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第114話

部族会議では思いがけず滑らかに次代族長の交代が決まったことに、みな安堵していた。曲者として知られるハリスが、もっと色々と抵抗をしてくるのではと思っていたからだ。ハリスがろくな抵抗も見せず、大国議会警察にすんなりとその身を任せたことにはザイダも少なからず驚いてはいた。 一応、その原因としてはヤーレが言っていたように、ジュセルの暗殺が達成したと思い込んで気が緩んでいたことや、ヨキナの思いがけない死によってこちらに有利な証拠が集まったことなどが考えられるだろう。 しかし、ザイダは余裕の笑みを浮かべて連行されていったハリスのことが気にかかっていた。これまで何年も裏社会に顔を利かせてきたハリスのことだ。何かを企んでいてもおかしくはない。 ただ、全族長を集めた族長会議が、ザイダの要請によって十日後にも開催されることになっている。その際には、証人および罪人としてハリスも召喚される予定であるから、まさかに大国議会警察もハリスを逃がすようなことはあるまい。 そうは考えながらも、ザイダは胸の奥に燻る不安を、どうしても拭いきれずにいた。 「どうだ。できそうか?』 力素回復薬の生成状況の確認にヤーレがやって来た。顔を出すといいながら忙しさのあまり来れない、という日が続いていたのだ。前回サイリを連れてやって来た時も、ちょうどジュセルの料理を食べようとしたときに請負人協会(カッスラーレ)からの使者がすっ飛んできて呼び戻されていったのだった。 生成作業場になっているスルジャの部屋は、様々な材料の薬草や香草、その他のものなどで足の踏み場もない状態だ。その隙間に蒸留器や湯沸かし機工、成分分離機や解析器などの機工躯体がたくさん並べられていた。 ジュセルは材料を混ぜ合わせ、成分を抽出する機工躯体の前で真剣な顔で作業をしており、ヤーレの言葉は耳に入っていないようだ。 スルジャは目の前に並んでいる瓶の中から二つを取って慎重に一つの瓶に注ぎ合わせる作業をしている。これはまずい時に声をかけてしまったな、と入り口近くに立ったままヤーレは思った。 すると、後ろからトントンと腰辺りを叩かれた。振り返ればサイリがにこにこしながらそこに立っていた。目顔でヤーレに合図をし、別の部屋に行こうと促してくれる。 そっと二人が作業をしている部屋の扉を閉め、静かに廊下を移動してサイリの案内するままに団欒室に向かった。団欒室の暖炉には火が熾してあって温かな空気が満ちている。 異生物討伐現場であるタラッカンでは、寒さとも戦っているんだろうな、とヤーレは暖炉の火を見つめながら考えた、 いつの間にか盆を持ってやってきたサイリが声をかける。 「いつまでぼーっと突っ立ってんの?座れば?」 そう言いつつ、低いどっしりとした机の上に盆を置き、茶器を取って茶を淹れ始めた。 「ジュセルほどおいしくは淹れられないけど。あったまるでしょ」 「すまんな」 ヤーレは大きな長椅子に座って茶器を受け取った。硬い掌に茶器の温かさがじんわりと沁みてくる。ごくりと飲めば香りとともに温もりも喉を通っていった。 サイリはヤーレの斜め向かいの長椅子に腰かけ、自分も一口茶を飲んだ。そして茶器を置くと、すぐに話しかけてきた。 「何か用事?タラッカン関係?」 サイリの本業と言えるのは退異師の方である。しかし、サイリはカルカロア王国人であるために今回のような場合には呼ばれない。基本的にどこの国も、異生物討伐は自国で決着をつけたがる。 異生物はどこの国であろうと発生する災害のようなものだ。災害と違うのは、その遺骸には希少な物質が含まれていることが多いことである。その取り分などを巡り争いになることは決して少なくはない。 加えて、退異師がどれほどいるか、どのくらいの実力者を擁しているか、というのは国防にもかかわる問題なので、国をまたぐような大発生でない限り自国の退異師だけで対処しようとするのが普通なのだ。 だからどんなにサイリがナジェルのことが心配で傍で助けたいと思っても、退異師として行くことはできないのである。 ヤーレも茶器を置いてサイリに答えた。 「そうだな、力素回復薬を早く回せって要求が矢のように来てる。だが、タラッカンにだけ全てを回すわけにもいかないし、その折衝が面倒くせえ。