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第42話

「このまま、ずっとここにいて何もしないってわけにもなあ‥」 ぼそりと呟いたジュセルの言葉に、アニスも軽く頷いた。 「まあ、万能薬が届いたら考えようよ。‥今日のご飯何?」 「あ、きょうはハンバーグにしようかなって‥」 「わ〜やった!私『はんばーぐ』好きだよ!いっぱい作ってほしいなあ」 アニスはそう言って、ジュセルの身体を後ろからぎゅっと抱きしめた。肩のあたりにアニスの豊かな乳房の質量を感じると、ジュセルはどうしていいかわからなくなってあたふたしてしまう。 「ちょ、アニス当たってる、から‥」 アニスはうふふふと意地の悪そうな顔で笑いながら答えた。 「当ててるんだよ。ジュセルは胸が大きいのは好みじゃないのか?‥やっぱり黒剣がいいのかい?私もジュセルのこと好きなんだけどなあ」 だが、ジュセルはそんなアニスの言葉を聞き流した。そっとアニスの腕を自分から外しその中から抜けると、下からアニスを叱るような眼差しで見上げた。 「アニス、冗談が過ぎるよ。俺にそういう気持ち、全然持ってないだろ?」 アニスはにやっと笑ってから身体を離し、頭の上で腕を組んだ。 「全然、ってこともないけどね。私はジュセルのこと好きだよ」 「それって、全然恋愛感情じゃないだろ?いくら俺だってそれくらいわかるよ」 ジュセルに真っ直ぐな瞳で見つめられたアニスは、肩をすくめて苦笑した。 「‥結構ジュセルのことは好きなんだけどな‥まあ、いいか」 そう言うと向きを変えて厨房から出て行こうとした。ジュセルが 「どこに行くの?」 と聞くと 「防護機工の点検!‥幸いにしてまだ感知が敵さんに働いたことはないけどねえ」 と言って出て行ってしまった。 ジュセルはそれを見送って、夕飯の支度にとりかかり始めた。 アニスは請負人(カッスル)になって三十年近くになる。 アニスの(シンシャ)は、イェライシェンで小さなパルト屋を営んでいたが、アニスが成人する直前、珍しく街中に発生した異生物に襲われて死んでしまった。 その後、親戚だと名乗る怪しげな人物に店を乗っ取られ、アニス自身は花街の違法売春宿に売られた。 毎日繰り返し性交幻覚剤(パルーラ)を飲まされ、次々とやってくる酔客に身体を好きに弄ばれ、絶望して意識清明の時に死のうとした。 それを救ってくれたのが、たまたま居合わせた光級請負人(カッスル)であるティルガだった。 ティルガは違法営業をしている売春宿の摘発を依頼されて店を訪れた際、客から剣を奪って死のうとしたアニスにたまたま出会って助けてくれたのだ。アニスが十八歳の時だった。その後、ティルガが半年だけ面倒を見てくれ、請負人(カッスル)としての基礎を叩きこんでくれた。 そして試験を受けて請負人(カッスル)になったのだった。 アニスの試験の合格を聞いてからティルガは旅立っていき、その後一度も会っていない。光級という、大陸にも数人しかいない最上級請負人(カッスル)であるティルガには様々な依頼がある。仕方ないとは思っていたが、ここまで会えないとは思っていなかった。 (生きてれば‥九十歳?くらいかな‥) 屋敷の各所に設置されている防護機工の設定を一つ一つ確認しながらアニスは考えた。何度かティルガがイェライシェンに帰ってきたこともあったらしいのだが、その時にはアニスが依頼で別の場所にいたりして、結局これまで会うことはなかった。 ティルガはアニスよりも頭一つ分背は低かったが、身体にはみっしりとした筋肉がついていて途轍もなく強かった。抜けるような蒼さの髪と瞳を持ったキリキシャで、おそらくサッカン十二部族国で唯一、「転移」が使えるキリキシャでもあった。 自分を救ってくれたこのたくましいキリキシャに、当然のようにアニスは心を奪われた。試験に合格して請負人(カッスル)として生きていくことを決めたとき、アニスは自分を抱いてくれ、と決死の思いでティルガに頼み込んだ。 ティルガは少し困ったような顔をしていたが、根負けしたのかその時一度だけアニスを抱いてくれた。 ティルガの方に強い気持ちがなかったことは、その閨事の中身でアニスにも重々わかった。この世界では相手を想い合っていればいるほど快楽を得られるという仕様になっているからだ。激しい快楽が得られない、つまり自分にティルガの気持ちはあまりないというその事実がわかるだけに悲しかったが、ただ一度だけでも抱いてもらえたことは嬉しかった。 あれから、アニスは誰かに抱かれたことはない。性交をするにしてもいつも抱く方だった。心の奥底にいるティルガの面影をどうしても消すことができず、抱かれることはできなかった。 今回の依頼で偶然出会ったジュセルの髪の蒼さは、久しぶりにアニスにティルガを思い出させた。 (いい加減、しつこいよな、私も) 最後の防護機工を点検してから、アニスはため息をついた。‥恋愛を避けているわけではないし、ティルガに操を立てているつもりもないのだがどうにもあれから心が動かなかった。 それほど、ティルガというヒトはアニスの人生の中に大きく入り込んでしまったのだろう。 (ティルガがいなかったら‥多分、私は生きてないしな) ついでに塀の傍に生えていた雑草を幾つか抜いて、その辺に放り投げた。ジュセルが、庭が荒れたままなのを随分と気にしていたからだ。しかし、ケイレンが襲撃を警戒してほとんどジュセルを外に出さないので、いまだに屋敷内の土地は雑草が多く生えたままだった。 ケイレンがジュセルを案じる気持ちはよくわかる。グーラはかなり厄介な相手ではあるし、いつまでという終わりも見えない状況だ。正直、ヤーレが勧めたように国外に避難した方がいいのではないか、という気持ちもある。 しかし、あれほどヒトと関わることを頑なにしてこなかったケイレンが、ジュセルに対して隠しきれないほどに感情を発露させるのを目の当たりにしていると、不用意なことは言えなかった。 おそらく、ジュセルもケイレンのことを想っているのは間違いないだろう。 だが、この状況を作り出してしまった、ということでケイレンは引け目と罪悪感を抱えているし、ジュセルの方は生活から身の安全に至るまですべてケイレンの世話になってしまっている、という罪悪感と本当にケイレンは自分を好きなのか?という不安に苛まれていて、どうにも二人はぎくしゃくしている。はたから見ているアニスにはそれが手に取るようにわかった。 かといって、アニスがそれに口を挟むことはなかった (‥ま、私が口を出すことじゃないしな) 顔を上げて門の外を眺めていると、離れたところにケイレンの姿が見えた。随分急いで走ってきているようだ。何の気なしに眺めているとあっという間にアニスの目の前までやってきた。 「ア、アニス、手に、入った、」 息を弾ませながらケイレンがそう言うのを、ぽんぽんと肩を叩いて落ち着かせる。 「何が?落ち着けよ黒剣」 「万能薬!万能薬が、手に入った!‥ジュセルを、外に連れて行ってやれる!」 息を弾ませ肩を揺らしながら、嬉しそうにそういうケイレンの笑顔がアニスには眩しく見えた。 「‥きっとジュセル喜ぶよ。‥早く教えてやりな。さっきまでは厨房にいたけどね」 「わかった!」 足取りも軽く屋敷の中に入っていくケイレンを見送って、アニスはまた軽く息を吐いた。 「え、もう手に入ったのか?‥正直、ものがものなだけに当分無理だと思ってた‥」 半分呆れたような顔をしながらジュセルはそう言った。ケイレンは嬉しそうににこにこしている。 「ヤーレに頼んで各方面に声をかけてもらったんだ。譲ってもらえてよかった。作成の依頼も別でかけてるから、三か月くらい後にはもう一つ手に入ると思う」 「ええ~‥」 にこにこと笑顔でこちらを見てくるケイレンを見ながら、ジュセルは胸の内でこっそりため息をついた。 ただでさえ貴重なこの薬を、手に入れるためにケイレンはどれほどの無理をしたのだろう。金額的にも人間関係的にも随分と苦労をしたはずだ。 もともと万能薬は共金貨二枚という恐ろしい値段だと聞いているが、今回のように無理を言って手に入れたものの値段はそれでおさまるということはないだろう。ケイレンだけでなく、ヤーレだってきっといろいろな方面に声掛けしてくれてようやく入手できたものに違いない。 そう思って心が重くなるジュセルとは反対に、ケイレンは嬉しそうに言った。 「とりあえずこれがあれば少しは安心できるから。ジュセルも外に出てもいいよ。勿論、俺とアニスはついていかなきゃだから、少し窮屈な思いをさせるかもしれないけど‥でも、外に行きたいだろ?ジュセル」 「ああ‥うん、まあ‥」 ジュセルは言葉を濁した。 ジュセルは、一緒に住むことと今回のことで色々と費用がかさんだだろうと、ケイレンに自分の貯金をすべて押しつけていた。始めは頑なに受け取りを拒否していたケイレンだったが、ジュセルが「受け取ってもらえないなら俺はここを出て行く』と脅すに至ってようやく受け取ってくれたのだ。 しかし、これまでにかかっている費用はもはやジュセルが補償できるような金額ではなくなっている。依頼も受けられないから生活費もまるまるケイレンに頼る形になってしまっていた。この状態で外に行き依頼を受けたとしても、ケイレンとアニスという腕利きの請負人(カッスル)二人を連れて行くことに見合うほどの金額はジュセルは稼げない。 にこにこしているケイレンに、ジュセルは小さく呟いた。 「‥‥俺、‥出かけなくて、いいよ」

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