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第112話

悲しげにそう言うサイリに、なんとなくジュセルは言った。 「マヒロ?その番い様ってマヒロって名前なの?」 サイリは、明らかにしまった、という顔をした。それを見て、悪いことを聞いてしまった、と思った。‥わざわざ確認すべきことでもなかったのに、つい聞いてしまったのは、その響きが何となく日本語に近いものがあると思ったからだった。 意外とこの世界(トワ)でも、日本語に近い響きの名前を持っている人に会うことはある。今まで会ったことがあるのは、「アヤナ」「サキタカ」「ヤマノ」という名前のヒトだった。もしや、と期待をもってさりげなく日本の話題など出してみたが、結果としてはすべて、相手に不審な顔をされることで終わっていた。 「ごめん、名前忘れるようにするから」 ジュセルがそう宥めるように言うと、サイリはまた困ったように眉を下げて苦笑した。 「駄目だなあ、私、すぐこういう失敗やっちゃうんだよね‥あ、でもジュセルのことはシンリキ誓書に足して「無音の誓い」もかけてるから大丈夫!」 サイリのその言葉を聞いて、今度はジュセルとスルジャが驚く番だった。 「無音の誓い」は、シンリキシャによってかけられるもので、ある一定のことを問われると話せなくなる、という類の術だ。確かに情報が洩れることはないが、「知っているか否か」だけを知りたい場合、話せなくなる、という事実から「知っている」ことが相手に露見してしまうので、あまり使うヒトはいない。 露見した場合に、どんな酷い目に遭うかわからないからだ。 それを、まだそこまで親しくもないジュセルの秘密を守るためにかけた、とこともなげに言ったサイリに、二人は心底驚いたのだった。 しかし、当のサイリはぶつぶつと「いやホント私はうっかりが多いからな‥信用できないんだよねえ一番自分が」などと呟いている。 ジュセルは思わずサイリの手を取って握りしめた。同じくらいの大きさの手だったが、幾度も戦いを潜り抜けたと思われる固い掌だった。 「サイリ、ありがとう。俺のために、そんな危ない術までかけてもらって‥」 サイリは真剣な様子のジュセルに、少し面食らいながらもしっかりと手を握り返してくれた。 「ううん、全然なんてことないよ。これでも腕には自信があるし、ナジェルだっているしね。ナジェルがすごく、ジュセルのこと褒めてたから信用してるし」 「え」 力素回復薬が作れる、ということを、随分と高く評価してくれたのだろうか。しかし今一つ、それが自分の長所であると思いきれないジュセルは複雑な気持ちになった。それは、努力して得られたものではなく、偶然の産物から出た結果だと思っているからだ。 しかし、サイリはそんなジュセルに気づくことなく、朗らかな声で褒め続けた。 「いや薬剤のこともそうだけどさ、とにかくご飯が美味しいって!ナジェルってホント、食べ物にはうるさいんだよね!うちの実家の料理人以外でナジェルが褒めたのってジュセルのご飯が初めてだよ。それ以外の時のナジェルって‥‥なんか、こう、ただ体内に入れてる、って感じでつまらなさそうなんだよねえ」 あのナジェルがつまらなさそうにものを食べていること自体が想像できなくて、思わず吹き出してしまった。サイリも一緒に笑いながら握られた手をほどき、ジュセルの肩を叩いた。 「ありがとう、気を遣ってくれて。うん、番い様のことはできるだけ守りたいからあまり情報を外に出したくはないんだ。フェンドラ領のアツレンなら、結構住んでるヒト達も色々わかっててくれるんだけどね‥」 そういうサイリに、ジュセルは力強く頷いた。 「うん、俺からその話をすることはないから、安心して」 「ありがと」 サイリはそう返事をしてから、少し眉を上げヒトの悪そうな顔をした。 「‥‥だからさ、飛竜に乗せてもらって、よその国を空から眺めたことがあるんだ。さっき、すぐに返事できなかったのはそういう訳」 「ひええええ」 思いもかけない内容に、スルジャもジュセルも変な声を出すことしかできなかった。サイリはいたずらっぽい笑いを口元に浮かべて続ける。 「のっけてもらったのは成人のお祝いの時と、カルカロア王国から出ることになった時の二回だけだけどね。でもすごかったよぉぉぉ、空の上ってすっごい寒いんだ。曇ってなんか霧みたいで近くに行くと消えちゃうし、不思議な経験だった。