二回目の販売分を先に作っといてもらってよかったが‥三回目の分が一つもないってなると暴動でも起きそうな勢いだ」 ヤーレは一息にそう言うと両手を膝の上で組み、はああと大きくため息をついた。 これまで二回、十日おきに販売された力素回復薬は、予想通りの強い衝撃を各所に与えた。各国の請負人協会(カッスラーレ)や退異師会、隊商会などからの問い合わせがひきも切らず押し寄せてくるせいで、イェライシェンの請負人協会(カッスラーレ)本部の機工通信はいま使えない状態だ。 それでも、速信鳥紙や直接速信鳥で連絡をしてくる者や、政治家経由で問い合わせてくるものも多く、本部の職員はみな疲弊してしまっている。 大騒動になるだろうなとは予想していたが、ここまでになるとは思っていなかったし、何よりもタラッカンのような状況が重なるとは思いもつかなかった。 「とにかく薬剤を渡せと各所がうるさくてかなわん。カズリエはもうずっとキレ散らかしてるしな。本部の空気は最悪だぜ‥。生成状況の確認と催促に行くっつって何とか抜け出してきたんだ」 ヤーレはそういうと天を仰いで頭を長椅子の背にもたせかけ、目を瞑った。よく見てみれば目の下にうっすらと隈のようなものもできている。余程に忙殺されているのだろう。 しかし、そんなヤーレの顔を見てさえも、サイリは訊かずにはいられなかった。 「ナジェルはもうタラッカンに着いたの?何か知ってる?」 ティルガが、思ったよりも遠方で難しい仕事に取りかかっているせいで到着が遅れている。そのせいでかなりナジェルは急かされていたのだ。対異生物委員会がそれ用に小型機工車を手配したとも聞いていた。 ヤーレは目を開けてちらりとサイリの方を見た。その表情を見てからまた目を瞑る。 「到着した、とは聞いたがその後のことはこっちには情報が来てない。随分現場でも混乱が酷くて情報も錯綜してるらしいからな。落ち着けばそのうち、ナジェル自身が速信鳥紙を飛ばしてくるだろう」 サイリはそれを聞いて黙った。 そういったことができる余裕があるかどうか、と考えたのだ。ヤーレもそれがわかっているからこそサイリとは目を合わせなかったのに違いない。 何しろ、あのケイレンから、ジュセルに一度しか速信鳥紙が飛んできていないのだ。 本来、速信鳥は二人のキリキシャの間で飛ばされるものである。それが近年、キリキとシンリキを混ぜ合わせ紙に練り込むことができるようになり、「速信鳥紙」が生まれた。速信鳥紙は、元々練り込まれているキリキとシンリキが残っている間使えるものでそこまで使用期限は長くない。無くなってしまった場合、キリキシャとシンリキシャに頼んで力を入れてもらえばまた使えるが、全てのキリキシャ、シンリキシャがそれをできるわけではないのだ。 ジュセルに何としてでも連絡を取りそうなケイレンが、それをできていないということは、余程に忙しいかそういった高能力者(コウリキシャ)に余裕がないか‥いずれにせよ芳しくない状況であることが察せられた。 それを、サイリも感じ取っているのだろう。 しかもナジェルは天候の左右という、かなりちからを使う仕事を受けて現地に行っている。速信鳥紙に使う余力があるかどうかは微妙なところだ。 いやな沈黙が団欒室の中を漂っていく。 そこに、 ぱたぱたと軽い足音が近づいてくるのが聞こえ、まもなくして扉を叩く音がした。 「おう」 とヤーレが答えると、扉が開いてジュセルが顔を出した。 「あ、やっぱりヤーレさん。さっきはすみません、ちょっと必死になってて」 「いや全然構わねえよ。こっちこそ色々無理言ってすまねえな」 ヤーレはそう言って上半身を起こすと、ひらひらと片手を振った。 「それより伝言。ケイレンから」 ヤーレのその一言を聞いてジュセルの身体はぴしりと硬直した。もう十日以上、ケイレンの声を聞いていない。手紙も来ていない。速信鳥紙を使える余裕もないのだろうということは、頭の中ではわかっているつもりだった。手紙を出しても荷物を送っても、きちんと向こうに着いているのかすらわからない。前世のお荷物追跡や配達日時指定の仕組みが恋しすぎて夢にまで見たくらいだ。 応えた声は、自分でも驚くほど震えてしまっていた。 「ケイレン、‥なんて‥?無事、なんだよね?」

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