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第109話

「ジュセル、マジで本当にやばい状況かもしれない」 スルジャがフォークを握りしめたまま、真剣な声でそう言った。左手にはジュセルの焼き菓子がのった皿をしっかりと抱えている。急にそんなことを言い出したスルジャに、ジュセルは目を丸くした。 「何が?‥アニスは護衛任務に行っちゃったけど、代わりに今日はヤーレさんが来てくれるって言ってたよね?夕方にはナジェルさんが恋人のサイリさんと一緒に来るとも言ってたし‥そんなに心配?」 ジュセルは、今二人しかいない屋敷の状態をスルジャが心配しているのかと思ってそう答えた。そうはいっても外には請負人協会(カッスラーレ)が手配してくれている護衛が三人、警戒に当たってくれている。気づまりだろうから、という理由で警護の者たちは屋敷内には入ってきていない状態なのだが、スルジャは鮮やかな赤い髪を振り乱しながら頭を横に振った。 「違うよ。これ見て」 スルジャがパウンドケーキの塊を口の中に突っ込みつつ、隠しから引っ張り出した紙をジュセルに差し出した。くしゃくしゃになってしまっているが、速信鳥紙のように見えた。丁寧に皺を伸ばして中に残された文字を拾っていく。 見る見るうちにジュセルの顔色が悪くなった。 「ス、スルジャ‥これ‥」 ごくり、と大きな切れ端を飲み込んだスルジャが頷きながら答える。 「タラッカン、随分ひどいことになっているみたいだね。これまでに退異師二人、支援のものが三人、命を取られている。一位退異師のウゼルの怪我もまだ完治できてないみたいだし‥ティルガとナジェルにも召喚命令が出たみたい」 ジュセルは震える手で速信鳥紙を折りたたみながらスルジャに尋ねた。冷静になろうとしているのに、どうしても声も震えてしまう。 「なんで‥ティルガさんやナジェルが呼ばれるの‥?退異師じゃない、のに‥」 スルジャは少し冷えてしまったお茶を一口のむと茶器を静かに机に置いた。そしてじっとジュセルの目を見つめる。 「あたしが知っている限りのことは教えるからジュセル、落ち着いてね。‥ジュセルは異生物に遭遇したことある?」 「ない‥」 「そっか、そうだよね。イェライシェンで暮らしていたら滅多に遭うものじゃないと思うよ。‥異生物の発生は突然で場所を選ばないとされているけれど、多少の傾向はあるんだ」 「傾向‥?」 胡乱げな顔をしているジュセルに、スルジャはまた頷いてみせた。 「うん。まず、自然の多いところや野獣や動物の多いところに出やすい。だから市街地に発生することはそんなに多くない」 「そう、なんだ‥」 「うん。それから、天候が悪い時に出やすい。曇りだったり雨だったり、雪や霰が降っていたりする時だね。こういった情報をもとに、退異師会に所属しているキリキシャたちは異生物の発生予想を立てている。これは各国とも連携して行っていることなんだ。(いたず)らに不安をあおる可能性があるからっていう理由で、あまり一般には公開されていない情報なんだけど‥」 初めて聞くことばかりで、ジュセルは内心驚きながらも静かにスルジャの話を聞いていた。スルジャの話は続く。 「だから、ナジェルみたいなキリキシャが行って、異生物が好まない天候を保ったり、ティルガに雷撃を落としてもらったりするために呼んだんじゃないかと思う。異生物は、雷も嫌うからね」 「雷撃‥」 ナジェルもティルガも、ジュセルと同じキリキシャだが、それぞれ一級、光級の請負人(カッスル)なだけあって、使えるちからがジュセルとは桁違いなのである。その力を使っているところを実際に見たことがないのでぴんと来ていなかったが、ナジェルもまだ会ったことのないティルガもすごい人なのだ、とジュセルはしみじみ思った。雷を落とせるなんて、どうやるのかすら見当もつかない。 スルジャの話は続く。 「ティルガは雷撃の扱いと転移で有名なんだよ。迅雷(ゼッツ)っていう二つ名もそこから来てる。多分、退異師会はティルガに転移を使った輸送やなんかも頼むつもりなんだと思う」 キリキシャの高能力者(コウリキシャ)の中には、そのちからを使って転移(いわゆる瞬間移動)ができるものがいる。無論、非常に珍しいことであり、サッカン大陸広しといえども転移を使える者の数は、両手の指に満たないといわれているほどだ。 「だから、あの二人に召喚命令が出たんだと思う」 「そう、なんだ‥」 上級になると、このように思いがけない場面での仕事があるのだ、ということを思い知らされ、一人タラッカンにいるケイレンのことが心配になり心細くなる。そんなジュセルの表情を読み取ったのか、スルジャがジュセルの顔の前でパン!