
思い返すだけで胸の内が熱くなる。ジュセルにも自分への気持ちが芽生えてくれたのかと思って一瞬、心が浮き立った。
しかし、ジュセルが自分のせいで命を狙われているのだという現実が脳裏に浮かび、背中に冷水を浴びせられたような気持ちになった。
ジュセルは、怯えているのだ。命を狙われるという異常事態に。
だから、庇護してくれそうな俺に知らず知らずのうちに縋ってしまっただけだ。
そもそも、ジュセルがこんな目に遭っている原因は俺じゃないか。
それなのに、ジュセルが自分に気持ちを寄せてくれたからと喜んでいる場合か?
ケイレンは自分にそう言い聞かせ、断腸の思いでジュセルから離れたのだった。
黙り込んでいるケイレンを横目で見つめながら、アニスはコモエンを豪快にすすった。そして残っている汁を皿からごくごくと飲み干していく。
「は〜うま!マジでジュセルの料理は美味いな。この仕事を振ってくれてありがとうよ、黒剣」
「‥ああ、うん、」
アニスは飲み終わった器をたん、とテーブルに置いて頬杖をつくとじろりとケイレンの方に視線を投げた。
「‥何、やったの黒剣」
ケイレンは、はあ、とため息をついてテーブルに突っ伏した。そして突っ伏したままくぐもった声でぼそぼそ答える。
「‥むしろ何もやってない」
「はあ?どういうこと?ジュセル、あからさまに元気がないじゃないか。何かやらかしたんじゃないの?」
「‥口づけた、だけ‥」
「おい!だけって、それが原因だろ?!」
どん、とアニスがテーブルをたたき、椅子から立ち上がってケイレンの横に行くとぐいっとその腕を取ってねじり上げた。
「いっ、痛ててて!痛いって!」
「あんな、真面目そうで健気そうな、成人したての子に何やってんだよ」
アニスがそう言って腕を二本ぐいっと後ろ側にひねってケイレンを悶絶させているところにジュセルが戻ってきて、目をぱちくりさせた。
「え、どうしたの?」
持ってきたお替わりの皿をケイレンの前に差し出しながらジュセルが聞くと、アニスがにやっと笑って答えた。
「いやいや、大人同士のね、触れ合いってやつよ!あははは、気にしないで!あっ、私このお茶のお替わりほしいなあ、ポットに入ってるやつ、全部もらっていい?」
「いいけど‥」
ぱっとケイレンから手を離してアニスはお茶を自分のカップに注ぐと、ぐいっとそれを呷った。カタンと空になったカップを置いて、食事室から出て行こうとする。
「アニス、何かするんですか?」
声をかけたジュセルにアニスは答えた。
「防護機工のチェック。日に三回は見ておかないとだからね」
そう言って後ろ手をひらひらと振りながら出て行ってしまった。
食事室にケイレンと二人、残されたジュセルはどうしようかと迷ったまま、その場に立ちすくんでいた。ケイレンはぎこちない動作で持ってきてもらったお替わりのコモエンをもごもご頬張っている。
いたたまれなくなったジュセルが厨房へ引っ込もうとした時、ビーッというブザーの音がした。来客を知らせる音だ。
「俺見てくる!」
そう言って飛び出そうとするジュセルを、素早く立ち上がったケイレンが止めた。
「ジュセル、すぐに外に出るな。確認してからにしろ。俺やアニスがいる時は出ないでいい。もっと用心してくれ」
真剣な調子でそう言われ、ジュセルはしょんぼりと肩を落とした。ケイレンはそれには気づかず、すぐに玄関の方に向かった。
玄関の前で待っていたのは、昨日ビルクのところに使いを頼んだ初級請負人 だった。
「ビルクさんからの品物です。間違いがなければ受領証にサインをお願いします」
顔を赤くした若い請負人 にそう言われ、品物を受け取ってサインをする。そのまま家の中に戻ろうとするケイレンを、若い請負人 が「あの!」と言って呼び止めた。何事か、と怪訝な顔をして振り返ったケイレンに、顔を真っ赤にした若者 が手を差し出した。
「ケッ、ケイレンさん!あの、ずっと憧れてました!握手してもらえませんか!?」
ケイレンはわかりやすく眉を顰めた。そしてすぐさま氷のような声で言い放った。
「断る。仕事は終いだ。帰れ」
そう言ってやや荒々しくドアを閉めた。
鼻先で荒く閉められたドアの前で、若い初級請負人 は、しばらく目を見開いたまま立ちすくんでいたが、ふうとため息をついて顔をぐいと拭うとその場から足早に立ち去っていった。
玄関ホールの端から、その一部始終を見ていたジュセルは胸が苦しくなるのを覚えた。‥ジュセルが出会ってからのケイレンはいつも甘く優しく、ジュセルへのあふれる愛情を隠しもしない人物だった。
だが、今のけんもほろろな対応のケイレンを見て、あれが普段のケイレンの姿なのだ、とようやく理解する。そして、他のケイレンを知っている人々がジュセルへのケイレンの態度に関して驚いていた理由が納得できた。
(別人みたいだった‥)
ジュセルは身を翻し、ゆっくりと厨房に向かった。厨房に入って、まだ残っていた皿を洗い始める。
(‥初めて見たかもしれない、ああいうケイレンの姿)
ジュセルの立っていたところからはケイレンの顔までは見えなかったが、あの氷のような冷たさの声はよく聞こえた。
自分に話しかけてくれているときのケイレンとは別人のような、人間味のない声。
(俺の前での、あの、なんかほっとけない感じのケイレンと、さっきの冷たい声のケイレンと‥どっちが本当のケイレンなんだろう)
考え出すと手が止まる。じゃあじゃあと手元にかかっている水の流れを見つめながらぼんやりと立っていたジュセルの後ろから、厨房にやってきたケイレンが声をかけた。
「ジュセル」
「へっ、うわ!」
ぼんやりしていたジュセルは、掴んでいた皿を取り落として流しに落としてしまった。固いタイルに落ちた皿はガシャンと音を立てて割れ、流しの中に飛び散ってしまう。ケイレンはその音に驚いてジュセルの傍に飛んできた。
「ごめんジュセル!俺が急に声をかけたから‥怪我してないか?」
「あ、うん、大丈夫‥」
いつもと変わらない、優しいケイレンの声に、ジュセルはきゅっと胸が痛むのを感じた。
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