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第102話

「そもそもの体力が、ないんだよな‥」 ジュセルはそう言って肩を落とした。 「ジュセルはそういったものに無縁の生活だったんだから、仕方ないよ」 アニスが慰めるように言葉をかけてくれる。 とはいえ、アニスは重い鉄の棒、ジュセルはごく軽い木の棒で、アニスの動きを、真似していただけなのに、息が弾んで収まらない。同じような動きを繰り返しているだけなのだが、どんどん息が上がってくるし足はふらふらしだすしで、全くいいところがなかった。 無論、アニスは相当に重たいであろう鉄の棒を軽々と振り回し、息も乱していない。 「すごいなアニス‥いつからそんなに鍛えてるの?」 アニスはジュセルが持ちあげることも難しい重い鉄の棒を、こともなげにぶんぶんと振り回しながら答えた。 「ん?ん~~、ティルガに鍛えてもらい出したのは‥十八になったくらいかな。ティルガは弟子なんて取ったことなかったから加減がわかってなくてさ。何回か死ぬかと思ったことあるよ。あははは」 鉄の棒を振りながら型を取っているアニスを見て、さして自分と変わらない年から、そんな厳しい鍛錬をしてきたのか、としみじみとする。 「あはは、じゃなくてさ‥死ななくてよかったよ‥」 「そうだね」 アニスは、知らないうちにジュセルに無理をさせてしまい、身体をがくがくにしてしまったことを覚えていて、ジュセルが辛そうにしているとすぐに適宜休憩を入れてくれる。気遣われているのもわかっていたので、ジュセルは申し訳ないなと思いつつも (高能力者(コウリキシャ)の体力えぐい‥) と身に沁みて実感していた。 まだ少し息を弾ませたままのジュセルを見て、アニスは手にしていた鉄の棒でトン、と地面をついた。 「うん、ジュセル、今日はここまでにしようか。疲れすぎてもよくないし。午後はスルジャと回復薬の調合をするんだろ?」 「いや‥うん‥」 まだやれる、と言いたかったが、アニスの言う通り午後には調合の仕事がある。これからのジュセルの生きていくためのたつきになるものでもあるし、そこを疎かにはしたくなかった。 自分の体力も考え、ジュセルは力なく頷いた。 「そう、だな‥もうやめとくよ。つきあってくれてありがと、アニス」 「うん、すぐには強くなれないんだから、焦らずにじっくりね」 「‥わかってる、ありがとう」 そう言って木の棒を庭の隅に置き小走りで屋敷の方に戻っていくジュセルを見送ったアニスは、鉄の棒を構え直すとグッと表情を引き締め、今までとは比べ物にならない速さで鉄の棒を振り回し始めた。 「殺したよ」 「‥え?」 何でもないことのようにそう言葉を放ってきたグーラに、ライジは鍋をかき回していた木匙を握ったまま、間の抜けた返事をした。 グーラはライジのそんな様子を気に留めることなく、また同じ言葉を繰り返す。 「殺した」 「あの‥ひょっとして、ヨキナ、を?」 ようやくグーラの言葉の意味をしっかりと呑み込んだライジは、震える手で木匙を鍋に置き、グーラの傍に近づいてきた。 グーラは粗末な長椅子にだらりと身体を横たえたまま、目を瞑っている。そうしていると幾分幼げな顔に見えた。 「あり‥ありがとう‥ございます‥!」 ライジはそういうと、胸に提げていた透明輝石をぐっと握りしめた。非業の死を遂げた伴侶、ベラの髪をはさみ込んだ首飾りだ。いつかベラの仇であるヨキナとラスを殺せたら、これを墓に戻すつもりで肌身離さず身につけていたものだった。 そしてそのまま首飾りから手を離し、奴隷の首輪をそっと擦った。自ら覚悟を決めて首輪を嵌めてはいるがまだシンリキ誓書に署名をしていない上、グーラは鍵すらも受け取ってくれていないので、それはまだ今はただの首輪でしかない。 ライジは自分の荷物が置いてあるところに行き、自分の署名済みのシンリキ誓書、奴隷の首輪の鍵を取り出すと筆記具を添えてグーラの傍に行き、そこで跪いた。 グーラは目を瞑り横たわったまま、一言も発しない。 そんなグーラに向けて、心をこめライジは言った。 「グーラ様、無理なお願いを聞き入れていただき、誠にありがとうございました。‥ベラが戻ってくるわけではありませんが、俺のような思いをするものが少しでも減るのではないかと思います。‥‥強制性交幻覚剤(パルーリア)はなかなか無くならないとは思いますが‥」 そこまで話して喉奥にぐっとこみ上がってくるものを感じたライジは、言葉を切った。ごくりと喉を鳴らし、洟をすすってからもう一度切り出す。 