108 / 114

第106話

「増産はひないんだほね?」 口いっぱいにケーキを詰め込んだスルジャが、もぐもぐと咀嚼しながら間の抜けた声をヤーレに向けた。ヤーレも自分の皿に盛られたケーキの大きな切れ端を丸ごと口に放り込んでもごもごと食べるのに忙しい。それをのみ込みお茶を啜ってから返事をした。 「そうだな、市場の様子も見たいし‥まあ、少なくともひと月は増産はしない。どっちにしろ、そうそう増産できるものでもないだろ?お前とジュセルしかいないんだから」 言われたスルジャもお茶をごくりと飲み込んで頷いた。 「そうだね、結構な割合でジュセルにやってもらわなくちゃならない手順があるから‥ヒトを増やしてもあまり変わらないと思うな。あたしの計算では、目いっぱい頑張っても、十日で作れるのは百個が限度だと思う」 ケーキを口に運ぼうとしていたアニスが顔を上げた。 「つまり、それ以上は数は作れないってことか?」 「そうだね、‥まあ、そのうちやり方とかまた新しく考えられるかもしれないけど、‥あんまり数が普及するのもよくない気もするし‥」 ヤーレの茶器にお茶を注いでいたジュセルが、きょとんとした顔をしてスルジャを見た。 「え?なんで普及したらまずいの?便利になるんでしょ?」 ヤーレは茶器を手に取って一口すすると、ジュセルの顔を見た。 「ジュセル、万能薬は滅多に手に入らないよな。その理由を知っているか?」 ジュセルは、少し戸惑って口ごもった。‥何か自分の知らない理由でもあるのだろうか。 「え、あの‥材料が希少で高価だからじゃねえの‥?」 ヤーレはふっと薄く笑った。 「ジュセルみてえに察しのいいやつにそう思わせてるなら成功してるな。‥確かに材料は希少だ。だが、俺ら請負人(カッスル)が何のためにいると思ってる?希少なものでもうまく見つけられるやつはいるんだぜ」 「じゃあ‥何で‥?」 首をかしげているジュセルに、アニスが言う。 「万能薬は、怪我以外の内傷や病気をほとんどすべて完治させる。そんなものが身近に、手に入りやすい価格で売っていたらどうなる?」 そこまで言われて、ジュセルはあっと声を上げた。 「薬剤なんか売れなくなる‥」 「それもそうだけどそれだけじゃないよ」 ケーキを全て胃に収めてしまったスルジャが茶器を手に取りながら付け加えた。 「みんな、命や身体を粗末にし始める。何かあっても万能薬があるからいっか、ってね。お互いを思いやれなくなるし、ヒトの身体を大事にしなくなる。そうすると、社会はささくれ立って暮らしにくくなっていく」 万能薬は、外傷や力素欠乏症には効かない。しかし、あまりに高価なため、その詳しい効能を知っているものさえ少ない。 万能薬が簡単に手に入りその力を過信するものたちであふれるようになったら、と考えてジュセルはぞっとした。この世界(トワ)の教養水準は決して全体的に高いとは言えない。浅い考えで濫用に及ぶものが出ることは容易に想像できる。 「なるほど‥」 力素回復薬を広く普及させたくないその意図を汲み取れれば、思わず声が洩れた。「特別」である必要があるのだ。何でも都合よく回復する、などと多くのヒトに思わせてはならないのだ。 どんなに素晴らしい薬剤でも、どこかに瑕疵があるかもしれないし使い続けていけば思わぬ事態だって怒りうるかもしれない。しかし、思考を多層的に組み上げられない一般庶民の中には、そういった事情を汲み取れない者もいる。 大きな問題を起こさないためにも、『希少で高価である』ことには意味があるのだ、と初めてジュセルは納得がいった。 「共金貨一枚って聞いた時には驚いたし、高すぎると思ってたけど‥やっぱり理由があったんだな」 スルジャは行儀悪く、茶器を逆さにして滴り落ちる滴を大きく開けた口で受け止めている。アニスはそんなスルジャを苦笑しながら肘でつつき、ヤーレをちらりと見た。ヤーレはジュセルの持っていた急須を取って、自分の茶器にまた注いだ。 「物事にはな、様々な側面がある。