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第75話
少し前にアニスに同じようなことを訊かれたときも、どう答えようかと焦ったのだった。たまたまその時はケイレンがやってきて、何となく話が流れたのでほっとしたものだ。しかし、この先も日本での出来事や用語を一切口にしないという保証はない。何とかうまい言い訳を考えておかなければならない、と思っていたのだが、ヒトを納得させるだけの理由が思いつかなかった。
いっそのこと、本当のことを話して「そんなわけないだろう~!」と笑ってもらう方がいいか?とも思ったりした。しかし、結局知識があることの理由にはならない。ジュセルは何度も言い訳を考えてみたのだが、その間にも襲撃があったりして考えをまとめることができなかったのだ。
いかにも不思議そうにこちらを見つめながらも手元は休まずに動かしているケイレンを見て、ジュセルははあと軽く息を吐いた。‥何も思いつかない。
「‥‥勘?」
我ながら納得しかねる理由だな、と思いながらジュセルは答えた。ケイレンは首をかしげながら「勘‥?」と復唱している。ジュセルはそれを見て思わず笑ってしまった。
「ケイレン」
「ん?」
かしゃかしゃと泡立て器の音が厨房に響く。ケイレンはボウルを見たまま一心にかき混ぜている。
「‥‥俺が、何者でも‥好き、でいてくれる?」
かしゃ、と泡立て器の動きが止まった。ケイレンの目がまっすぐにジュセルの顔を射抜いてくる。
綺麗な顔だなあ、と改めてジュセルは思った。こんな綺麗で、実力もあって、金持ちで、‥そんなヒトが俺のことを好きだなんて、なんだかドッキリにでもかけられてるって言われた方が納得できる。
「ジュセル、このボウルちょっとここにおいても大丈夫か?」
「‥うん」
ジュセルの返事を確認したケイレンがボウルを作業台の上に置いた。立ち上がってジュセルの傍までやってくると、自分の腕の中に囲うようにして抱きしめた。
おそらく身長は10㎝ほども違う、そして身体の厚みは全然違うケイレンの腕の中に抱き込まれると、すっぽりと埋まってしまう形になった。
ジュセルはそっとその厚い身体に腕を回した。鍛え抜かれた身体は抱きしめているだけでも筋肉の隆起が感じられるし、体温も高く感じる。
「ジュセル」
ケイレンは耳元に口を持ってきて囁いた。少し低いケイレンの声は、ジュセルの腰を直撃するものだ。
「う、ん」
「俺が、ジュセルを、嫌うことなんて、絶対に、ない」
ケイレンは一言一言区切って、しっかり聞こえるように言ってくれた。そしてジュセルの髪にちゅっと口づけると、ジュセルの頭を掻き抱いて力を入れる。
少し苦しかったが、こうやって力強くケイレンに抱きしめられていると、何も不安など感じなくていいのだ、と思えた。
ジュセルも自分の顔をケイレンの厚い胸に擦りつけた。
「‥ありがと、ケイレン‥俺も‥‥ケイレンのこと、好きだから‥」
そのジュセルの言葉を聞いたケイレンが、ばっとジュセルを自分から引き剥がした。そしてジュセルの顔を両手で挟み、じっとその目を覗き込んでくる。
「ジュセル」
「え、はい」
今までにない、真剣なケイレンの様子に、ジュセルは思わずかしこまった返事をした。ケイレンはジュセルの顔を挟んでいる両手の力を抜かないまま、言葉を続けた。
「抱きたい」
「‥‥は?」
ジュセルはぱちぱちと瞬きをした。眼前のケイレンの顔はどう見ても真剣で、何と言って返せばいいかわからなくなる。
「抱きたい、ジュセル。俺は挿れたい方だけど、それでもいいか?」
「あ、うん、え?あの、まあそれは、いいんだけど、えっと」
しどろもどろに返事をするジュセルを、ケイレンはまたぎゅっと抱きしめた。
「今から、抱いてもいいか?」
「えっ!?」
ジュセルの頭は真っ白になった。
え、何で?急に、いや急でもないか、俺は多分ケイレンに我慢させちゃってるんだろうし、この世界 で気持ちが通じ合ってるのにまだ性交してないなんて、珍しい方だと思うし。
え、でも、まさかの今日?今から?