「‥‥つきましては、正当な報酬の支払いのために、こちらのシンリキ誓書に署名とちからの流入をお願いします。同様に鍵にもお願い致します。もし‥‥グーラ様が俺のような奴隷は要らないということであれば、署名の上売買市場に出していただいて構いません。それでも、おそらくは報酬に足らないかとは存じますが‥」 「うるさい」 ようやく出てきたグーラの言葉に、ライジは目を丸くした。グーラは長椅子の背もたれの方に寝返りを打ってこちらに顔を見せない姿勢になった。 「あの、グーラ様‥?」 「うるさいっつってんだろ、それ以上喋るんじゃないよ」 何がグーラの機嫌を損ねてしまったのか、さっぱり見当もつかないままライジは面食らった。言葉遣い、でも悪かっただろうか‥?だが今までグーラがそのようなことで怒ったことはない。 思い返してみればグーラに叱咤されたときは、何かグーラの気に入らないことをしたというよりは、ライジが寝ていない、とか食事をとっていない、とか、奴隷の首輪を嵌めた、とかそういった時だけだった。気に入らない時のグーラは黙っている。嫌いな食べ物が出たら黙って食わないだけだし、眠い時に掃除の音を立ててしまった時には黙って場所を変えて寝ていたように思う。 では、今のこのグーラの態度は何から来るものなのだろうか。そう考えて、またライジは首輪をさすった。硬質で武骨な首輪を嵌めて幾日も過ぎている。最近、ようやくその存在に慣れてきたところだった。 しかし、この首輪を贖って帰宅してきたとき、グーラは一番怒っていた、ような気がする。裏請負(ダスル)の暗殺者、という、裏社会のど真ん中を歩いているようなグーラであるのに、ライジがこの短い期間に見たその姿は、決してそのような後ろ暗さを感じさせるものではなかった。 すっかり長椅子の背もたれの方に顔を向け、その上腕で顔を覆ってしまっているグーラに、どう声をかければいいのか、ライジはしばらく逡巡して黙ったまま、跪いていた。 するとその沈黙を、なんと受け取ったのか、グーラがぱっと身を起こして座り直しライジの方に向き直った。 「ライジ」 「は、はい」 真っ直ぐにグーラに見つめられて、ライジはへどもどしながら返事をした。こんなに正面から、グーラの顔をまじまじと見ることなどなかった。なんとなく気まずい感じがして、視線を下に向けた。 グーラはそれに構うことなく、言葉を続けた。 「ヨキナを殺したのは、お前の依頼とは全く関係ないことだ。‥‥事情があって、私が気に入らないから殺した。それだけのことだ」 「で、ですがグーラ様」 「うるさいね、私の勝手でしたことだと言っているだろう」 グーラは煩わしそうに右手をひらひらと振った。そしてすっくと立ち上がった。 「それでも、裏請負会(ダスーロ)の副頭を勝手に殺ったんだ、おそらく何らかの処罰なり処遇が私には科されると思う。だがあんなやつのために、そんなものを受けるのも考えてみれば癪に障る。だから、もともと予定していた通り、私はこの国を出ることにするよ」 一気にそう言うと、グーラは跪いたままのライジを見下ろした。 「‥‥あんたは、堅気の仕事ができる職人なんだから、もとの生活(くらし)に戻りな」 そう言い捨てるとグーラは普段寝室にしている部屋の方に踵を返した。 茫然としたままグーラの説明を俯いて聞いていたライジは、自分から遠ざかっていくグーラの足音を聞いてハッと顔を上げた。 その時はもうグーラは自分の寝室に向かった後だった。 ライジは慌てて立ち上がり、グーラの後を追った。 グーラの寝室の入り口までくれば、既に用意を終えたようなグーラの姿があった。ごく小さな背に負う鞄、薄地だが身体全体をすっぽりと覆う灰鼠色の外套、がっしりとした靴底の厚い長靴。武器らしいものは外からわからないが、きっといくつもの暗器を隠しに持っているのだろう。 こんな短い間に旅支度ができるものなのだ、と変なことに感心して、ライジはグーラを見つめた。グーラは最後に黒く長い髪を少し調えると、何か小さなものをライジに放ってきた。反射的に受け取ってみれば、それはこの家の鍵だった。 「まあ当分この国には帰ってこないつもりだから、この家はあんたにやるよ。住むなり売るなり好きにすればいいさ。処分も面倒だから、あんたに任せる」 グーラはそう言うとすたすたと玄関に向かって歩き出した。鍵を見つめたまま、じっとしていたライジは、玄関扉がガチャリと開いた音で我に返り、慌ててグーラの後を追った。

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