50 / 53

第49話

ケイレンは思わず言葉に詰まって呻き声をあげた。 生み(シンシャ)の思いがけない死、そして偶然でしかない育て(シンシャ)たちとの出会い、育て(シンシャ)たちとの日々、そして突然の別れ。 独りになってから一人前になるまでのあれこれや、一人前になって腕が上がり始めてからのいざこざ。 とてもではないが穏やかとは言えない自分の半生を振り返り、ケイレンは黙り込んだ。ヤーレはそんなケイレンの肩に軽く腕を回して話し続けた。 「お前は、初めて愛したジュセルに何も障害のない、楽しいだけの人生を送ってほしいんだろう。多くの(シンシャ)が子に対しても思うことだ。‥しかし、生きている以上、悲しみや苦しみから逃れることはできない。そして、悲しみや苦しみがあるからこそ、俺達は幸せや喜びを大きく感じることができるんだぜ」 ぽんぽん、と軽くケイレンの肩を叩いてから、ヤーレは腕を引っ込めてカウンターに頬杖をついた。 「起こったことは仕方ねえ。守るしかねえよ。ただ、変に自分だけを責めるな。卑屈になるな。そんなやつに守ってもらいたくねえぞ、俺なら」 ケイレンは唇を噛みしめながらヤーレの言葉を聞いていた。ヤーレの言っていることは正しい。それでも、ジュセルに辛いことや悲しいことが起きてほしくない。いつも笑っていてほしいと思うのに。 それが難しいというより、不可能に近いことはケイレンにもわかっている。それでも、そうあってほしいと思うし、今のジュセルの状況は自分が作り出したものだから、と思ってしまう。 「‥‥‥努力、する」 「それがいいさ」 ヤーレは椅子から滑り降りて、両腕を上げ、うーんと伸びをした。首をコキコキ鳴らしながら腕を回す。 「金は明日の昼には共金貨で用意できるみたいだぜ。お前はこんなところで油を売ってねえで帰れ。‥どうせ、ジュセルとなんか揉めたんだろ」 ケイレンはぴくりと肩を震わせた。その顔からは、酒を飲んでいた時の鋭さが消えている。ヤーレは揶揄うようににやにやと笑った。 「何があったんだよおい。このヤーレに話してみろって」 「‥‥‥ジュセル、が、」 「うんうん」 「おれの、こと」 「うんうん」 「‥‥すき、だって」 ヤーレは目を真ん丸にして口を開けた。まさかにジュセルがそのようなことを言っているとは思いもよらなかったのだ。ケイレンの全力愛情表明に困った顔をしていたジュセルが頭に思い浮かんだ。この短い期間に、何があったのだろう。 そして、ふと疑問に思った。あれだけ好きだと周囲を憚らずに言っていたケイレンが、ジュセルからの気持ちが帰ってきた割に全く喜んでいる気配がない。 「‥お前、それでジュセルになんて言って返したんだ?」 「‥‥‥‥何も」 「‥はあ?!」 「何も、言ってない‥」 今度こそヤーレはあんぐりと口を開けた。 「何も言ってない、って、え?ジュセルは好きだって伝えてきてくれたんだろ?それを‥無視した、ってことか?」 ケイレンは顔を強張らせたまま、ぎゅっとグラスを掴んだ。あの時「ごめん」と言って離れていったジュセルの姿が目に浮かぶ。 あんな顔を、させるつもりではなかったのに。 硬い表情のままうんともすんとも言わないケイレンを見て、ヤーレは横でため息をついた。‥ジュセルの暗殺依頼主がはっきりしてから、どうもケイレンは独りで考え込み過ぎているように思える。これまで、他人に対して愛情を感じたり示したりすることのなかったケイレンには手に余る状況なのだろう。初めての恋を、どう扱っていいかわからずただただ愛を伝えて嬉しそうにしていたケイレンの笑顔を思い出すと、ヤーレは胸が痛んだ。 「何で返事をしてやらなかったんだ?ジュセルはきっと傷ついてるぞ?お前からあれだけ愛情表現されてて、いざ伝えたらだんまりってのはいただけねえ」 「‥わかってる」 「じゃあなんで」 ケイレンは苛立たし気にダン!とカウンターを叩いた。近くにいた酔客たちがびくりとしてこちらを見ている。カウンターの上でぎりぎりと拳を握りしめながらケイレンはかすれた声を出した。 「ジュセルを‥こんな危険な目に遭わせておいて、抜け抜けとその気持ちを受け取るなんて‥できない。ジュセルだって‥命を狙われて怖いから‥自分の気持ちがわからなくなってるのかもしれない。そんなところにつけこみたくない」 頑なに態度を改めようともしないケイレンに、ヤーレは大きくまたため息をついた。 「考え過ぎだぜケイレン。