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第107話

「な、んで、ですか‥?」 喉からようやくそれだけを絞り出したジュセルを、変わらず厳しい目で射すくめながらヤーレはぴしりと言った。 「さっきも言っただろう。これは万能薬に匹敵する特別な薬剤だ。それを、製作者の知り合い、恋人だからだといってほいほいと数を渡すことなんかさせられねえ。今回でさえ、手に入れたくてもできなかったやつらもいるんだぜ」 息を引いたまま、何も言えず身体を震わせているジュセルに、ヤーレは見たこともないほどの恐ろしい表情で言葉を続けた。 「ジュセル、今やお前は『力素回復薬の製造者』という権力者になったんだ。あの薬をどうにかできるということは間違いなく権力だ。権力者がその権力を、我が身の都合だけで使えば世の中の仕組みは崩壊する。わかるか?」 低く強い言葉でそう言われ、ジュセルは震えながら必死に言われたことを頭の中で噛み砕こうとする。 なおもヤーレは続けた。 「お前の安全のために数量も限定で数を抑えて売っているものを、お前の都合で勝手に作ってケイレンに送り付けるのか?ケイレンが傷ついた仲間を差し置いて自分だけにそれを使うと思うか?」 「思わない‥」 「そうだ、あいつは莫迦だし無愛想だし人づきあいが壊滅的に下手くそだが、目の前で困っているやつは絶対に放っておけないやつなんだ。‥ジュセル、お前が回復薬を送りつければ、ケイレンはそういった葛藤を抱え込むことになる。回復薬を誰に使うべきか、ってな」 高能力者(コウリキシャ)の中にも位階のようなものはあり、力素の減り方が急なものもいれば全体の力素含有量が他人より少ないものもいる。もし、ジュセルが力素回復薬を渡せば、ケイレンはきっとそういった人々に薬を渡すだろう。 たとえ自分が困窮したとしても。 そんなケイレンだからこそ、ジュセルは好きだと思ったのだ。 ひくつく喉ときゅうっと痛む鼻の奥の痛みを、ぐぐっと拳を握りしめることで堪える。うぐっと喉奥にひっ絡んだものを涙と共に飲み下して、何とか言葉をひねり出した。 「ヤーレさん、わかった、ありがとう。もう、言わない」 顔をあげてそう言ったジュセルの頭を、いつの間にか傍に来ていたアニスが優しく撫でてくれた。 絶対に泣くもんか。そう思って、ジュセルはぎりぎりと唇を噛みしめた。 ヤーレはいまだ厳しい表情を崩さぬままであったが、その瞳の奥には優しげな光があった。 とうとう、部族会議の日になった。暦を見て、ザイダはふうと息をつく。 ここに至るまで、短いようで長い日々だった気がする。 あの日、ヤーレがザイダのところにやってきてから、ザイダの人生はまた大きく舵を切った。もう、政治の世界に関わることはないと思っていたのに、我からその中枢に切り込んでいく羽目になった。 とはいえ、後悔はない。 元婚約者の無念は察して余りあるものであったし、他の人々から聞いたハリスの非道な振る舞いは、ヒトとして決して許せる類のものではなかったからだ。 この先、子どもたちが笑顔でこの国で暮らすためには、ハリスという人物は毒にしかならない。 色々なヒトに触れ、様々な情報を掴んでいくうちに、その考えはゆるぎなく強固なものになっていた。 正礼装に衣服を改め、飾緒(しょくちょ)を着ける。少し長めの癖っ毛を結い上げるために撫でつけようと鏡を見たとき、ふとヤーレのことを思い出した。いつもきっちりと編み込まれていた豊かな白髪。そして‥あの言葉。 『‥何だよ、アニスみたいなのがいいのか‥俺もお前のこと、結構いいなと思ってたのになあ』 初めて会った時には、何とも胡散臭いレイリキシャだと思った。図々しくないぎりぎりの線でこちらの懐にするりと入り込む、その人柄に感心したり呆れたりしたものだ。 だが、二人で様々な事象に対する対処をしたり策を練ったりしていくうちに、これほど安心して後ろを任せられるものはいない、とザイダが思う程、ヤーレへの信頼は高くなっていた。 きっと、何とか次代の族長候補になれたとしても、色々な問題がザイダの前に立ちはだかるだろう。おそらくそんなときも、この友は自分の近くで手助けしてくれるものとばかり思いこんでいた。それは、おそらくヤーレにとっても利益のあることだろうからと。 だがその利益は、組織として国を憂えている請負人協会(カッスラーレ)という団体のもので、決してヤーレ個人のものではないのだ、ということに、ザイダは今さらながらに気がついた。 