マヒロはハル‥龍人(タツト)様に私をのっけたことがバレて、こっぴどく叱られたみたいだったけど」 サイリはその当時を思い出すようにしてくすくすと笑った。 「だから、国境近くならサッカン十二部族国も、ルビニ公国とハスカンシア共和国の上も飛んだことがある」 位置的に、サッカン大陸の北部にあるのがカルカロア王国、そのやや南西に隣り合っているのがサッカン十二部族国、サッカン十二部族国の真南にあるのがルビニ公国で、ルビニ公国とカルカロア王国に挟まれているのがハスカンシア共和国だ。 共通学校でざっくりとした地図とその名前しか習わなかった国々が、サイリの説明を聞いたことでヒトがきちんと生きている国がそこにあるのだという実感が持てた。 「いや~王国を出るときには参ったな~すっごくマヒロが寂しがっちゃってさ‥もうポチが疲れたっていう合図を出してるのに、もう少し、もう少しって飛ばすんだもん。さすがに飛竜に乗りっぱなしなのも疲れちゃって降ろしてもらったんだけど」 え。 「ポチ‥?」 急に息をのんで真顔になったジュセルを、サイリは不思議そうに見つめた。 「どうかした?ジュセル」 「あの、‥サイリ、ポチ‥って飛竜の名前?誰が‥つけたの‥?」 様子の変わったジュセルの顔を、サイリとスルジャが心配そうに窺うのが見える。だが、ジュセルは身体の震えを止めることができなかった。 「‥うん、飛竜の名前。マヒロがつけたんだって。『ぺっとといえばぽちでしょう!』って言ってた」 ペット。 この世界には、ない言葉。そして薄い概念。 家畜として飼うことはあっても、愛玩動物として飼うことは、この|世界《トワ》では珍しいことなのだ。 「サイリ‥その、番い様って‥‥どこのヒトなんだ‥?」 タラッカンの戦況は最悪だった。 退異師のみならず、後方支援で頼んでいた請負人(カッスル)一人とこの地で雇い入れていた民間人が二人、命を落とした。 もう、現地で後方支援のために働いてくれる人材は見込めない。退異師会長は、すぐさまイェライシェンに連絡を取り、退異師の補充と請負人協会(カッスラーレ)への協力要請をした。重ねて大国議会の対異生物委員会にも各種の要請をしたが、それがいつごろまでにやってくるのかは不透明だ。 現在、タラッカンにまで噂が届いている『力素回復薬』の存在は、絶望的な状況の中でも一筋の希望になっていた。万が一、それが使えるものであるならば力素の枯渇による退異師の被害を最小限にできる。 力素枯渇は、平常時であれば自分でもわかるものがほとんどだが、死線をくぐるような戦いのときには気が回らず、急にガクッとちからを落としてしまうものも少なくない。 タラッカンの異生物討伐隊総責任者であるカツカは、そう考えてため息をついた。 「カツカ殿、各地方からの輸送物が到着しました。点検をなさいますか?」 天幕の入り口で垂れ幕をめくったまま、そう声をかけられる。カツカは垂れ幕越しに退異師の引いている荷車の荷物を見た。そこまで今回は多くないようだ。 「ああ、今見よう。少し待ってくれ」 カツカはそう返事をして天幕から出た。 荷車にのせられている荷物は、ほとんどが退異師の家族や友人、恋人などからの手紙や贈り物だ。緊急の荷物はまた別の経路で送られる。 荷物の宛名を確認し中身をヨーリキで簡単に解析していく。すると一つの荷物に行き当たった。宛名は二位退異師のケイレンだ。 送り主はイェライシェンのジュセルとなっている。カツカは思わず、ふ、と顔をほころばせた。あの人付き合いの苦手な若者(ワクシャ)が、恋人を得て浮かれているというのはカツカの耳にも届いていたし、またこのジュセルというヒトからの手紙は三日と開けずに届いていたからである。 微笑ましい気持ちでヨーリキを流していると、違和感がした。 「‥‥ん?」 カツカの太い眉がぎゅっと寄せられる。 中身はおそらく日持ちのするような食べ物だろう。焼き菓子の類かと思われる。だが、その焼き菓子に妙な気配がするのだ。 退異師会所属のヨーリキシャとして色々なものを解析してきたが、そのカツカですら今まで感じたことのない感触だった。危ないものではない、それはわかる。しかし‥何とも説明しがたい、温かな気配と感触に、カツカは困惑していた。 荷車を引いたまま待っている退異師に声をかけた。 「すまないが、ケイレンを呼んでくれないか。この時間ならまだ天幕にいるだろう」

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