そんなことより、お前に拒絶されたジュセルの気持ちを考えてみろよ。悲しそうにしてなかったのか?お前そんな態度取ってこれからジュセルにどう接していくつもりなんだ」 ごく当たり前のことをヤーレに言われたケイレンは、がくりと肩を落とした。 ジュセルを傷つけたのだろうということはわかっている。本当は、天にも昇るばかりに嬉しかった。 だが、この命を狙われる状況がいつまで経っても解消されなかったら。 そんな状況に、ジュセルが耐えられなくなったら。 その元凶となったケイレンを、憎いと思うようになったら。 一度、ジュセルからの愛という甘露を味わってしまってからジュセルに突き放されでもしたら、自分が正気を保てなくなるのではないか、とケイレンは考えていた。 「いいんだ‥とにかく今は、どんな手段を取ってでもジュセルの命を守ることが最優先事項だから‥」 ヤーレはこれ以上何を言っても、ケイレンの気持ちを変えることはできないと悟って肩をすくめた。そしてカウンターに代金を置き、席を立つ。 「‥お前、視野が狭くなってきてるぞ。喫緊の事項に対処するのは肝要ではあるが、そのせいで大事なものを手から零さないようにしろよ」 思いつめたケイレンの耳には、ヤーレの言葉は滑り落ちるばかりだった。 ヤーレが立ち去った後、もう店員はケイレンに酒を提供してくれなくなったので、別の店に河岸を変えようと立ち上がる。あれだけ飲んだのにもかかわらず、全く酔えていなかった。頭が回るほど酔っぱらいたかった。 店を出ようとしたケイレンのところに、ぱたぱたと軽い足音を立てて解析師のスルジャが赤い髪を振り乱しながら走り寄って来た。ケイレンの傍まで来てはあはあと荒い呼吸をしている。 「どうしたんだ、スルジャ」 「はぁ、よか、た、間に、合っ‥はぁ」 膝に手をつきながらしばらく肩を上下させていたスルジャは、なんとか息を整えてから一息に言った。 「ねえ、あのお茶の子、今度ここに連れてきてくれない?」 「は?ジュセルをか?‥何でだ?」 スルジャは手に持った紙をひらひらとさせながら言った。 「あのお茶さあ、確かに高能力者(コウリキシャ)ほど力素の回復が早くなったり体調が整ったりする効能があったんだけど、同じ材料で作ったお茶では効果が出なかったの!」 「‥‥どういう、ことだ?」 はーっと深く息を吐いてから、スルジャはまくし立てた。 「そんなことあたしが訊きたいよ!解析を長くやってるけど、こんなに訳のわからないの初めてなんだ!‥効果はしっかりあるのに、本人が作ったものじゃないとだめだなんて、高能力者(コウリキシャ)の調合ならともかく、一般人程度のちからではありえないんだから!」 スルジャの荒い語気に、ケイレンは思わず身体をのけ反らせてしまった。そのケイレンに迫るようにしてスルジャが畳みかける。 「ね!連れてきて!本人に色々聞くしかないって!それにかなりいいものだから、これを定期的に作成してくれるなら、請負人協会(カッスラーレ)の方でまとめて買い上げるってこともできると思うよ」 スルジャの申し出に、ケイレンは目を見開いた。 「それは、請負人協会(カッスラーレ)が専属契約して買い上げるってことか?」 「うん、まだ上層部にはあげてないけど、この効能が安定的にもたらされるものなら十分その可能性はあるよ」 スルジャの言葉を聞いてケイレンは考え込んだ。 ジュセルは自分に収入がないことを随分苦にしているようだった。いくら好きに使ってくれて構わないと言っても、ケイレンの金を使うことにいつも躊躇する。ジュセルが、普段の生活用品や食材なども無駄なものなど買わず、切り詰めていることをケイレンは知っていた。 お茶を作ることなら家でもできる。材料は‥依頼を出して集めてもらえばいい。それでジュセルの自信に繋がるのなら。 それに明日の夜までならジュセルの身の安全もある程度保証されている。 ケイレンはスルジャの顔を見た。スルジャは赤い瞳をきらきらさせて「肯定の返事しか聞かないぞ」という顔をしていた。 ケイレンは少し肩をすくめて言った。 「‥帰ってからジュセルに話す。‥本人が来たいと言ったら、明日連れてくる」 「よおおおっし!待ってるからね!いろいろ揃えておくから身一つで来てねって言っといて!」 鼻息荒く、スルジャはそう言い捨てると、また走って店から出て行った。 それを見送ってから、ケイレンははたと気がついた。 「‥‥そのこと、ジュセルに話さなくちゃならないのか‥」

ともだちにシェアしよう!