ザイダの傍にヤーレがいつまでもいなければならない理由などないのだ。 ヤーレと並んで立っていたアニス。 細身の身体つきながらしっかりとしていて、これまで幾戦もの修羅場をくぐり抜けてきたのだろうということがわかった。そして、その深紅色の瞳の奥に(こご)る昏さも見えた。 自分と同じような、昏いものを抱えて生きているのだろうと思った。 だから、自分がアニスを笑顔にしてやれればとうっすら考えていた。何より、少ししっかりしたあの身体つきと引き締まった顔立ちは、かなりザイダの好みだった。 ザイダは、これまで抱く方しかしたことがない。アニスに対しても、そういう気持ちだったが、どうしてもアニスが抱きたい方なら‥とぼんやり考えてみて赤面したこともある。 ヤーレはと言えば、ややがっしりしているザイダをしのぐほどの大柄な体格だ。背丈は半カル(灼4~5㎝)ほどしか違わないと思うが、身体の厚みが違う。人の好みはそれぞれだから一概には言えないが、おそらくヤーレも抱きたい方だろう。 万が一‥‥万が一、自分とヤーレが恋人関係になったとしたら、自分は抱かれることができるのだろうか?ザイダの(ホト)孔は無論初物(=処女)だ。そこにヤーレの猛ったものを受け入れる、と考えただけで、ザイダは身体中に変な汗が滲んでくるのを感じた。 ぶんぶんと頭を振って、その考えを頭の中から追い出そうとする。しかし、あの日の少し寂しそうなヤーレの声といつもと変わらず自分に笑いかけてくれた顔とが、頭の隅っこにこびりついて離れない。 「‥別に、あいつにそういう感情なんて持ってない」 自分一人しかいない仕度部屋で、鏡の中の自分に向かい言い聞かせるように独り言つ。鏡に映る自分の顔は、何とも情けない表情を浮かべていた。 これから、まずはカラッセ族の部族長会議に出てハリスを糾弾しなければならないのに、こんな弱気な顔をしていてどうする。 ザイダはバチン!と音がするほど自分の両頬を叩き、長い癖っ毛をまとめて編み始めた。正装ならば、髪は結い上げていかねばならないからだ。 うねる癖っ毛と格闘しつつ、なんとか無難な形に結うことができてほっとする。 最後に指輪と頭の結ったところにつける頭環をつけて完成だ。正装は衣類も装飾品も色々面倒なので滅多にする機会はない。しかし、次代族長となれば、これが当たり前になっていくのだろう。 鏡を見つめながらぼうっとしていると、部屋の外から控えめに扉を叩く音がした。そろそろ移動のための迎えが来たのか、と思い、手荷物をまとめてから扉を開けた。 「よう。‥正装、似合ってるな。惚れ直しそうだ」 「‥ヤーレ」 そこに立っていたのは、準礼装に身を固めたヤーレの姿だった 正装と違って準礼装は、上衣の丈が短くてよく、飾緒(しょくちょ)も簡易的なもので構わない。下衣も上質な素材のものであれば正装のように布地がたっぷりでなくても構わないので、ヤーレの姿は大柄な割にすらっとして見えた。 「な、なんで、お前、忙しいんじゃ」 「忙しいたってお前ほどに忙しいわけじゃねえよ。‥これから、お前はあのハリスに喧嘩を売りに行くんだしな」 ヤーレはいつもの人を食ったような笑みを浮かべ、クックッと喉を鳴らした。 「どうせお前さんのことだから、俺が言った余計な一言に気を揉んでんじゃなかろうかと思ってな。‥‥図星だろ?」 ぐい、と目の前に突き出されたヤーレの指先に、思わず身体が固まる。そのザイダの顔を見て、またヤーレはくくっと笑った。 「まああれだ、ポロッと言ってしまって悪かった!俺がお前のことを好ましいと思ってるのは事実だが‥お前の重荷や負担になりたいわけじゃねえんだ。とりあえず俺の気持ちのことはきれいさっぱり忘れて、あいつを叩きのめしてやってくれ」 すっと真顔になってザイダを見つめ、そう語ったヤーレの声には、普段にはない真剣みと気迫が乗っていた。それを聞いたザイダも、思わず身が引き締まった。 「‥わかった」 「ん、頼んだぜ。‥会議が終わったらまたお前に相談もあるからな。明日、都合のいい時間がわかり次第、請負人協会(カッスラーレ)本部の方に機工通信をくれ」 「わかった。‥いい報告ができるよう、頑張るつもりだ」 そういったザイダの肩を、ヤーレは優しく叩いた。 「お前ならできる。俺は、心配はしてねえよ」

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