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第113話

本来、退異師はその位階に関わらず大天幕で雑魚寝になることが多いのだが、美しく人気があり過ぎるケイレンにけしからぬ振る舞いをする者が続出してしまう為、という理由からケイレンには少し小型の一人用天幕が割り当てられている。 これまでの例で言えば、ケイレンが寝ている隙に口づけだけでもしようとしたものや、大勢で示し合わせて性交幻覚剤(パルーラ)をのませようとしたもの、怪しげな惚れ薬や媚薬の類をのませようとしたもの、またはその人気と実力を妬んだものによる襲撃などで、「けしからぬ振る舞い」には枚挙にいとまのないほどだったのである。 いつしか、ケイレンだけは一人天幕、というのが退異師の共通認識になっていた。 こんな調子だから、食事もケイレンは自分で準備をするしかない。しかも原材料に至るまで、退異師会の解析師に頼んで変なものが混じっていないかの点検を受けているのだ。 さすがにそれは手間なので一度に多くの食材を点検してもらい、その食材を自分用の天幕の中に入れてヒトが触れないようにする、という手段を取ってはいる。 ケイレンを召喚すると、こういった他の退異師なら不必要な手間までかかってしまうので、退異師会の方もあまり積極的にケイレンのことは召喚しない。 ただ、実力的には一位退異師にも引けはとらないほど腕は確かであるので、現在のタラッカンのような難しい状況の時に呼ばれることが多かった。 荷運びのものに呼ばれてやってきたケイレンは、いつも通りの無表情でそっけなくカツカの天幕の入り口で「ケイレンです」と名乗った、 「入れ」と促したカツカの声で天幕の垂れ布をまくり上げて入ってきたケイレンの姿に、カツカは知らず小さな吐息を零した。 いつ見ても、また現在のような難しい環境でやや疲れを顔に滲ませていても、このマリキシャは息をのむほど美しい。 やはりこいつは当分一人天幕だな、と内心思いながら、カツカは手招きをして自分の近くまで来るように促した。 ケイレンは連日の討伐でかなりちからを使っており、途切れ途切れの短い休息ではなかなか力素の回復が十分にできないようで、目の下にはうっすらと隈ができていた。 しかしその隈でさえも凄絶な色気を醸し出しているように見えるのだから、このマリキシャはやはりなかなかに始末に負えない。 カツカはそんな風に思いながら、ケイレン宛の小さな荷物をすいっと差し出した。 「すまんが、これを今ここで開けてくれるか?ヨーリキで解析したんだが、どうも何とも知れない妙な気配がするのでな‥私とお前二人が揃っている方がいいだろうと思って呼んだんだ」 荷物を手渡されたケイレンはその送り主の名を確認すると、ぱあっと顔を輝かせた。それは暗闇で一気に花が満開になったような美しさの変化で、大事な伴侶がいるカツカでさえ思わず見惚れてしまったほどの変化だった。 「ジュセルからだ‥」 ふわあっと笑顔を浮かべてぎゅっと荷物を抱きしめるケイレンの姿は、今までカツカが見たことのないもので大いに驚かされる。 「お、おう、すまんが‥開けてくれるか」 「あ、はい!」 丈夫なハシン紙で幾重にもくるまれている荷物を丁寧にほどいていく。中からは手紙と食物を包む用のカラ葉に包まれた四角いものが出てきた。四角いものに鼻を近づけてくん、と匂いをかいだケイレンは、また満面の笑顔を浮かべた。 「ジュセルのパウンドケーキだ‥!焼き締めて日持ちがするようにしてくれたんだな‥!」 あまりにも幼い子どものように喜んでいるケイレンの姿に、カツカはぼーっと見つめてしまっていたが、四角いものを目にしたときにようやく我に返ってンンッと咳払いをした。 「あー、すまんがその四角い包みを見せてくれるか」 ケイレンの綺麗な眉がきゅっと寄せられた。切れ長の黒輝石のような瞳で、じっとこちらを睨んでくる。 「‥‥‥なぜですか?」 こんな様子のケイレンを見たことがないカツカは、笑っていいのやら怒ればいいのやらわからなくなり、何とも間の抜けた声が出る羽目になった。 「いや、だから俺はヨーリキ解析が仕事だから!なんかお前の荷物だけ妙な気配がしたからだよ!」 そう言われて、ケイレンは嫌そうに、かなり嫌そうに、渋々、非常にゆっくりと、その包みを差し出された手の上に置いた。そしてカツカの真ん前に立ってじっと包みに視線を落としている。 