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第103話
「グーラ様待ってください!」
半ば悲鳴のようなライジの声を聞いて、グーラは玄関扉の握りに手をかけたまま振り返った。ライジは、やや息を弾ませながら停まってくれたグーラの外套に取りすがった。
「そんな、そんなことは納得できません!俺が、俺がグーラ様の生活を乱していたのはわかってます!それをグーラ様が、黙認して、受け入れてくださったことも」
グーラは何も言わず、扉の握りから手を離した。自分の外套の裾に取りすがって膝をついているレイリキシャのつむじをじっと見つめる。
確かに、こいつを受け入れなくてはならない義理など何もなかった。しかし、‥自分が歩いてこれなかった光の中で、幸せに暮らしていただろうこの男の慟哭に心を動かされたことは確かだ。
これまで、どんなヒトの命乞いでさえ薄ら笑いで無視して殺ってきた自分であったのに。
グーラは、ライジのためにヨキナを殺した、とは微塵も思っていなかった。ヴィルルの話を聞いて頭にきた。詳しい報告を聞いてむかむかした。ヨキナが気に入らなかった。いずれは自分に牙をむくこともわかっていた。
だから殺しただけ。
グーラは真実、心からそう思っていた。
ライジが掴んでいる外套をぐっと引っ張ってその手からはがす。ハッとしてライジは膝をついたまま、グーラを見上げた。
グーラは何か言おうとして口を噤んだ。今、自分がこのレイリキシャにかけられる言葉はない、と気づいたからだ。
そのまま黙って踵を返し、また出て行こうとする。それにライジは必死になって今度はグーラの足に抱きつくようにしてしがみついた。
「グーラ様お願いです!私に、俺に生きる意味をください!グーラ様の隣でなら‥息ができます。何かしようと思えます。グーラ様のためになら身体は動くんです。お願いです、グーラ様、どこへでもついて行きます!俺を‥俺も一緒に行かせて‥」
ずるずるとライジの身体が滑り落ちて地面にうずくまる形になった。背中がわずかに震えている。泣いて、いるのだろうか‥それでも、グーラのくるぶしあたりをがっしりと掴んだまま離してはいない。
グーラは何も言わず、うずくまったライジを見下ろした。そして、はああと深いため息をつき、天を仰いだ。そしてまた下に視線をやる。少し足に力を入れて引こうとすると、ライジが渾身の力でぐっと掴みしめてくる。
グーラはもう一度、ため息をついた。
「‥私が、欲しくてもどうしても手に入らないものを、お前は持っているんだよ?堅気の、光の当たる真っ当な道を生きられるたつきを持っているくせに、なんで私のような日陰者についてきたいんだ。お前だっていつとばっちりで殺されるかわかったもんじゃないんだよ。私はお前を守ったりしないからね」
「俺の命なんてどうでもいいんです。グーラ様の隣でないと、どうせ俺は、息ができない。飯も喉を通らない。グーラ様のためにしか、おれの身体はもう動かないんだ‥そうでなかったら‥‥もう、ベラのところに行くしか、ない」
ふっとライジの力が緩み、グーラの足に自由が戻った。ライジはうずくまり視線を落としたまま、茫洋としている。
グーラは舌打ちをした。
「‥‥おのれの命を盾にこのグーラを脅そうとはいい度胸だね‥」
ライジはそれには何も答えず、黙り込んだままだ。
グーラは少しだけ足を上げ、ライジの肩辺りをドンと蹴りつけた。だがグーラの持つ力からすればごくごく弱いものである。その証拠に、ライジはよろりと後ろに身体を傾けただけだった。自然と視線が上がり、グーラと目が合う。
「私はお前の都合なんか考えない。お前のためになんか何もしない。自分の好き勝手にこれからだって生きていくんだよ」
「わかって、ます」
ライジは、それでもグーラの顔から視線を外さなかった。強くもなく弱くもなく、ただ静かな目でグーラを見つめているだけだ。
グーラは胸の奥底がぞわぞわと波打つのを感じた。
‥‥何だこれは。気色悪い。
あああああ、面倒くさい!