と両手を打ちつけた。 びくっと身体を震わせ驚いたジュセルの肩を掴んで、スルジャは言った。 「やばい状況はここから!‥退異師会はできうる限りの力素回復薬の融通を望んでるみたい。‥売り出したばかりであまり数を出すのも、今後のことを考えると難しいからどうしようかって随分カズリエとヤーレで悩んだみたいなんだけど‥」 スルジャは両手できゅっとジュセルの柔らかな頬を包み込んだ。 「被害をこれ以上拡大化しないためにも、作れる限り作れってお達しが来たの。材料は他の請負人(カッスル)たちにもう依頼をかけてあるって。今日中にはどんどん材料も来ると思うから‥ジュセル、今からここは戦場になる」 「‥わかった!」 ジュセルははっきりそう返事をして力強く頷いた。自分にもできることがある。現場で戦っているケイレンや、他の人たちの力になれる。 それがわかって、ジュセルは嬉しかった。 表情が変わったジュセルの顔を見て、うんと頷いたスルジャはにこっと笑った。 「よし、じゃあ今からあたしは道具とかの準備をしとくから、ジュセルはご飯とおやつの準備してて!」 さあ今から生成作業に入るぞ、と構えていたジュセルは思わずよろりとよろめいた。手近な椅子の背に掴まって何とか踏みとどまったジュセルは、スルジャの顔を見上げた。 「ご‥ご飯と、おやつ‥?」 スルジャは大真面目な顔をしている。 「お腹が空いたら、手が止まっちゃうでしょ!集中力も落ちるかもしれないし、でもあたしもうジュセルに甘やかされちゃっててジュセルのご飯とおやつじゃないとやる気出ない!だから今のうちに何か作っといてよ。その代わり生成作業準備はあたしができる限りやっとくから!ね、頼んだからね!」 スルジャは言うだけ言うと、残っていたお茶を飲み干して、すたたっと自分の部屋に上がっていってしまった。今はスルジャの部屋が実質生成作業部屋になってしまっているのだ。 その後ろ姿を見ながらジュセルは、はあと息を吐き‥気を取り直して食糧庫の在庫を確認し始めた。 とにかく、自分ができることをちゃんとやろう。 そして、ケイレンの力になりたい。 ジュセルは、食糧庫の中身を確認しながら、思いを新たにした。 その日の午前から昼過ぎまでは、ジュセルは食事と菓子作りに追われた。後はジュセルしかやれない、というところまでの準備はスルジャが自分だけでやるといってきかなかったからである。 遅い昼食を取っていると、ビーッと無機質な呼び出し音が鳴った。スルジャが扉越しに応対すれば、ヤーレの声がした。 「よう、入れてくれ」 心なしか声に張りがない。 扉を開けて中に引き入れてやりながら、さすがにこの異常事態で副協会長でもあるヤーレも忙殺されているのだろう、と考えた。そんなことを考えていたので、大柄なヤーレの後ろを小柄なシンリキシャがついてきているのに気づくのが遅れた。 そのシンリキシャは豊かな金髪を複雑に結び、二つに分けて肩から下ろしていた。恰好がサッカン十二部族国のものとは違って、首元に四角い衿がついている大きな上着のようなものを纏っている。背中には少し変わった形の鞘に納まった剣をかけていた。 その姿を認めたスルジャが反射的に警戒して後ろに飛び退ったのを見て、シンリキシャはにこっと笑った。花が咲くような、という形容が相応しいかわいらしい笑みだった。 飛び退ったスルジャに気づいたヤーレは、スルジャを制するようにひらひらと片手を振った。 「あ~ビビるなスルジャ、味方だ。ほれ、ナジェルが言ってただろう、カルカロア王国人の」 「サイリだよ。よろしくね。しばらくナジェルの代わりにここでの警護につくつもり」 シンリキシャ‥サイリはそう言ってペコッと軽く頭を下げた。ナジェルが相好を崩しながら、この恋人のことを語っていたのを思い出す。‥‥確かに、カルカロア王国人のシンリキシャだといっていたっけ。 スルジャはさっと顔に笑みを張り付けて自分もぺこっと頭を下げた。 「警戒しちまってごめんね?あたしはスルジャ、請負人協会(カッスラーレ)の解析師だよ。一応今はこの屋敷に住み込んでる形」 「私も住み込みになるって聞いてる。ナジェルが使ってた部屋を使えばいいって言われたけど。それでいいんだよね?ヤーレ」 「ああ。悪いがスルジャ、サイリを案内してやってくれ。ジュセルはどこにいる?」 「さっき遅いお昼を食べたばっかりだから、多分厨房だと思うけど」 「わかった‥」 ふらふらと厨房の方へ向かっていくヤーレを見送って、もう一度サイリの方に向き直った。 「じゃ、案内するね。二階だよ」

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