「近い近い!ケイレンしっかりしろ、取り上げるとか言ってねえだろ!」 あまりのケイレンの行動に、カツカは思わず言葉遣いが崩れたほどだ。言われたケイレンはこれまた渋々、カツカと一定の距離を取った。それでも近い。 近いな、と思いながらも「カラ葉を少し剝がしていいか?」と尋ねる。ケイレンはものすごく嫌そうにしながらもなんとか頷いてくれたので、さっさと一枚だけ剥がしてみる。 見た目は普通の焼き菓子のようだ。日持ちをさせるためなのか果実酒の匂いがする。堅果(ナッツ)の類も焼きこまれているのかほのかに香ばしい匂いもして食欲をそそる。 カラ葉を剝いたところに指先を触れさせて、ゆっくりとヨーリキを流した。 どう解析してみても普通の焼き菓子だ。‥いや、今まで見たことのない焼き菓子でかなりうまそうではある。焼き菓子なのに堅果(ナッツ)に加えて果実も入っているようだ。こういった菓子は見たことがなかった。 しかし、妙な気配はやはりこの焼き菓子から出ている。何といえばいいのか、今まで触れたことのない種類のちから、という感じの違和感だ。未知のものだから何とも答えが見つからない。 ただ、その気配はそこまで強くはない。 じっくりと探った後、カラ葉を戻してケイレンに返した。ケイレンは半ばひったくるようにして大事に腕の中に抱え込む。 この、いつもぶっきらぼうで無愛想なマリキシャが、ここまで感情をあらわにするのは見たことがなかった。カツカはどうしてもこの若いマリキシャを揶揄ってやりたくなった。 「何だお前、そいつを送ってくれたヒトにべた惚れなのか」 軽い調子で言われたその言葉に、ケイレンはごく真面目な顔ですぱりと答えた。 「ジュセルは俺の命よりも大事なヒトです」 空を切るような鋭く、重い言葉だった。 その重さに、カツカは知らぬうちに少し後ずさっていた。そんな自分にまた、驚く。 しかし気になったことは聞いておかねばならない。ん、と意味もなく喉を鳴らしてからカツカは言った。 「わかった‥が、その焼き菓子を作ったヒトはどういった人物なんだ?高能力者(コウリキシャ)なのか?」 ケイレンはすっと表情を消した。いわゆる「いつも通りの黒剣」の顔だ。 「ジュセルはキリキシャですがほとんどキリキはありません。料理が得意で、その時に少しだけキリキが滲むことがあるだけです」 ケイレンはそれだけ言うと、きゅっと唇を結んだ。これ以上口は開かない、という意思表示のようにも見えた。 カツカは、自分の感じ取った気配がキリキではないことはわかっていた。それはカツカの「知っている」気配であり、ちからだからだ。 しかし、きっとケイレンはこれ以上のことは言わないだろうし、また自分の解析ではこれ以上の情報はこの菓子から引き出せそうにない。 カツカはふーと長く息を吐いた。 「‥わかった。持って行っていい。しかし、また似たような気配をお前の荷物から感じたら、同じように点検させてもらうことになると思うからそれは承知しておくように」 「‥はい」 ケイレンは何の感情も見せずにそう返事をすると、包みを大事そうに持ったまま天幕を出て行った。 カツカはしばらく天幕の中で一人、考え込んでいた。 ケイレンは飛ぶように自分の天幕に戻ると用心深く垂れ幕を閉め、椅子に座ってジュセルの手紙をひらいた。 ケイレン 元気?怪我してない?タラッカンでは色々と大変そうだということしか聞けてなくて、俺はちょっと心配してます。ケイレンは強いからきっと大丈夫だと思ってるけど、優しいから他の人をかばって怪我したり無茶したりしてるんじゃないかなって心配してる。 俺は元気、スルジャやアニス、ヤーレも元気だよ。色々お菓子作ったり料理作ったりするのも気が紛れていいね。新作もあるから、帰ってきたら食べさせてあげるね。 あの、あれの作り方とかもスルジャと一緒に色々やってる。そのうち売るのかな?この手紙が着くころには売り出されてるのかも。 ケイレンの、役に立ったらいいなって思ってる。 ケイレン、気をつけて、帰ってくるのを待ってるね。  ジュセル 好きだよ。 最後に、迷った挙句に書き添えられたらしき「好きだよ」の文字を見て、ケイレンは大きく息を吸って吐き、目を瞑った。そして震える唇を、その文字にそっと押しつけた。

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