「面倒なのは嫌いだ」
「知ってます。だから、生活のお世話は全部俺がやります」
「莫迦ったれ、お前なんかいなくたってこのグーラは今までちゃんと生き抜いてきてる」
「わかってます、それでも」
「あーーーーもう勝手にしな!」
その言葉を聞いたライジは、よろよろと立ち上がった。その瞳には涙の膜が張っているように見える。だが、ライジの口角はわずかに上がっていた。
「ありがとう、ございます!どこまでもお供します」
「お前の足に合わせては動かないからね。勝手にしな」
グーラはそう言うと家の中に立ち戻り、粗末な長椅子にどっかりと腰をおろすと背もたれにもたれかかって目を瞑った。
ライジが旅の仕度をするのを待ってくれるつもりなのだ、と悟って、またライジの口角は上がる。グーラは、優しいヒトだ。自分では気づいておらずとも。
ライジは透明輝石の首飾りをぐっと握りしめ、仕度のために立ち上がった。
今度はヤーレの方が先に「アルバの夜明け」に着いた。約定の時間になってもロザイは姿を現さない、それだけ裏請負会 の方でもてんやわんやの状態なのかもしれないな、とヤーレは思った。
ロザイとアニスは一晩を共に過ごしたようだ、ということは薄々わかっていた。アニスは受け取りだけをヤーレに渡し、詳しい話は一切してくれなかった。だが、アニスの顔に苦渋や煩悶の跡は見えなかったので、ヤーレは深く追求しなかった。
(数十年ものあの二人の因縁に、俺がどうこう言えるもんでもねえしな)
そしてふっと昼間に会ったザイダの顔を思い出す。まさかにザイダがアニスに好意を持っているとは思わなかった。自分の目も曇ったものだ、とヤーレは自嘲する。
それもこれも、自分のザイダへの好意から来ているのかもしれない。これまで、身体の快楽だけを追う体友 (=セフレ)としか関係を持とうとしなかった自分だ。まるで成人したくらいの若者 のように、一人のヒトを想う自分なんて想像もできなかったのに。
(‥‥いや、まだ傷は浅い)
少し、いいな、と思っただけだ。気が合うし、話をしていても楽だし、身体つきもがっしりしていて好みだっただけ。
ヤーレはこれまで抱く方しかしたことがない。しかし、抱く相手にもがっしりした身体つきのものを好んでいたので、ザイダは好みにぴったりだったのだ。
加えて、あの人柄。清廉に見えて、必要とあらば自分を泥に塗れさせることも厭わない果断さ。快活な笑い方。
「やめやめ」
ヤーレはぶるっと頭を振って酒の杯を空けた。こん、とグラスを卓に置いたのと小部屋の扉が開いたのはほぼ同じだった。
「遅くなってすまん」
やや憔悴しているように見えるロザイが、そう言いながらヤーレの向かいにどっかりと座った。
「疲れてんな」
「‥理由はわかるだろ。とにかく驚いた‥」
「だろうな、こっちもそれは同じだ」
ロザイは黙って持ってきた荷物を机の上に置いた。なかなかの嵩である。
「ヨキナの事務所から、これまでの仕事に関わっていそうな書類を片っ端から突っ込んできた、記憶機工もいくつか混じってる。‥これで、約束は果たしたことにしてもらおうか」
机の上に置かれた大きな荷物を自分の方にひいて、ざっとその中身を探る。ハリスとやり取りしたものだけが必要なのだが、今すぐには判別できない。しかし、記憶機工があるというのは予想外だった。
「今、この記憶機工だけ幾つか再生してみていいか?」
「構わん、俺は少し飲んでる」
すぐに盆を持ってやってきた給仕から酒を受け取ると、ロザイはまるで水でも飲んでいるかのように飲み干してしまった。すぐに給仕が次の酒を持ってくる。
その間に、記憶機工だけを選り出したヤーレは、片っ端から耳に当てて再生した。
記憶機工は、音声や映像を記憶して留めておく機工躯体だ。あまり必要とされるものでもないし、躯体自体が高いので一般にはあまり流通していない。機工躯体自体はどれも小さなもので、音声であれば耳に当てる、映像であれは目の前に当てるなどしないとその情報は得られないという仕組みのものである。
いくつか再生していくうちに、隠し撮りと思われるハリスとの会話が記憶されているものにぶち当たった。当たりだ。
「‥これ一つでも十分だ。約束は完了で構わない」
「じゃあ次はあの薬の入手可能個数だ。必ず融通してもらえるんだろうな」
「まだ詳細は詰められていないが、月に三、四回、個数限定の上購入制限もつけて販売する予定だ。日程など詳しいことが決まり次第、また速信鳥紙を飛ばすよ」
「これを反故にするなら俺の方にも考えがあるからな」
ロザイはそう言って金色の瞳を鋭く閃かせた。ヤーレは苦笑した。
「信用ねえなあ‥仮にも俺は請負人協会 副会長だぜ?」
「そんなこたあどうでもいい。約束さえ守ってくれたらな」
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