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第73話
珍しい人物が一階のカウンターに腰を据えていることで、部屋の中には言い知れぬ緊張感が漂っていた。
それをもたらしている当の本人は、そういった空気を気にすることなくグラスに入った蒸留酒を舐めている。いかついその身体は手にしたグラスや腰掛けている立派な椅子をひどく小さなものに見せる。
袖のない簡素な上衣から見える太い腕には無数の傷がみえ、それがこのシンリキシャがこれまでたどってきた人生を雄弁に物語っていた。
「ロザイ様、‥あの、もう炎酒が品切れになりますが‥」
恐る恐るそう言い出した店員を、ロザイは鋭い目でぎろっと睨んだ。店員は声もなく息を飲んだ。
ロザイはわずかに残っていた蒸留酒を一息に呷ると、がたっと椅子を蹴って立ち上がった。二十一カル(=約189㎝)を優に超えるその巨体は身幅もがっちりとしたもので、動けば随分威圧感を与えるものだ。
隠しから取り出した共銀貨をカウンターに放ると、ロザイは店内を見渡した。そこにいた者たちは一様に怯えた顔を見せたが、その顔触れはロザイがこの店に入ってきてからほとんど変わっていない。
「‥‥チッ」
ロザイは短い舌打ちをするとのっそりと階段に向かって歩き出した。ロザイの階段を登り切った足音が聞こえてきて、初めて一同は大きく息を吐いた。
「何で主頭があんなにカウンターで粘ってんだ‥?」
「誰か待ってたんじゃねえか?」
「ここはどっちかって言うと副頭の根城だよな‥?まあはっきり決まってるわけじゃねえけど」
ひそひそとした声が広がる中、ひときわ低い声が言った。
「それによ、主頭は副頭のこと面白くねえと思ってるらしいじゃねえか?またそのうち揉めるんじゃねえか?」
その声を受けて一人が苦い顔をした。
「それでなくてもグーラがいなくなって、やりづれえのにな」
年嵩のレイリキシャが深くため息をついた。
「‥‥余計な揉め事にならなきゃいいがな‥副頭のひとり子も死んじまったし」
一同はみな暗い顔のまま、それぞれの杯を干した。
ロザイは自分に割り当てられている小部屋にどっかりと座った。しばらくぶりに座った椅子は、座面がやや硬く感じられる。部屋の空気も淀んでいるような気がするが、この部屋には窓がない。ロザイは顔を顰めて舌打ちをした。
その時、扉を叩くでもなく一人のマリキシャが入ってきた。これはロザイの直属の部下である。その姿を目の端に見て、ロザイは苛々と問いかけた。
「ヨキナは?」
「まだ来てませんね。朝のうちには昼過ぎに戻るという連絡があったのですが」
「‥‥俺に合わす顔がねえんだろうよ、グーラを手放しちまったからな」
マリキシャは表情を変えずに頷いた。
「そうかもしれませんね。‥‥それから」
と言葉を継いで、隠しから一枚の紙を取り出した。ごく小さな紙だ。ロザイはちらっとそれに目を走らせた。
「何だ」
「請負人協会 の副会長ヤーレからの連絡です。ご覧になりますか?」
「寄こせ」
受け取った紙にさっと目を走らせると、すぐにロザイは立ち上がった。
「出かける。来ねえと思うがヨキナが来たら、約束を守らねえ副頭は要らねえと言っとけ」
「了解しました。どちらへ?」
そう尋ねてきたマリキシャに、ロザイは緩く微笑んだだけで応えることなく部屋から出て行ってしまった。
ヤーレが東奔西走してようやく見つけたアニスの代わりは、なんとナジェルという一級請負人 だった。連れてこられたナジェルを見て、一同は口をあんぐり開けた。
現在、イェライシェンの請負人協会 に所属している一級の請負人 は三人しかいない。
ナジェルはジュセルと同じキリキシャで、高能力者 だった。年はまだ三十八歳と若い。キリキシャとしての能力が高く、天候変動の能力に長けている。対人護衛の仕事などほとんどしたことはないらしいが、「ヤーレが死にそうな顔で機工端末叩きまくってたから」という理由で承諾してくれたらしい。