ジュセルは少し息苦しくなってケイレンの腕から顔を出してぷはっと息を吐いた。その視線の先に、さっきまでケイレンが泡立ててくれたクリームのボウルが見える。さっきまでだいぶん泡立っていたクリームが少しもったりしてきているようだった。
「あっ、ちょっとケイレンごめん、あの生クリームが」
「なまくりーむ?」
聞き慣れない言葉にケイレンが聞き返すと、ジュセルは焦ってケイレンの腕の中から抜け出し、クリームの入っているボウルを手に取った。
「クリームがだれちゃう!」
そう言って五分立てくらいになっていたクリームをシャカシャカ泡立て始めた。途中まで泡立てられていたクリームは、ジュセルの力でも少しずつふんわりしてくる。しかし、その手をケイレンが握って止めた。
「ジュセル、それは後でもいい。だめになったらまた俺が混ぜる。‥お前と肌を合わせたい。だめか?俺はまだ、ジュセルの信用を得られていないか?」
真剣なケイレンの口調に、ジュセルは泡立てていたボウルを泡立て器ごと作業台に戻した。
「‥ごめん。あの、信用してないとかじゃなくて」
「ジュセル」
今度はジュセルの言葉を遮り、両手をぎゅっと握って目を覗き込んでくる。黒輝石のような美しい目が、ジュセルの目の前できらきらしていた。
「‥‥俺が、辛いんだ。こんなにつらくなるとは思ってなかった‥‥ジュセルの周りに人が近づくたびに、俺は不安になる。ジュセルの気持ちがこのヒトに向くんじゃないか、俺を好きな気持ちは本当なんだろうか、冷めてしまうんじゃないだろうかって‥」
「‥‥ケイレン」
こんなに美しくて、強くて、誰もが認める実力者なのに、このヒトは俺の愛情があるかないかがそんなに不安なんだ。
ジュセルはケイレンの言葉を聞いて、胸が締めつけられるような感覚になった。自分なんかとは違うこの二級請負人 であり二位退異師でもあるケイレンが、不安で俺に縋ってくれている。
素直に自分の不安を打ち明けて、俺に抱きたいと告げてくれている。
ジュセルは、今まで自分が抱えていた様々な不安が融けていくのを感じた。俺は、愛されている。
ケイレンは、俺を抱かないと、不安なんだ。
「いいよ」
目を合わせて言うのは恥ずかしすぎて無理だった。少し俯いて目を合わせず、ケイレンの腕の中でもごもごとジュセルは言った。
「‥抱いて、いいよ。ケイレン。‥‥性交しよう」
ジュセルの言葉を聞いたケイレンはいきなりジュセルを横抱きに抱えあげると、ひとっ飛びに二階へ駆け上がり自分の寝室へ運んだ。そのまま寝台の上にジュセルを押し倒し、口づけてこようとするケイレンの顔を、ジュセルはがしりと両手で受け止めた。
「待って風呂入った後じゃないと無理!」
「‥ジュセルはいつもきれいだし、今日は外に出てないから大丈夫」
そう言いながら脱がそうとしてくるケイレンの手を、ジュセルはぴしりと叩いた。
「俺が無理なの!心理的に!‥ちょっと待っててくれたっていいだろ‥」
「‥‥だって俺けっこう待ってたのに‥」
ケイレンが珍しく唇を尖らせ拗ねたように呟いた。湯を浴びるわずかな時間も待てないほど、ケイレンを追い詰めていたのかもしれない、と思えばジュセルも言葉に詰まる。
「‥‥うん、ごめん。俺の気持ちを慮って待っててくれたんだよな‥‥でも!やっぱりそういうことする前には綺麗な自分でいたいの!だから‥できるだけ早く洗ってくるから待っててくれよ」
ケイレンの部屋もジュセルの部屋と同じく、湯を浴びることができるいわゆる「湯浴み 室」が備え付けられている。ケイレンの部屋のも確か使えるはずだ、とそこに向かおうとしたとき、後ろからくんっと腕を掴まれた。
「ケイレン、だから‥」
「一緒に入る」
ジュセルは再び目をぱちぱちと瞬かせた。
「‥は?」
「俺も一緒に入る」
「‥いやいやいや、風呂じゃねえんだから!湯浴み室なんだから狭いだろ!ちょっと待ってろよ」
「やだ、絶対一緒に入る。二人くらい入れる。ジュセルの部屋の湯浴み室より、少し広いんだぞ」
駄々っ子のように聞き分けのないケイレンのぶすくれた顔を見ながら、ジュセルは深いため息をついた。
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