一つのことを一つの価値観だけで見て考えていたらわからないこともたくさんあるんだ。例えば」 そこまで言ってヤーレはぐいっと茶器を呷り、アニスの方を見た。 「ジュセルは多分、裏請負会(ダスーロ)なんてろくでもないやつの集まりだと思ってるだろうけど、まあ、そこにもいろいろ理由はある」 ヤーレの言葉と視線を受けて、アニスはふいと横を向いた。どうにもここ最近のヤーレの視線や表情がうるさいと感じていた。 ジュセルは言われたことを頭の中で咀嚼するのに精いっぱいで、そんな二人の様子は目に入っていなかった。 「そう、なのか‥。確かに、ちょっとならず者の集まりだと思ってたかな‥」 茶器を手に持ってぶんぶん振りながらお替わりを催促しているスルジャが言葉を重ねた。 「間違いじゃないよ。ヨキナみたいなやつだって少なからずいるしね」 ヤーレがそれを受けて話を続ける。 「それでも、住民登録がないものや、他国から逃げてきたものなど、証明書がいるところでは働けない者もいる。そういうやつらの受け皿になっているのは間違いないんだ」 「‥‥ロザイのようなやつが主頭なら、そこまで下っ端に無茶なことはさせないだろうしね。今回はヨキナが暴走した結果だろうけど‥」 アニスが俯きながら、珍しくぼそぼそとした声でそう言った。 そんなアニスを、スルジャとヤーレがにやにやしながら見つめているので、ジュセルは不審に思った。しかし、アニスが何とも言えない顔をしたまま、スルジャともヤーレとも目を合わさないようにしているのを見て、 (‥‥これは、触れない方がいいやつだな多分‥) と考え、何か尋ねるのをやめた。 その代わり、ずっと気になっていたことを聞くことにした。 「ヤーレさん、あの‥タラッカンでの異生物討伐がどうなってるか、って、わかりますか‥?」 それまでにやにやと緩んでいたヤーレの顔が、その言葉を聞いてにわかに引き締まった。にゅっと結ばれた口元を見て、ジュセルは嫌な予感に襲われる。 ヤーレは、一つ大きな息を吐いてからゆっくりと話し出した。 「多分、手紙の返事とか来てないんだろ?あいつジュセルになら毎日でも手紙送ってきそうだからな‥まあ、実はちょっとまずいことになってる。退異師の方に死者が出た。けが人は数えきれないくらいに出ているそうだ。だが、大元の異生物を討伐するには至っていないらしい」 ヤーレの言葉を聞いたジュセルは盆を握りしめ、その場に立ちすくみ言葉も出なかった。それを見たアニスが補足するように言葉を継いだ。 「ケイレンはおそらく大丈夫だよ。‥死んだのは四位退異師だと聞いてるし、一位退異師も現場にはいるんだ」 「‥‥‥でも、まだ、討伐、できてないんだよな‥」 スルジャがするりと椅子から降りて立ちすくんだままのジュセルの肩を抱き、優しく頭を撫でた。 「異生物討伐は、小型のものであってもなかなか一筋縄ではいかない。ジュセルもそれは知ってるよね?」 「‥うん」 「どんな腕自慢でも怪力でも、異生物用の武器回路に力素を巡らせられるヒトじゃなきゃ討伐はできない、これも知ってるよね?」 「うん」 スルジャは抱えていた方に両手を回し、ジュセルをぎゅっと抱きしめた。 「そんな、凄い討伐ができるのが退異師で、ケイレンは『黒剣』っていう二つ名さえ持っている二位退異師だよ?‥大丈夫に決まってるよ」 「‥‥うん‥」 スルジャが肩と頭に腕を回し、ジュセルの頭を抱えるようにしてくれていることをよいことに、ジュセルはほろほろと涙を零した。しばらくの間、団欒室を静寂が包む。 洟をすすってぐいと涙をぬぐい、ジュセルは顔を上げた。 「‥俺、回復薬頑張ってたくさん作る。そんで、いっぱいタラッカンに届ける!」 「ジュセル、」 「それは認められねえな」 勢い込んでそう言ったジュセルに、止めようとしたスルジャの声を遮って鋭いヤーレの声が飛んだ。思いがけないその内容に、ジュセルは何を言われたのか理解ができずゆっくりとヤーレの顔を見た。

ともだちにシェアしよう!