ただ、対人護衛としての能力も確かにあるようで、自分を中心とした二カート四方(18㎡)くらいであればかなり強い風や水を出せるらしい。つまり敵を吹き飛ばすことができる、ということらしかった。
顔つきは穏やかで体格もすらりとしており、ケイレンやヤーレのようなたくましさはなかったが、時折見える鋭い表情からその芯の強さがうかがえる。
ナジェルはジュセルが焼いたパウンドケーキをうまいうまいと平らげながら言った。
「とは言え、俺も前から決まっている依頼があるからここにいられるのは飛び飛びで‥‥そうだな、二か月くらいかな?もっと繰り上がるかもしれんが」
ヤーレはにこにこして今にも揉み手をしてきそうだ。
「いやいやいや、ナジェルが依頼の合間をここで過ごしてもらえるだけでもありがたい!とりあえずはアニスがいない時にいてくれればいいからさ」
ナジェルは口いっぱいにパウンドケーキを頬張りながら頷いた。むぐむぐごくんと呑み込んでから幸せそうに笑う。
「いや~こんなうまいもん食わしてくれるなら、依頼の合間はここでずっと暮らしてたいよ!無論、部屋代払うし!」
ケイレンはぶっすりとした顔をして低い声で言った。
「‥いえ、ジュセルを守ってくれるんだったら別に部屋代とかは要らないです」
ジュセル手作りのパウンドケーキを二台分も一息に平らげたこのキリキシャが、ケイレンはどうにも気に食わないらしい。ぶすくれているケイレンの横顔を見ながら、ジュセルは毎日パウンドケーキを焼いてやろう、とこっそり心に決めた。
その横ではスルジャがわくわくした様子を隠しもせずにじいっとナジェルを見つめている。
「あのよかったら、ここにいる間私の解析の手伝いをしてもらえませんか?基本的にはお茶を飲むだけの簡単な仕事です!」
珍しくスルジャが丁寧語を使い前のめりに話しているのを聞いて、ジュセルはこのキリキシャがやはりすごい人物なのだな、と再認識する。ナジェルは目の前のティーカップを持ち上げ、首をかしげた。
「お茶を飲む、だけ?」
「はい。あの、ジュセ‥あの、あるお茶に、力素回復の効能があるんじゃないかって今なってまして、その検証実験をここでやってるんです」
ナジェルは小さな目を目いっぱい見開いた。
「力素を回復?」
スルジャはヤーレを見てやべっという顔を一瞬してから、またにっこり微笑んだ。
「いえ、可能性がある、というだけなんです。まだ明確ではなくて」
「‥へえ、興味深いね。いいよ、協力する」
「ありがとうございます!」
スルジャは満面の笑みを浮かべた。アニスがそれを見ながら声をかけた。
「随分嬉しそうだな、スルジャ」
スルジャは目をきらきらさせたまま、興奮気味に答えた。
「そりゃあね!キリキシャの高能力者 はすごく少ないんだよ!今、請負人協会 にも、ナジェルさんとティルガさんくらいしかいないし」
その言葉を聞いて、自身もキリキシャであるジュセルは驚いた。
「え、そうなの?」
横からヤーレが口を挟んでくる。
「別にキリキシャの高能力者 が全体に少ねえってわけじゃねえよ。たまたま、今の時期は少ねえってだけだ」
「そうなんだ‥まあ俺もほとんどキリキないしな」
そう呟いたジュセルに、ナジェルが尋ねた。
「ジュセルは全く使えないのか?」
「あ、いやえっと‥洗った髪を乾かすくらい、しか使えないですね‥」
恥ずかしそうにそう言ったジュセルに対して、ナジェルは馬鹿にすることもなく柔らかく微笑んだ。
「少しでも使えるならいいことだ。毎回髪を乾かしておくといい。ちからは使わないと衰えてしまうことが多いからな」
ジュセルは目を丸くした。
「持って生まれたちからが増えることはないってのは知ってたけど、使わないと減ることはあるんですか?」
ナジェルは重々しく頷いた。
「そうなんだ。高能力者 はちからを使わないことがないし、少ないヒトは少しちからを使えても、って考えて使わないまま減っていることに気づかない場合が多くてね。あまり知られてないんだよ』
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